精神論〔1758年〕

エルヴェシウス著・仲島陽一訳

 

第二部      20章 いろいろな国との関係を通じて考察された精神について

 

 いろいろな時代について〔前章で〕言ったことを、私は〔本章で〕いろいろな国にあてはめる。そして精神の同じ分野が評価または軽蔑を受けるのは、いろいろな民族において、常に彼等の統治形態の違いの、したがってまた彼等の利害関心の多様性の結果であることを、私は証明する。

なぜ雄弁は共和主義者のもとではこんなに高く評価されるのか。彼等の統治形態においては、雄弁が富裕と地位への道を開くからである。ところで、すべての人が黄金と顕職とを愛し敬うことから必然的に、それを得るのに適する手段に関して反省せざるを得なくなる。そういうわけで共和国においては、雄弁だけでなく、政治学、法学、道徳学、文学あるいは哲学のような、弁論家を形づくるのに役立ち得るすべての学問もまた名誉を与えられる。

逆に専制的な諸国で、まさにこの種類の雄弁がほとんど重んじられないのは、それが財産に導かないからである。これらの国ではほとんどその効用がなく、命令できるときに骨折って説得はしないからである。

なぜラケダイモン人たちは、ぜいたく品を改良するのに適した分野の精神に対してあんなに軽蔑したのか。ペルシャ人たちの恐るべき勢力に対して自らの徳と武勇でしか対抗できなかった貧しい小共和国としては、たぶんティルスやシドン1)であったら神格化されてもおかしくないような、勇気をなえさせるのに適した技芸すべてを蔑視せざるを得なかったからである。

イギリスでは軍事学に対して、〔古代〕ローマでより評価が低いのはどうしたわけか。現代のローマ人というよりも〔現代の〕カルタゴ人であるイギリス人は、その統治形態によって、大将軍よりも有能な商人を必要としているからである。ぜいたくと軟弱への好みへと必然的に導く商業精神が、毎日彼等の目に、黄金と産業の価値を増大させ、戦争の技術と勇気さえも評価を日々に減少せざるを得ないからである。勇気というのは、自由な民族においては、長い間国民的自負が支える美徳ではある。しかしながら日々に弱まり、たぶん、この国民の失墜や隷従の遠因である。逆にロックやアディソンのような例が証明するように、有名な著作家が、いままでのところ他のどこよりもイギリスで名誉を受けているのは、各々の公民が一般的な事柄の運営に関与し、すべての才人が公衆をその真の利害に関して啓発できる国においては、真価をあまり重んじないことは不可能だからである。そうした理由でロンドンでは教養ある人々にごくふつうにでくわすのである。こうした出会いはフランスではより難しいが、それは以前主張されたのとは違って、イギリスの気候が私達〔フランス〕のものより精神に好都合だからではない。戦争、政治、学問と技芸における私達の有名人を一覧すれば、彼等のものよりもたぶん数が多い。イギリスの貴紳が一般に私達のよりも啓発されているのは、彼等が学ばざるを得ないからである。私達の統治形態が彼等のものに対して持ち得る利点を補って、彼等がこの点で、私達に対してかなり大きな利点を持っているからである。この利点を彼等は保つであろうが、その挙げ句、ぜいたくによってその統治の原理はすっかり腐敗し、しらずしらずに隷従のくびきに屈することになり、才能よりも富を好むことを学ぶにいたるであろう。今日まで、学ぶことが真価であるのはロンドンである。パリではそれは滑稽なことである。欧州諸国民の性格と天分の違いに関して摂政オルレアン公に尋ねられたある外国人が次のように答えたのは、このことで十分に正当化される。つまり彼は言った、「殿下にお答えする唯一の仕方は、いろいろな民族において、社交界に現われる一人の男に関してもっともふつうになされる最初の質問を繰り返すことです」。そして続けて言う、「スペインでは、『彼は最上層の貴族か』と尋ねられます。ドイツでは、『彼は参事会に入会できるのか』と。フランスでは、『宮廷のうけはいいのか』、オランダでは、『金をどれだけ持っているのか』。イギリスでは、『彼はどんな男か』」。

