精神論[1758年]
エルヴェシウス著・仲島陽一訳
第三部 第19章 諸民族が軽蔑され卑しめられると大臣たちの無知が保たれる。専制主義の第二の結果
大臣たちは学ぶことにどんな利害も持たないとしても、大臣たちが教えられることは公衆の利害である、と言われよう。国民はみなうまく統治されたく思う。それなのになぜこうした国々では、十分に有徳な公民たちが、大臣たちにその無知と不正とを非難し、軽蔑されるという恐れによって、公民になることを彼等に強いるようなことがみられないのか。専制主義の特性が人心を卑しくし堕落させることだからである。
法だけが罰し報い、人が法だけに服従する諸国家においては、有徳な人は常に安全で、そこに魂の大胆さと堅固さとをしみとおらせる。それは専制的な国々においては必然的に弱まる。そこでは彼の生命、財産、自由は、ただ一人の人間の気まぐれ(a)と恣意に依存している。これらの国では、有徳であるのは無分別であろう。同様にクレタやラケダイモン〔スパルタ〕で有徳でないのは愚かであろう。だから不正に対して立ち上がり、またそれに賛同するよりむしろ、哲学者フィロクセノス1)のように、「私を走路に戻してほしい」と叫ぶ者はそこにはみられない。
こうした統治にあっては、有徳であるためにはどんな犠牲が払われようか。徳義はどんな危険にみまわれるであろうか。徳に対して情熱的な人を想定しよう。そうした人が大臣なり監察官なりの不正や無能のなかに、公衆の悲惨の原因を認め、しかして彼が黙ることを望むのは、矛盾したことを望むことである。そのうえ声なき徳義はこの場合には無用な徳義であろう。この人が有用であればあるほど、国民の軽蔑が帰すべき人を急いで名指すであろう。そうしなければならないと、さらに私は言おう。ところで、大臣の不正と愚鈍とは、前述のように、有能な人々を最大の刑罰に宣するのに必要な権力を常にまとってみいだされるので、これらの人々は、公共の福利と徳の友であればあるほど、迅速にもの言わぬ侍臣たちに身を委ねられることになろう。
ネロが彼以上に野蛮な観客の喝采を劇場で強いるならば、大臣たちは彼等が苛斂誅求する観客たちからさえ称賛を要求する。彼等はティベリウスに似ている。彼の統治では、抑圧されている不運な人々の溜息まで叛徒の叫びとして扱われたが、なぜならスエトニウスが言うには、自分がいつも罪あると感じている君主の下ではすべてが犯罪だからである。
人々を古代ペルシャ人たちの状態に引き戻したいと思わないような大臣はいない。彼等は、君主の命令で残酷に鞭打たれて、続いて君主の前に出頭することを強いられていた。彼等は彼に言った。「我等は、我等を思い出していただいたことに感謝しに参っております」。
それゆえ、大臣たちにその無知と不正とを非難するほど有徳な公民の高貴な大胆さは、まもなく体刑に続くであろう(b)。そして誰もそれに身をさらしたくはない。しかし英雄、勇敢な者はどうか、と言われよう。私は答えよう。評価と栄光の希望に支えられているときには、そうするであろう。この希望が失われればどうか。勇気は彼を見放すであろう。奴隷的民族においては、その寛大な公民に謀反人の名が与えられるであろう。体刑を受けても是認する人々がみられよう。ある国家で、習俗が下劣になったときには、賛辞を惜しまれない犯罪はない。ゴードン2)は言う。「もしペストが勲章と年金とを与えるに違いないのならばペストの支配は神聖な権利に属する、と主張するほど、卑しい神学者と法学者がいる。そしてペストの悪意ある影響から逃れることは第一の頭に有罪になることだと」。それゆえこうした統治においては、詐欺師の共犯であることはその告発者であることよりも賢明である。徳と才能とはそこでは常に専制主義の標的となる。
タマクリ汗3)によるインド征服の際、この君主がムガール帝国において見出だした唯一評価される人はマムスという名であり4)、このマムスは追放された。
