「闘争本能」というものはない:哲学の現在21

仲島陽一

 

ガザでも戦争が始まった。大量虐殺と言うほうが実態に近いが、ハマスも戦っている以上は戦争でもあろう。多くの人はそれを悲しんでいる。そして少なくない者は、なぜ人は争うのか、戦争の原因は何かと問う。

こう答える者がいる。生き物には「闘争本能」があるから。しかしこれは正しくない。そもそも「闘争本能」というものは実在しない。

生き物の世界には闘争がある。これは事実である。しかしまず、獅子が牛を襲って食うというような「食物連鎖」はある種と他の種との関係性であって、同種間の「戦争」とは別問題である。例外的状況でなしに、同種の他個体を殺そうとする「戦争」を行う生物種はごく少数である。

同種内での「闘争」が例外的と言っているのではない。しかし彼等が戦うのは、食糧、雌、なわばりの占有、あるいはそれに関する「地位」の獲得という目的のためである。食べること自体などは本能であるが、「闘争」はその一手段であり、争わなくても目的が得られる場合に危険を冒して戦うことはない。ヒトと最も近い生物種の一つであるボノボについてドイツ霊長類センターなどは、群れの垣根を越えて協力することを確認し、「戦争は進化的必然ではない」と述べている(米科学誌『サイエンス』2023.11.16.)。もう一つの最近縁種であるチンパンジーはけんかっ早いことが知られているが、やはり戦い自体が目的ではない。また近年ド=ヴァ―ルらが明らかにしているのは、類人猿で種内の戦いがあっても、それ(あるいはバトル以前の力や地位の誇示や示威)によって勝ち負けが判明(し餌や縄張りなどを得る側が確定)すると「仲直りの儀式」で終わるという。

ただヒトは同種内で「戦争」をする例外的な生き物ではある。生物一般にはないにしても、ヒトには「闘争本能」があるのだろうか。しかし「ヒト」が生まれてからいままでの99%は「戦争」のない時代であった。その後でもたとえば江戸時代の二百五十年はなぜ平和で、倒幕の戊辰戦争以来の八十年間はなぜ十年ごとに戦争をしたのか、ということからも、戦争の原因を「闘争本能」にでなく社会的要因に求めるのが正しいことがわかるであろう。それでも「永遠平和」は実現しなかった、というのは悪しき「哲学的」屁理屈である。二百五十年の平和が実現したからには、二千五百年の平和も少なくとも生物学的に不可能ではない、と言えば当面の議論には足りる。またこんな「哲学的」屁理屈を持ち出す者もいるかもしれない。戦争をしなくても人間はスポーツや勝負事をやめられまい、「闘争本能」があるしるしだ、と。これは「闘争」の定義の問題になるが、いまの問題にとっては無効な屁理屈である。戦争をやめてサッカーや将棋に替えるならけっこうなことで、戦争は必然でないことになるからである。

なぜこの間違いがあるのか。一つの理由はてっとり早い「説明」だからである。戦争一般の原因を簡単でわかりやすく言うことは難しいが、本能だからと言ってしまえば手軽にわかった気になれる。科学以前の中世哲学が「隠れた性質」を持ち出したのもそれだが、科学が成立・発展しても、DNAや「〇〇の遺伝子」による安直で誤った「説明」も少なくない。

その意味でももう一つの理由が重要である。つまりこれは「現代の神話」の一つである。神話は疑似科学であるとともに、それを人々に「信仰」させることに利害を持つ者が広める。古代の神話は、支配に素直な「善人」が救われて天国に行き、逆らう「悪人」は地獄で苦しむと思いこませて、民衆を精神的に支配した。そして本来の哲学は神話との闘いであり、神話からの解放であった。アナクサゴラスが「太陽は燃えている石である」と言って迫害されたのは、当時の天文知識に反していたからでなく、太陽神(ゼウス)信仰を重要部分とする体制イデオロギーを脅かす危険思想とみなされたからである。「現代の神話」も同様である。「戦争は闘争本能の表れだ」という神話は、平和主義・平和運動・平和憲法に反対する人々に役立つイデオロギーである。彼等は、平和でなく強い国家や軍拡を進めたいのである。たしかに平和を単に「望ん」だり「祈っ」たりするだけで戦争はなくせないが、そのことの指摘と、平和主義への反対や嘲笑とは別の話である。俗流「哲学」や悪しき哲学は、神話と闘うどころかそれに乗っかったり再生産に手を貸したりする。しかし「本来の」哲学にとっては、諸科学からも学んで、各種の「現代の神話」と闘うことは、まさに「哲学の現在」でもありまた哲学永遠の課題でもある。



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仲島 陽一 | 2018/4/1
両性平等論 (叢書・ウニベルシタス)

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フランソワ・プーラン ド・ラ・バール, Francois Poulain de la Barre | 1997/7/1
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仲島 陽一 | 2015/10/1

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2024/10/05 14:46 2024/10/05 14:46
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