共和政の、また混合政体の国において、評価の配分を主宰する同じ一般的利害関心は、専制的な帝国においてもまた、まさにこの評価の唯一の配分者である。こうした政府で、精神がほとんど重んじられないのは、またイスファファン、コンスタンティノープルで、功績ある人に対しても宦官、侍従武官、パシャ2)に対してより尊重されるのは、これらの国では偉人を評価することにどんな利害関心も持たれないからである。これらの偉人がそこで有益でも望ましくもないからではなく、公衆というのは諸個人の集合だが、その誰もが、偉人になることに利害関心を持たないので、なりたいと思わないようなものをどの個人も常にほとんど評価しないであろうことが感じ取れるのである。

これらの帝国においては、なぜ一個人が骨折りに耐えてまでその才能を改良するために必要な研究と省察とをしようか。大きな才能の持ち主は、不正な政府に常に警戒される。そこでは才能があっても高位にも富にも手が届かない。ところでしかしながら富と高位とは、万人の目に明らかな唯一の福利であり、真の福利とみなされ、普遍的に願望される唯一の福利である。それは持っている人をときおりうんざりさせる、と言っても無駄である。それは、俳優の目にはときおり不快であるが、それでも眺める観客の視点からは常に賞賛すべく見えるような飾りである、と言ってよかろう。人が最大の努力を行うのはそれを得るためなのである。だから著名な人々は、名誉と富とが偉大な才能の報いである国でしか増えない。だから裏から言えば、専制的な国では偉人が常に不足している。これに基づいて私が観察するであろうことは、金はいますべての国民の目にとても大きな価値を持つので、無限に賢明で啓発された統治においては、金の所有はほとんど常に第一の価値とみなされるということである。どれだけ多くの富んだ人々が、万人の賛辞にうぬぼれて、才人よりもすぐれていると思い込み(n)、とてつもなく謙虚な口調で有用なものを快いものより好んだことで、また才気が欠けているので、良識を買ったことで得意になることであろう。 彼等は良識という語に、真、善、そして最高の精神という意味を付与しているのだ! こうした人々は、哲学者を常に屁理屈をこねる妄想家とみ、彼等の著作を深刻ぶった中身のない本とみて、無知を一つの真価とみなさざるを得ない。

富と高位とはあまりに一般的に願望されるので、真価への要求が財産への要求から排除されている民族においては、才人はけっして名誉を与えられない。ところで、財産をつくるためには、どんな国の才人が、どんな分野でも卓越するためには、粘り強い持続的な研究に用いなければならないような時間を、庇護者の控えの間で、無駄にせざるを得ないであろうか。お偉方の寵偶を得るために、どんなに身を低くしてどんなにへつらうことが必要であろうか。もしトルコに生れるなら、法学者やスルタンの軽蔑に身をさらすことが必要である。フランスにおいては、ある大殿の(o)、あるいは要路者の例外的な親切に出会うが、この者は、自分の精神とはあまりに異なる分野である彼の精神を軽蔑して、彼を国家に有用なまじめな仕事ができないものと、またせいぜい巧みなお遊びに専心しているとっちゃん坊やとみなすであろう。しかも功績ある人々に内心嫉妬して(p)、また彼等の吟味を気にして、要路の人は、趣味よりも見せびらかしのために、わがやには何でもあるということを示すためにだけ、彼等を迎え入れる。ところで、甘い快楽に浸らせない栄光へのあの情念に動かされた人が、この点まで卑しくなることがどうして想像できよう。その時代を有名にするために生れたような人は誰でも、お偉方を常に用心している。彼は少なくとも、才人を評価し大部分の社交では退屈するようにできている精神と性格の持ち主としか親交を結ばないが、そうした人々が、社交界で才人を探し出しうまく出くわせば、中国で二人のフランス人が出会って最初の一目で親しくなるのと同じ喜びを持つであろう。

