三、『これからの経済学』(1991)
まず著者は、80年代の日本では、中曽根首相などによる反ケインズ政策がバブル経済化によって失敗した事を強調する。そして「八〇年代に墓場に葬られたはずのケインズ経済学は、南北格差の拡大、東欧激変という地殻変動の余勢を駆けて、いまふたたび、この世によみがえろうとしている」(19頁、31頁)と言うが、実際はそうならなかったことを私達は知っている。著者の予感ないし期待の根拠としては、バブル崩壊が80年代の「奢り高ぶる金融業」に神の鉄槌を下したようだと言い(33頁)、中曽根「民活」のNTTがリクルート疑惑で処分されたのに民意があったことをもちだす。しかしそれを「国民の倫理観」として評価する(48-49頁)のは、あささか甘かったのではないか。いまやリクルート疑惑のほうはそれなんだっけ、という感じなのに対し、「民営化」は錦の御旗で、財テク・マネーゲームを小学生から教えろという声さえ強い。「拝金主義、強者の論理、市場万能主義、等々によってかたどられた八〇年代の思想潮流」が「逆転」した(55頁)とは、これ以上ないほどの読み違えだったと言えよう。
反ケインズ革命の原因論にも戻ろう。著者は、「八〇年代の時代文脈が、『公正』重視のニューディール・リベラリズムを忌避し、その反面、『効率』重視の新保守主義に加担したからにほかならない」(23頁)と予約する。さもあろう。しかし知りたいのは、この「価値観の転換」の原因である。70年代前半の「ラディカル経済学」期の「価値規範」は、「貧困の撲滅、福祉の充実、自然環境の保存、差別なき社会の実現、等々」(26項)であったというが、これはどうみても(つまり社会主義を正しく理解したり賛成したりしていない人でも)反対しようのない正論であるように思える。なぜこれが(「現実化」しなかったかはともかく、「価値規範」として)力を失って、あるいは敗北してしまったのか、不思議で仕方がない。
この疑問に対して、著者は三つの理由を考えているように思われる。
Ⅰ:「オイル・ショックの衝撃」 石油危機(1973年)の影響を反ケインズ革命の理由とするのは教科書などにもみられるから、ある程度通説化しているのかもしれない。著者によればこの危機を乗り越えたのが政府(つまり計画)でなく企業(つまり市場)だからという(66-68項)。またそれが「衣食の足らぬ」状況を「人びと」に畏怖させ、「世論」がふたたび「私利私欲を追求する」世界へと「逆もどり」したからだという(170-172項)しかしこれは私の実感に反する。60年代末からじわじわと広がってきた「モーレツからビューティフルへ」「そんなに急いでどこへ行く」という気分は、むしろ石油危機によって後押しされたと感じてきたからである。確かに利潤追求を宿命づけられている私企業は、これに対し「減量経営」「効率至上主義」(172項)で対処したであろう。
つづく
◆仲島陽一の哲学の本◆
まず著者は、80年代の日本では、中曽根首相などによる反ケインズ政策がバブル経済化によって失敗した事を強調する。そして「八〇年代に墓場に葬られたはずのケインズ経済学は、南北格差の拡大、東欧激変という地殻変動の余勢を駆けて、いまふたたび、この世によみがえろうとしている」(19頁、31頁)と言うが、実際はそうならなかったことを私達は知っている。著者の予感ないし期待の根拠としては、バブル崩壊が80年代の「奢り高ぶる金融業」に神の鉄槌を下したようだと言い(33頁)、中曽根「民活」のNTTがリクルート疑惑で処分されたのに民意があったことをもちだす。しかしそれを「国民の倫理観」として評価する(48-49頁)のは、あささか甘かったのではないか。いまやリクルート疑惑のほうはそれなんだっけ、という感じなのに対し、「民営化」は錦の御旗で、財テク・マネーゲームを小学生から教えろという声さえ強い。「拝金主義、強者の論理、市場万能主義、等々によってかたどられた八〇年代の思想潮流」が「逆転」した(55頁)とは、これ以上ないほどの読み違えだったと言えよう。
反ケインズ革命の原因論にも戻ろう。著者は、「八〇年代の時代文脈が、『公正』重視のニューディール・リベラリズムを忌避し、その反面、『効率』重視の新保守主義に加担したからにほかならない」(23頁)と予約する。さもあろう。しかし知りたいのは、この「価値観の転換」の原因である。70年代前半の「ラディカル経済学」期の「価値規範」は、「貧困の撲滅、福祉の充実、自然環境の保存、差別なき社会の実現、等々」(26項)であったというが、これはどうみても(つまり社会主義を正しく理解したり賛成したりしていない人でも)反対しようのない正論であるように思える。なぜこれが(「現実化」しなかったかはともかく、「価値規範」として)力を失って、あるいは敗北してしまったのか、不思議で仕方がない。
この疑問に対して、著者は三つの理由を考えているように思われる。
Ⅰ:「オイル・ショックの衝撃」 石油危機(1973年)の影響を反ケインズ革命の理由とするのは教科書などにもみられるから、ある程度通説化しているのかもしれない。著者によればこの危機を乗り越えたのが政府(つまり計画)でなく企業(つまり市場)だからという(66-68項)。またそれが「衣食の足らぬ」状況を「人びと」に畏怖させ、「世論」がふたたび「私利私欲を追求する」世界へと「逆もどり」したからだという(170-172項)しかしこれは私の実感に反する。60年代末からじわじわと広がってきた「モーレツからビューティフルへ」「そんなに急いでどこへ行く」という気分は、むしろ石油危機によって後押しされたと感じてきたからである。確かに利潤追求を宿命づけられている私企業は、これに対し「減量経営」「効率至上主義」(172項)で対処したであろう。
つづく
◆仲島陽一の哲学の本◆
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