床屋道話60 保守かリベラルか

二言居士

 

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 半世紀前までは、保守か革新か、という図式であったが、現代日本ではこのように設問されるのが多い。お前はどうかと問われれば、ずばりどちらかではない。強いてどちら寄りかと迫られれば、リベラル寄りであろう。

 そもそも保守とは何を保守するのか。一般的に答えられるのは、家族・国家・宗教(心)などである。逆に言えばそれを崩すと考えられるのが個人主義であり、その側に立つのがリベラルとみなされる。そこで小生は考えてしまう。つまり「個人主義」にはあまり賛成できないからだ。イエ制度には反対である。国家主義はもとより、「国」と区別される意味での「国家」にも否定的である。ある意味では「戦闘的無神論」者でもあろう。それでも、家族や国を大切にすることにはまったく違和感がなく、みんなとおんなじで快い「日本教徒」かもしれない。一般に心性的には「守旧派」であり、安全・安心・安定が好きだ。そのような意味では自分は保守派寄りになろう。

 ただ問題は「現代日本のいわゆる保守派」つまり反動派は、そのような価値観を法制度や社会的圧力で他人に強制することである。彼等の新憲法案では、家族を「基本的単位」と規定する。憲法でそう決められてしまえば、介護などで(国や自治体に頼らず)家族に犠牲を押し付ける法律などが正当化されるほか、結婚しない者は半端者、こどもを生んで一人前、といった社会的圧力にお墨付きを与えよう。家族を大切にするには、同性愛者を「生産性がない」などと差別するようなことでなく、安心して結婚や出産ができるように、非正規雇用や長時間労働を減らすことである。安倍内閣の教育基本法改定で「国を愛する態度」が教育の目的に加わった。祖国愛は好ましいと小生は考えるが、法律で規定し、たとえば国歌を歌わない者を処分するといったいまのやり方は逆効果である。そんな法律をつくることでなく、政治家の務めは、国民の多くが(法律で強制されなくても自然に)愛せるような国をつくっていくことでなければならない。価値観や思想を強制しないことが、「リベラル」の最も根幹の部分である。よって小生は、保守的な心情を持ちながらも、しいてどちらかと聞かれればリベラル寄りであると答えることになる。



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