それゆえ著名な人々を形づくるのに適した性格は、お偉方と要路の人々の憎しみや少なくとも無関心に彼等を必然的にさらすのであり、またとりわけ、統治形態と宗教によって愚かにされ、恥ずべき無知に惑溺し、敢えて言えば、人間と獣の中間にいる東洋人のような諸民族のもとではそうなる。

真価への評価の欠如が、東洋では、諸民族が才人を評価することにほとんど利害関心を持たないことに基づくのを証明したので、この利害関心の威力をよりよく感じてもらうために、この原理を、私達によりなじみのある対象にあてはめよう。公衆の利害関心が、私達の統治形態にしたがって変容し、たとえば論述の分野に対してあれほど嫌悪されるのはなぜかを、検討されたい。なぜ論述の口調は私達に耐えがたく見えるのかを。すると論述は辛く疲れされることが感じられよう。公民たちは、私達の統治形態によって、教化よりも娯楽を必要としているので、一般に、夕食中に自分たちを快くしてくれるような種類の精神しか望まないことが。したがって彼等は推論の精神をほとんど重んじるはずがなく、ある賢人が自説の証明に持ち込んだ推論に退屈するというよりは困惑して、「ああ、私は証明してもらいたくなんかありませんよ!」と強く叫んだあの宮廷人に、多かれ少なかれみな似ざるを得ないことを。

すべては私達のところでは怠惰という利害関心に譲らざるを得ない。会話において、筋の通らぬ大げさな文句しか使われず、誇張が私達の時代と国民に特有な雄弁になってしまい、観念と表現の正確さがまったく重んじられないのは、私達がそれを評価することになんら利害関心を持たないからである。まさにこの怠惰を甘やかすことによって、私達は趣味を自然からの贈り物として、推論による認識すべてにまさる本能として、また最後によしあしについての強くすばやい感情としてみなすのである。私達はこの感情によって一切の検討から免れ、批評のすべての規則は、「すばらしい」と「いとわしい」というただ二つの語に切り縮められるわけである。私達が他の諸国民に対して持っている利点のいくつかもまた、まさにこの怠惰のおかげである。専心する習慣がほとんどないのでまもなくまったく専心できなくなり、注意できないというこの欠点を補ってくれる明瞭さを、私達は著作において願うことになる。つまり支えてもらいたい私達は、読書においていつも、秩序のあんよひも付きのこどもなのである。それゆえ著者はいまや読者の苦労を取り除くために自分が四苦八苦しなければならない。アレクサンドロスに倣って、「ああ、アテネ人たちよ、汝等にほめられるにはなんと骨が折れることか!」としばしば繰り返さなければならない。ところで読まれるべく明瞭であることが必要であるため、この点で私達は、イギリスの作家たちにまさることになる。イギリスの作家たちがこの明瞭さをほとんど重んじないのは、イギリスの読者がそれにそれほどこだわらないからであり、その精神が苦労して注意することによってより鍛えられているので、この欠点をよりたやすく補い得るからである。それによって私達は、形而上学のような学問においては、隣人たちに対して幾分かの利点を持つことになる。この学問に「秘すれば花」という金言が常に適用され、闇のために長い間敬われてきたとしても、いまや私達の怠惰がその闇を貫いて見通すことを企てず、その曖昧さはこの学問を軽蔑すべきものにするであろう。私達はそれをなお覆っている理解不能の言葉遣いを取り除き、それを取り囲んでいる神秘の雲を取り払いたいと思っている。ところで、もっぱら怠惰の産物であるこの欲望は、いままでは言葉の学問でしかなかったまさにこの形而上学を、事物の学問にする唯一の手段である。しかしこの点で公衆の趣味を満たすためには、ベルリン学士院の著名な修史官が注意しているように、「あまりに迷信的な敬意のかせを砕く精神の持ち主たちが、理性を宗教から永遠に分かつべき境界を知らねば」ならず、「また検討者たちが、推論の作品すべてに対して途方もなく逆らうあまり、国民を浅薄さへとおいやることをもうしないこと」が必要である。

