精神論〔1758年〕

エルヴェシウス著、仲島陽一訳

 

第三部 20章 徳への軽蔑と徳に対して装われる偽りの評価について:専制主義の第三の結果

 

 前の諸章で証明したように、大臣たちの無知が専制的な統治形態の必然的帰結であるならば、そうした諸国において徳に対して滑稽さが投げつけられるのも、同様にその結果であるようにみえる。

 ペルシャ人の尊大な食事において、スパルタ人の粗食と粗野が嘲られることが疑えようか。また宦官たちの控えの間にはいつくばって彼等のもてあそびものになるという恥ずべき名誉をそこで得ようとすることに慣れた廷臣たちが、〔ペルシャの〕大王の前に平伏するが、そういうことからギリシャ人を守った高貴な自尊心に、ペルシャ人が獰猛という名を与えたことを、疑えようか。

 奴隷の民は必然的に、大胆、大度、無私、生命の軽視、要するに祖国と自由への極度の愛に基づくすべての徳を嘲るに違いない。ペルシャでは、ギリシャ人の徳に心打たれて彼等に似るように、また政府の迅速な改革によって、徳が軽蔑されている帝国が遠からず破滅することを防ぐように勧告する有徳な臣民はみな、馬鹿者、君主の敵として扱われざるを得ない(a)。ペルシャ人は、自らを卑しいとみなさないために、ギリシャ人を滑稽とみなさざるを得ない。私達は自分自身を生き生きと刺激する感情によってしかけっして心うたれることはない。人が公民であるところではどこでも尊崇の対象である偉大な公民は、専制的な政府にあっては馬鹿者としてしか通用しまい。

  私達ヨーロッパ人にあっては、ギリシャ人の英雄主義よりも東洋人の卑しさからさらに離れているが、もしも偉大な行為があらゆる時代の称賛によって聖別されているのでなければ、どれだけ多くの偉大な行為が愚かなものとして通されてしまうことであろう! この称賛なしでは、マンティネイア1)の戦いの前にアギス王2)がラケダイモンの民から受け取った次の命令を、誰が滑稽なものとしてひくであろうか。「数の利を用いるな、隊の一部を戻せ、等しい力でだけ敵と戦え」。アルギネイウスの日に、ラケダイモン海軍の将カリクラティダス3)が行った返答も同様に無分別なものとして扱われよう。ヘルモンは彼に、アテネの水軍とあまりに釣り合わない兵力で戦わないように勧めた。彼は次のように答えた。「その帰結がわが祖国にかくも忌々しくなるような勧めに、私が従ったりしないように! スパルタはけっしてその将軍によって不名誉とされることはあるまい。わが軍とともに私が勝つか滅びるかするのはここだ。今日まで、数については知らされず、敵が野営している場所だけを知らされた人々に、退却の技術を教えるのがカリクラティダスであってよいものか」。かくも高貴でかくも高尚な答えは、大部分の人には馬鹿げてみえるであろう。カリクラティダスのように、スパルタ人にあって、彼等を不敗にした大胆な頑固さを保つことがどんなに重要であるかを感じるほど、魂の十分な高揚と、十分に深い政治の知識を、どんな人々が持っていよう。この英雄が知っていたのは、勇気と栄光の感情を彼等の中で養うのにたえず配慮して、過度の思慮は彼等の鋭敏さを柔弱にしかねず、ある民は疑念を持つような徳は持たない、ということであった。

 十分に長期的に考えない政治屋は、常に目の前の危険にあまりに強く気を取られる。各々の行為を互いに結び付けている鎖から独立にそれを考えることに慣れてしまい、ある徳の過剰から一つの民を矯正しようと考えるときに、その民の成功と栄光とが結びついている守護神を取り除くことしかしないのがしばしばである。

 それゆえこうした行為のために保存される現在の称賛は、古い称賛のおかげを蒙っている。それでもこの称賛は、偽善的で偏見の称賛である。実感される称賛ならば、必然的に人を模倣に導くであろう。

 ところで、栄光に対して情熱的だと自称する人々の間でさえ、どんな人が、自分の武勇や有能さにまったくよるのでない勝利に赤面するであろうか。救済者アンティオコス4)〔のような人〕がたくさんいるだろうか。この君主は、ガラテア人の敗北は、自分の象たちが思いがけず現れたことで彼等の隊列が陥った恐怖のためだけだと感じている。彼は自らの勝利の冠に涙を流し、そして戦場で、トロフィを自分の象たちにあげさせる。

 人はゲロン5)の寛大さをほめる。カルタゴ人の数知れぬ軍の壊滅の後、敗者が最も厳しい条件を予期していたとき、この君主は屈したカルタゴに、彼等が自分たちのこどもをサトゥルヌス神に捧げるという蛮行を廃止することしか要求しなかった。しかし、自らの勝利を利用しようとしたのは、たぶん人類のためにかつてなされた唯一の条約を結ぶためにだけである。これだけ多くの称賛者のなかで、なぜゲロンは模倣者を持たないのか。無数の英雄が次々にアジアを征服した。しかしながら、人類の禍悪に感じ入って、専制主義の東洋人を押しつぶしている悲惨と卑屈の重荷から彼等を解放するために、自らの勝利を利用した者は誰もいない。彼等の誰も、こうした苦痛と涙のすみかを破壊しなかった。そこでは嫉妬心から君主の快楽を守るために使われる不幸な人々で無慈悲に毀損され、またたえず甦るがたえず不能な欲望にさいなまれる罰を宣告される。それゆえゲロンの行為に対しては偽善者あるいは偏見の評価しか抱かれない。

