床屋道話59 私のカルチャー・ショック(その1)

二言居士

 

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 1976年、高校二年の夏のことである。ある用件で出かけ、乗り換えの本厚木駅の蕎麦屋に昼食に入った。食べながら大きなテレビを見た。はじめて見る番組だった。新婚夫婦に話を聞いていた。神奈川県で流れているということは全国放送なのだろうが、流ちょうには理解できない大阪弁のままだった。だがそれ以上に、内容に仰天した。

なれそめやつきあいの話だが、そんなことを見ず知らずの人に、それもテレビの前で言ったり聞いたりすることにである。つまりプライバシーだ。ひとに聞かれたくない、したがって聞くべきでないことなのではないか。だんだんわかってきたのは、どうもこれは関東と関西の文化的違いであるようで、このような番組は関西系に多い。番組としてのはじめは「夫婦善哉」(1955年、ラジオ、ミヤコ蝶々・南都雄二)で、「おもろい夫婦」(京唄子・鳳啓介)、「新婚さんいらっしゃい」(旧桂三枝、小生がみたのはたぶんこれ)から、現在なら明石家さんまの番組と続く。恋愛や結婚・離婚(についての意見でなく)の実体験は一番語りにくい、あるいは語りたくないところだろうに、そこをこそぐいぐい聞いてくる。のようなので、その司会者の伝記も少しのぞいてみたが、そこへらん、世の中の抵抗はなかったのか、という小生が知りたいことについては書かれていなかった。

蕎麦屋で見た番組でさらに驚いたのは、新婦が、まだ未確定の付き合いで、遊びに新郎の実家に連れていかれたとき、かなり富裕な豪農であるのを見て、それでこれは結婚を決めなければと意を決したと話したことである。ずいぶん現金な話である。これもだんだんわかったのだが、関西人は話を「盛る」のが好きで、また自虐的落ちとして笑いが取れるという計算もあろう。それにてもこてこての(というのは関西弁だが)関東人なら、ほぼ絶対にこういうことは言わないだろう。仮に事実として同じだったとしても、そういうことは人に言うことではないのである。なんでやねん(と関西人がつっこむ)。それは恥ずべきことであり、せめて口に出さないのが人間の尊厳、矜持、廉恥心であると答えられよう。やんやそれ。偉そうなこと言うて。だから東京もんはええかっこしいですかんわ。人間みんなちょぼちょぼやあらへんか。と関西人の「口撃」は続く。だが関東人はそうは思わない。多くの人間が、いや自分が実際はそう立派ではないにしても、だからこそ、そんなもんや、と居直ってしまうのでなく、それを恥ずかしく思うことが、せめて必要なことではないか、と考える。

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私生活については一切語らない「タレント」もおり、渥美清などが有名である。だがこの問題についてあまり論じられているようには思われない。

一般にSNSなどを通じ私生活の公表は広まっていよう。料理や服や化粧の写真、イベント参加の報告や日々の感想など、多少の自慢や毒があっても、微笑や苦笑で済むものがほとんどはある。しかしそのなかではじらいの意識が消えていくことや個人情報さらす危険への無自覚は、問題ではあるまいか。そしてそのことは狙われている。狙うのは国家であり、企業である。そのことは第47回(「中国の脅威」)・第49回(「ひみつきち」)でも触れた。

日本全体が「関西化」しているのだろうか。保険証や免許証を取り上げて「マイナンバーカード」を強制するなどはもってのほかと思うのだが。そしてそれに(ホリエモンのように推進を急がせる声のなかで)、異論を敢えて発言する「タレント」などもちらほらと出てはいるが、反対の大運動などは起こらないのだろうか






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