いま述べたことから同時に十分に解明されると私が考えるのは、小話や物語を私達が愛することの、またこの分野で私達が巧みであることの、軽薄ではあるが無駄話とも言いがたい技術において私達が優越することの、そして最後に私達が娯楽の精神を他のどの分野の精神よりも好むことの、原因である。この好みのために私達は才人を気散じ向けとみなし、物真似芸人並みに低くみなしがちである。最後にこの好みのために私達は欧州で最も粋で最も愛想のいい、しかし最も軽薄な民族になっている。

習俗がそうであれば、私達はそうであらざるを得ない。野心の道は、私達の統治形態によって、大部分の公民に閉ざされている。彼等には快楽の道しか残されていない。快楽のなかでは恋愛が最も強い。それを享受するためには、女性たちに快くなければならない。それゆえ恋する欲求が感じられると、気に入られたいという欲求が私達の魂のなかに点火されざるを得ない。不幸にも恋する男は、くっつく葉っぱの色を帯びる羽虫のようなものである。彼が相手に気に入られるようになるには、相手から似たところを借りてくることによってだけである。ところで、もし女性たちが与えられる教育によって、観念の力や正しさよりも軽薄さや魅力のほうを多く持たざるをないならば、私達〔男性〕の精神はしたがって、彼女等の精神に合わせて、同じ悪徳をこうむらざるを得ない。

そうならないための保障は二つしかない。第一は、女性の教育を改善して、その魂をより高尚に、その精神をより広大にすることである。もし教師が愛されていたならば、またもし女性の手が私達の魂のなかに精神と徳の種をおいたならば、疑いなく最も偉大な事柄に高められたであろう。第二の(確かに私が勧めるものではないが)方法は、女性から羞恥心の残りを取り除くことであって、その供犠によって、彼女等はその恋人の永遠の崇拝対象となる要求権を得ている。その羞恥心を除けば女性たちの好意はよりありきたりとなって、有難味が減るようにみえるであろう。そのとき男性たちはより独立し、より賢くなり、女性のもとにいても恋愛の快楽にあてられる時間しか失わず、したがって研究と省察によって自らの精神を拡げ強められよう。女性崇拝に身を捧げるすべての民族すべての国においては、女性をローマ人女性にするかサルタンの側室にするかしなければならない。この二つのどっちつかずは最も危ない。

以上に私が言ったことから証明されるのは、諸民族の性格、その天分とその趣味が驚くほど多様であるのは、その統治が、したがってまたその利害関心が多様であるためだということである。ときおり一般的評価に対して一致点が認められるのは、たとえば軍事学が、ほとんどすべての民族において第一の学とみなされるのは、偉大な大将が少なくとも普遍的で変わらぬ平和の信約までは、最も有用な人であるであるからである。この講和がひとたび確立すると、学問、法律、文芸、および芸術の著名人たちに、異議なく、世界最大の大将よりも優越が与えられよう。そこから私は結論するが、各国民において、その評価の唯一の配分者は一般的利害関心なのである。

次に〔次章で〕私が証明したいのは、諸国民がそのいろいろな習俗、習慣と性格に対して、正当ないし不当な軽蔑を常に互いに抱くのは、まさに同じ原因に帰されるべきだ、ということである。

 

 

【原注】(n) 彼等自身の虚栄や無数のへつらいの賛辞に誘惑されて、彼等の最も凡庸な者も、その分野ですぐれていない者すべてより、少なくともとても上にいると思い込む。才人も競走者と同様であることを彼等は感じ取らない。某は走らない、と彼等は仲間内で言う。しかしながら走ってそれに達するのは無能な者でもありきたりの者でもない。