専制主義に服した諸国において、公衆からの愛、評価、喝采は、それを得ている人々をそこの君主が処罰する犯罪である。ブルトン人にうちかった後、アグリコラ5)は、ドミティアヌス6)の怒り同様に民衆の喝采から逃れるために、夜ローマの通りを横切り、皇帝の宮殿に赴く。君主は彼を冷たく抱擁し、アグリコラは引き下がる。そしてブリタリアの勝利者〔である彼〕は、同時に他の奴隷たちの群れのなかに姿を消す。
ローマで、ブルートゥスとともに、「おお徳よ、汝は虚名に過ぎぬ」と叫び得たのは、こうした不幸な時代である。永遠の不安のなかで暮らし、心配で魂が衰えてばねを失ってしまった民族のなかで、どうして徳を見出せるのか。こうした民族においては、尊大な権力者と、卑劣な奴隷しか出会わない。大臣が、愚かな尊大さと重々しさとで、庇護者たちの群れのまんなかに出るときの聴衆ほど、人類にとって屈辱的な光景があろうか。またこの庇護者たちは、真剣で、黙りこくり、不動で、目は下方を凝視し、目にとめていただくのを、ほとんどこうしたブラフマンの態度のなかで震えながら待っている(c)。ブラフマンのほうは、鼻の先のほうに目を据え、天が明るくするはずの青く神聖な炎を待ち、またその出現は、彼等によれば、彼等をパゴダの尊厳に引き上げるはずなのである。
才能ない大臣の、あるいは卑しい宦官の前でさえこのように卑屈になる有能な人々を見るとき、心ならずも日本で尊師に対してなされる滑稽な尊敬を思い出すが、尊師の名は、「おお、つりさま」すなわちわが殿という語を前につけてでなければけっして発せられないのである。
【第19章 原注】
(a) トルコにおいては、スコットランドとは違って、主権者〔君主〕において、臣民に対して犯された不正を法が罰することは見られないであろう。マルカム7)がスコットランドの王座に来たとき、ある領主が彼に自らの諸特権の免許状を示して、それを安堵するように頼んだ。王はそれをとって破る。領主は議会に訴える。そして議会は王座にある王が、宮廷全体を前に、この領主の免許状を糸と針でつくろう義務があると命じる。
(b) ある大臣がその行政において誤りを犯したとしよう。この誤りが公衆を害するならば、民衆は叫び、大臣の自尊心は傷つく。身持ちを改め、よりよいふるまいによってあまりに正当な不平を静めようとするどころか、彼は公民たちに沈黙を課す手段にだけ専念する。こうした力の手段は彼等を刺激する。叫びは倍になる。このとき大臣には二つの手段しか残っていない。国家を革命にさらすか、常に帝国の破滅を告げる専制主義を極端にまで進めるかである。そして大臣たちがふつう足を止めるのはこの後の方策にである。
(c) 大臣自身、スルタンが閣議にいるときは、震えながらだけそこにはいっていく。
【第19章 訳注】
(*1)フィロクセノス(Phloxenos,c.BC.435-380)はギリシャの詩人。作品「キュクロクス」など。
(*2)Gordonという名の人物は多く、ここでは誰のことか不詳。
(*3)タマクリ汗(Thamasp-Koulin-Kan,1688-1747)はペルシャ王。別名ナディルシャー(Nadir-Shah)。
(*4)マムス(Mahmouth)は、ムガール朝皇帝で1735年ペルシャに敗れたムハンマド・シャー(Muhammad-Shah)か。
(*5)アグリコラ(Agricola,c.40-93)はローマの政治家。ブリタニア総督として功績を挙げたが、ドミティアヌス帝により呼び返され、不遇のうちに没。女婿の歴史家タキトゥスによる伝記がある。
(*6) ドミティアヌス(Titus Flavius Domitianus,51-96)はローマ皇帝。治世の後半において暴虐を増し、恐怖政治を行った。
(*7) マルカム(Malcolmただし原文ではMalicorne)という名のスコットランド王は四人いるが、ここ度は最も有名な三世(-1093)か。