床屋道話61 リベラルかネオリベか

二言居士

 

 前回、現代日本では、保守かリベラルか、という対抗図式があると言ったが、リベラリズム(自由主義)かネオリベラリズム(新自由主義)か、という対抗もある。「保守」に対する「リベラル」だと(国家などに強制されないという)消極的自由を重視する個人主義の面が強いが、ここでは積極的自由の評価として、権利や生活の公的保証をよしとする思想となる。これに対して新自由主義(ネオリベ)は私人と私企業のできる限りの自由をよしとする。具体的には両者はどう違うのか。

 「ブラック企業」の例で考えよう。両者ともそれがいいとは考えない。ただどうすればよいかと問うと答えは異なる。リベラルでは、これを規制する法をつくれとまず言うであろう。悪を禁ずるのは当然のように思われるが、ネオリベはそうは考えない。そんな企業はやめる人が増えはいる人は減るから自然に淘汰されるとまず言う。(ネオリベはダーウィニズムが大好きである。)次に、そのように無駄なのに禁止することは自由の侵害であるからよくないという。(彼等は、自分達こそ真の「自由主義者」であると言うことも少なくない。)第三に彼等は言う。法をつくることは金がかかる。また法がつくられても破る奴は必ずいるから、それを監視するために、または告発を受け付けるために、そして違反者を裁いたり罰したりするためにまた金がかかる。そうした金はつまり税金から出るので、税負担が増す。大きな政府反対! と彼等らは叫ぶ。以上はなるほどと思いそうな理屈である。しかしもう少し考える必要がある。ブラック企業であるからにはすでに犠牲者が出ている。政府が規制しないならそれは続く。そういうとネオリベはこう反論する。ブラックであるかどうかは調べればわかるはずだ。そうした努力をしないで騙されたとか言うのは自己責任(これもネオリベの好きな用語)だと。まず確認したいのは自らわが社はブラックですという企業はないのでふつうに得る情報ではわからないことも多い。それでもよく調べれば絶対わからないということでもないので、自己責任がゼロとは言えない。しかしまたこの言い分の問題が二つある。一つは、情報獲得が上手でない者(情報弱者、略して「情弱」というそうな)が騙されても同情に値しないという、強者の立場の思想であることである。もう一つは、騙す側でなく騙される側を非難していることである。これも「騙される」側にも問題がゼロとは言えないが、騙す側がより悪いとするのがまっとうではあるまいか。ネオリベがそうならないことからみえてくる(あるいは理論武装したネオリベなら自ら言う)ことがある。ここでリベラル派は弱者や騙された者を非難するのは「悪い」と道徳的に否定しているが、そのような道徳的評価こそ、彼等は避けたいということである。その言い分には二つの形がある。1)道徳は無力である。強者が勝つというのが事実である。不満なら説教するのでなく賢くなれ、強くなれ(という社会ダーウィニズム)。2)道徳は価値観の押し付けである。我々は(「真の」)自由主義者として価値を押し付けるなと主張する。これもまた「論破」されそうだがやはり熟慮しよう。1)に対しては、社会ダーウィニズムは科学的真理であるかに装っているが実はそれ自体価値観であり、強者の思想である(そしてそれには反対だ)と言える。2)に対しては、「価値を押し付けるな」というのも事実言明でなくそのような価値の「押しつけ」なのだと言える。およそ(純粋な独り言や絶対ひとに見せない日記でもなく)他者にものをいう限り自分の価値を相手に(彼等の意味つまり最広義で)「押しつけ」ているのであり、問題はどのレベルで押し付けたいかということなのである。それにしても1)2)から浮かび上がってくるのは、彼等が価値づけの能力が乏しいか、価値づけが嫌いなことである。純粋に後者の場合の理由は容易に推測される。すなわち既に強者なのであるから、そのことの「善悪」をあげつらわれたくないので、そんなことを言ってもしょうがないとか負け犬の遠吠えだとか言いたいのである。これは卑劣な物言いであるが、前者の場合先天的なら同情の余地がありそうにみえはする。それでもそういう彼等の所与をスタンダード(あるいは彼の好きな言葉ではデオォルト)にせよという(価値の押し付けをする)なら、それを受け入れなければならないなどということはない。そういう(道徳感情の欠落した)者に対しては、残念ながら、彼等にも通じる(利害勘定の)態度でかかわる(私個人としてはできる限りでかかわらないようにする)しかあるまい。

 「保守かリベラルか」については小生は、どちらかに全面的に賛成はしなかった。しかしネオリベラリズム(現在の日本の政界では「維新の会」が典型)には小生はまったく反対であり、その否定こそ現代の重要課題であると考える。



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