自分の富にかくもうぬぼれた大部分の凡庸な精神の人々に関して沈黙するのは、彼等を実例に出すことを思いさえしないからである。私達の考察における沈黙は常に悪いしるしである。私達の優越が仕返しされることはないということである。賛辞に値しない人々についてはほとんど悪口も言われない。

(0) 彼等はときおり善良な人々を装う。しかしその親切を通して、ディオゲネスのマントの穴を通してと同様、虚栄心が見える3)

(p) ある日モンテスキュー裁判長が言った。「社交界に出たら私は才人と言われ、要路の人々からかなり好都合なもてなしを受けました。でも『ペルシャ人の手紙』の成功で、たぶん才気があることを証明して、公衆の側からなんらかの評価を得てみると、要路にある人々の側は冷淡になりました。むちゃくちゃ嫌われたのです」。彼はさらに言った。「有名人の評判に内心傷ついているので、その者を卑しめるのは復讐するためということを、他人が褒め称えるのを我慢強く耐えるには、自分自身がおおいに賛辞に値しなければならないということを、考慮してください」。

 

【訳注】 1) チィルス、シドン(サイダ)はともにフェニキアの貿易港として栄えた町。現在はレバノン。

2)    原書ではbachaだがpachaと解した。パシャはオスマン帝国の地方総監、またはイスラム諸国内の高官の敬称。


アンティステネスが着古した上着をひるがえして綻びたところを人目につくようにしたとき、これを目にしたソクラテスは、「その上着を通して、君の名声欲が僕にはちらつくね」と言った(ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシャ哲学者列伝(中)』岩波文庫、115頁)。(犬儒派の)ディオゲネスにありそうな話なのでとり間違えたのであろう。


添付画像


◆画像をクリックして「Amazon通販」より仲島先生の本が購入できます。 ↓



哲学史

哲学史

仲島 陽一 | 2018/4/1
28ポイント(1%)
通常配送料無料
一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です。
こちらからもご購入いただけます
¥1,063(29点の中古品と新品)
共感の思想史
66ポイント(3%)
 2023/1/22 日曜日までにお届け
通常配送料無料
残り1点(入荷予定あり)
こちらからもご購入いただけます
¥1,000(16点の中古品と新品)
両性平等論 (叢書・ウニベルシタス)

両性平等論 (叢書・ウニベルシタス)

フランソワ・プーラン ド・ラ・バール, Francois Poulain de la Barre | 1997/7/1
40ポイント(1%)
 明日, 1月21日, 8:00 - 12:00までにお届け
通常配送料無料
残り1点(入荷予定あり)
こちらからもご購入いただけます
¥1,685(11点の中古品と新品)
共感を考える

共感を考える

仲島 陽一 | 2015/10/1
22ポイント(1%)
 明日, 1月21日, 8:00 - 12:00までにお届け
通常配送料無料
残り1点(入荷予定あり)
こちらからもご購入いただけます
¥1,680(9点の中古品と新品)
入門経済学
 明日, 1月21日, 8:00 - 12:00までにお届け
通常配送料無料
ルソーと人間の倫理: 自由・平等・友愛に向かって
112ポイント(4%)
 明日, 1月21日, 8:00 - 12:00までにお届け
通常配送料無料
残り1点(入荷予定あり)
こちらからもご購入いただけます
¥2,125(14点の中古品と新品)
入門 政治学―政治の思想・理論・実態
92ポイント(4%)
 2023/1/22 日曜日までにお届け
通常配送料無料
残り1点(入荷予定あり)
こちらからもご購入いただけます
¥1,253(16点の中古品と新品)
ルソーの理論―悪の原因と克服
32ポイント(1%)
 明日, 1月21日, 8:00 - 12:00までにお届け
通常配送料無料
残り1点 ご注文はお早めに
こちらからもご購入いただけます
¥1,734(5点の中古品と新品)
2015/06/20 12:20 2015/06/20 12:20
この記事にはトラックバックの転送ができません。
YOUR COMMENT IS THE CRITICAL SUCCESS FACTOR FOR THE QUALITY OF BLOG POST