難しい哲学書を読む(その四):哲学の現在20

仲島陽一

◇フッサール「デカルト的省察」(1931)

(船橋弘訳『世界の名著62』中央公論社、1980、による)

 

フッサール全般についての紹介と批判は、拙著『哲学史』(「22フッサールとハイデガー」、行人社、2018)で述べた。

この論考で彼は、デカルトの「理念の目標は、哲学を、絶対的に基礎づけられた学問にする」ことだとして、彼自身もその道を進んでいると宣言する(179頁)。しかしこれはまさにデカルトが間違っているところである。前掲拙著139および144-145頁をみられたい。フッサール哲学(あるいはそれに依拠するものならば「現象学」一般)は出発点が間違っている。

また彼はデカルトに賛成して、「あらゆる学問は、哲学の体系的統一においてのみ、真の学問になる」(180頁)と主張する。これにも賛成できない。多くの「学問」はそれまでの「哲学」から独立することによって有効な「科学」になった。これからの「哲学」の出番としては、こうした(哲学から独立した)諸学の成果のほうを「基礎」として世界や人生について考察することであって、フッサールの考えは順序がまるで逆である。彼の言う「真の学問」が科学や経験を基礎とせず「主観のほうへ方向転換した哲学」(同頁)ならば、壁を睨んだり自分のへそを眺めたりして悟れると思うインド人のようなもので、空回りもいいところである。

「実証諸科学は、デカルトの省察から絶対的に合理的な基礎付けを得るべきであった」と彼は主張する(182頁)。とんでもない。そのようなものを放棄したことで、実証諸科学は成立したのである。このためそれらは「その発展が大いに阻害されている」と続けるのもまったく事実ではない。実証諸科学はいまも(そう言いたければ「よくも悪くも」)おおいに発展し続けている。フッサールはデカルトの位置づけとして、「素朴な客観主義から先験的主観主義へと徹底的に転換した」(183頁)とする。デカルト(的方法)以前を「素朴な客観主義」(あるいは「素朴唯物論」)とひとくくりにするのは、現象学者(および非唯物論者)がよく行う、虚偽である。また「素朴な客観主義」は確かに学問的ではないが、それを克服するのは「先験的主観主義」ではなくて実践的な物質説である。フッサールは哲学の統一がないことを嘆く。これも嘆くのが不当である。なぜなら哲学はまさに実証科学ではないからである。むしろ「哲学者の数とほとんど同数の多くの哲学がある」(183-184頁)のは喜ばしいことであり、ただ一つの哲学をつくろうとするのは危険で有害な思想である。

デカルトが、幾何学を学問の思想としたのは「宿命的な偏見」であるとフッサールが言う(186頁)のは着目に値する。確かにそれは少なくとも偏った学問観であった。また彼が、目指すべき「普遍的学問」が「公理的基礎」のうえに「演繹的体系という形態を」とらなければないないとしたデカルトを受け入れない(同)のももっともである。フッサールは「真の学問」の「理念」は、「判断を基礎づける」ことであると言う(190頁)。これは少しわかりにくい。ふつうは「正しい判断」すなわち真理を得ることと考えられようし、私もそれでよいと考える。彼がこの「基礎付け」を「判断と判断対象〔事実ないし事態〕そのものとの一致」の立証とすることはわかる。しかしそれに「明証」を絡めてくることでわからなくなる。やはり、明証的とされる公理からの演繹となってしまうのか。フッサールは「存在するものの全体」と妥当な定義を与える(198頁)「世界」の「存在」の明証は必当然的でないと言う。もしこれを私の言葉で「世界が実在するという意識は自然的だが、その判断が真理であるかどうかは明証的でない」と言い換えて構わないなら(同頁下段からはそのように思われるが)、支持する。さてそこで彼は「客観的世界」に対して「判断中止」またはそれを「括弧に入れる」ことを求める(200頁)。そのことへの不満は拙書で述べた(298-299頁)。デカルトに対しては、「われ思う」から出発することは認めながら、「帰納的に基礎づけられる仮定とも協力」すべき学問に、この「われ思う」が基礎を提供すべきものとみなすような、「数学的自然科学への賛嘆から生まれた」「偏見」を批判する(204頁)。典型的に標的となるのはスピノザである(205頁訳注)が、この批判は正しい。

とはいえ、フッサール自身の「省察」が正しい道を進んだとは思われないのだが、誌面が尽きてしまった。


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