床屋道話70 スパイ大作戦

二言居士

 

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 今年はじめて、映画「ミッション・インポシブル」を見た。映画ファンでなく特に洋画はあまり見ないのだが、シリーズ化された人気ものということで気にはなっていた。その第一作をテレビで放映したのは、シリーズ最新作が封切られ、主演俳優のトム・クルーズも来日した機を見てだろう。それによって小生も初視聴したわけだが、それでいろいろなことがわかりまた思った。

 その多くは、えっ、いまさら、と思われそうなものだ。第一にこれが、「スパイ・アクションもの」の映画であること。第二に、テレビドラマ「スパイ大作戦」からの映画化でそれを継いでいること。このテレビドラマは日本でも人気で、小生は見なかったのだが、それでもあああれはこれからだったのか、といまさら腑に落ちた。まずは主題曲。別のいろいろなところでも使われ、耳におおなじみだ。そしてあの名ぜりふ「なおこのテープは自動的に消滅する」。小学校でも言う奴がいたなあ。

驚いたのは、主人公がスパイであったことだ。スパイは悪役と思っていたので。「不可能な使命(ミッション・インポシブル)」を成功させるヒーローの仕事がスパイとは意外だった。夏目漱石は密偵が大嫌いだった。私生活でも「探られる」のを気に病んだが、作品でも、たとえば『彼岸過迄』では、狂言回しの人物がそんなふうな仕事をしてみたいというので、密偵を依頼される。報告した際、彼は「小刀細工をしてあとなんかつけるより、じかに会って聞きたいことだけ遠慮なく聞いたほうが」いいのではないかは付け加える。依頼者はこれに、それが「もっとも正当な方法」で「そこに気がついていれば立派なものです」と言い、人物を見損なっていたと謝罪する。これは漱石自身の思想である。

そしてまっとうな思想である。知りたいことは当人に聞けばよい。さもなければ当人が公表した、または当人の同意のうえで公表された資料にあたるがよい。当人が隠しておくことや知られたくないことは、知らずにいるのがよい。しかし犯罪捜査など、当人の意に反しても公益のため知る必要がある場合もある、と言われようか。小生は「探偵小説」は必ずしも嫌いではない。その際「探偵」と(日本語としての)「スパイ」の語感や用法が異なるのは興味深い。「探偵」ものでも小生がよしとするのは、丹念な、しかし合法的な情報収集や、しかしさらに思考力によって犯人その他隠された事実をつきとめるものである。「スパイ(する)」という日本語は、のぞき見や盗み聞きなどの「礼」に反する行為に始まり、ときには明らかな不法行為も含む語である。語のこうした慣用にしたがって、小生は、必要な探偵行為の存在は認めるがスパイはよくない、恥ずべきわざだ、という言明を改めない。

いま政府や一部「野党」は、「スパイ防止法」の制定に動いている。スパイ嫌いの小生は大賛成か? ――いや、大反対である。なぜか。

まずスパイ活動の一部としての不法行為は既に刑法その他による処罰規定がある。「産業スパイ」を防

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ぐための法的措置や、公務員、特に警察官や「自衛」官による情報漏洩を処罰する法律もある。あるべきでない「特定機密保護法」も近年制定された。これは「何が秘密かも秘密だ」と言われたような、権力者が自分に都合の悪いことを隠すための法、国民の知る権利を行使する者を犯罪者とする悪法である。そのうえでの「スパイ防止法」だ。真の目的を「探偵」しなければならない。

それはさほど「隠されて」もいない。前からその制定を強く推していたのは、あの統一教会である。いまそれを強く推しているのは、あの参政党である。「あの」の内容を知る者には、難しい推理ではない。

またそれを推す言説の、言葉の次元でも社会的次元でも「文脈」からもわかる。「外人たたき」に続いて「非国民狩り」という構図である。

次に歴史的経験からの推理である。反政府や反体制の者、いや少しでも従順でない者は、「外国のスパイ」と決めつけられたり疑われたりした。


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