 私達は武勇を徳とするがスパルタにおいてそうだったほどではない。だから要塞化された町をみてもラケダイモン人ほどには軽蔑の感情を体験しない。彼等の何人かは、コリントの城塞の下を通るときに「どんな女たちがこのポリスには住んでいるのか」と尋ねた。彼等はまた言った。「これらの卑しく怯惰な人々は、敵が入り込めない城壁だけが死に定められた市民であることを知らないのか」。多大な勇気と高尚な魂の持ち主は、戦闘的な共和国のなかでしかみられない。私達がそこに対してどんな愛に動かされていようと、戦闘で殺された息子を失った後に、生き残った息子に、祖国の敗北の後に生き延びたことで責める母をみることはあるまい。そうした有徳なラケダイモン女性を模範にすることはあるまい。レウクトラの戦い6)の後逃げることができる男たちを腹に宿したことを恥じて、こどもらが殺戮を免れていた女たちは家の奥に引き込み、哀悼と沈黙のなかにいた。反対に息子たちが戦死した母たちは、喜びに満ち花冠を頭上にし、神殿に行って神々に感謝した。

 私達は戦士たちがどんなに勇敢でも、スイス人のように、サン=ジャック=ロピタルの戦い(b)で、八千の兵を失いながら勝利した六十万人の軍の力を、一万二千人の一隊が支えるのをみることはもはやあるまい。この日の殺戮を免れ、これほど光栄な敗北の知らせをもたらしに来た十人の兵を、卑怯者として扱い、そのため極刑を通告した政府を、もはやみることはあるまい。

 もし欧州においてさえ、このような行為と似たような徳に対して不毛な称賛しかもはやないならば、東洋諸民族は、まさにこの徳に対してどんな軽蔑を持つに違いないであろうか。東洋諸国の住民の魂は卑しく悪徳である。ところで、有徳な人々がもはや一国民に範を示すに十分に多数でなくなると、その国民は必然的に堕落した人々から手本を受け取ることになる。後者は、自分が体験しない感情を滑稽化することに常に利害関心を持ち、有徳な人々を黙らせる。不幸なことであるが、まわりの人々の騒音に屈せず、自国民の軽蔑をものともしない勇気を持ち、ある程度の卑しさまで落ちた国民からの評価は喜ばしいよりも不名誉であると感じるような人は、きわめて少ない。

 アンティオコス7)の宮廷でハンニバルがほとんど評価されなかったことは、この偉人の不名誉になったか。卑怯にもプルシアス8)が彼をローマに売ったことは、この著名なカルタゴ人の栄光を傷つけたであろうか。それは後世の目からすれば、彼を〔ローマに〕委ねた王、評議会、民衆の名誉を奪っただけである。

私が述べたことの帰結は、専制的な帝国においては、徳への軽蔑しかなく、徳を敬うのは名前だけであることである。もし毎月それが呼び起こされ公民に要求されるならば、その場合には、徳も真理と同じで、それを黙らせるのに十分に慎重であるという条件で求められるのである。

 

【原注】

(a)三百のスパルタ人がテルモピレーの峠を守っていたとき、アルカディアの脱走兵たちが〔ペルシャ王〕クセルクセスにオリンピック競技の話をした。あるペルシャの領主は叫んだ。「どんな男たちと、我等は戦おうとしているのか ! 利害には無関心で、栄光だけに餓えているとは」。

(b)ルイ十一世の歴史においてデュクロ氏が語るところでは、スイス勢は三千の数で、一万四千のフランス勢と八千のイギリス勢とから構成された皇太子の軍にひるまなかった。この戦いはボツテレン近くで行われ、スイス勢はそこでほぼ全滅した。

モールガルテンの戦いで、千三百のスイス勢は、二万人で構成されたレオボルド大公の軍を敗走させた。

 クラリス州のヴェーゼン近くで、三百五十のスイス勢が八千のオーストリア勢を破った。毎年その戦場で記念祭が行われている。ある弁論家が称賛演説をつくり、三百五十の名の一覧が読まれる。

 

【訳注】

1)    マンティネイア(Mantineia)はギリシャの町。アルカディアにある。BC.362、テーベとスパルタが戦い、テーベのエバミノンダスが戦傷死。

2)    アギスはスパルタ王。初代は伝説的。二代(在位BC.427-399)、三代(在位BC.338-330)。四代(Agis ,c.BC.262-241)は社会的平等のため負債の帳消し、私有地の分割を企てた。

3)    カリクラティダス(Callicratidas, ?-BC.406)はスパルタの将軍。

4)    アンティオコス(Antiochos,BC.323-261)はマケドニア系のシリア王ケルト人を防いだがエジプトのプトレマイオス二世に敗れて多くの領土を奪われた。

5)    ゲロン(Geon,c.BC.540-478)はシチリア島のシラクサの僭主となり国を富ましカルタゴ軍を破った。

6)    レゥクトラの戦いではBC.386.テーベがスパルタを破った。

7)    アンティオコス(Antiochos megas,c.BC.242-187 )はシリアの王。亡命してきたハンニバルを客分とし、反ローマの忠告を受けた。

8) プルシアス(Prusias,BC.237-183)はピチュニアの王。対ローマ戦で一時ハンニバルを受け入れた。


添付画像
ハンニバルの紙幣(5チュニジア・ディナール)





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