スパコン問題の根底にあるもの(床屋道話9)
二言居士
2009年の流行語として小生が期待していたのは、「二位じゃ駄目なんですか?」だった。言うまでもなく、事業仕分けで「世界一位を目指す」汎用スーパーコンピューター開発費についての、蓮舫議員の質問だ。もっともな疑問と小生には思えたが、当事者等から猛烈な反発も出たことで話題になった。あるノーベル賞学者は、「一位を目指さなければ二位や三位にもなれない」と語った。これにはあきれてしまった。こう言えば黙らせられると思っているのだろうか。小生はむしろ、じゃ四位じゃ駄目なんですか、とさらに尋ねたいのだが。
だんだん話を聞いてみると(以下、主に野依良治氏が『朝日新聞』12月3日付に書いている「1番目指してこその未来」を参考にした)、どうも問題は科学による「真理の探求」や無限の技術発展への「夢の追求」ということではなさそうだ。なぜ二番目では駄目かというと、三番目以降の国は(いや二番目になった場合の日本でさえ)一位のスパコンを借りて仕事をしなければ競争に負けてしまうからだという。また二番目以降はその利用の際に莫大な特許料を払わなければならないからだという。つまり問題は科学や技術ではなくて経済競争なのだ。
しかしここにいま少なからぬ人々が科学技術に対して以前ほど肯定的になれない理由がある。つまり多くの科学者や技術者が経済的利益や競争のとりこになってしまっており、それが「本当に人間に役立つ」科学技術をむしろ妨げているように思われる。
それにしても現にある経済競争を直視せよと言われるかもしれない。けれども野依氏が「米国や中国から買うことは、それらの国への従属を意味する」とか、「我が国においては、世界水準から抜きん出た科学技術の開発なくして未来はない」とか言うのは、誇張か我田引水の脅しではなかろうか。好意的に解釈するとしても、一等でなきゃ駄目だという強迫観念に取り付かれているのではなかろうか。「科学社会では、頑張れば負けてもいいという敗北主義は決して許されない。基礎科学では最初の発見者が全栄誉を得る」、という彼の発言には、現代科学が「勝ち負け」や「栄誉」の道具に成り下がり人間疎外の具になっている様を露呈しているのではないか。スパコンでいま四番目五番目の国民は貧困に苦しんでいるのか、不幸せなのか。
最も強い印象を受けた彼の言葉は、「一刻たりとも立ち止まる猶予はない」である。小生はそんな世の中には生きていたくない。いやそんな世の中にしないように力を尽くしたい。
科学技術の進歩に反対ではない。直接の効用が不明な基礎研究、さらに研究をたやさないための費用として国家が幾分かを出すことは認める。スパコン費そのものを論ずることがここでの主題ではない。しかし経済競争で勝つための科学技術、さらにそのためには「一刻たりとも立ち止まる猶予はない」構えで工業や金融の最先端にいなければならないという価値観を、これは見直すよいきっかけではなかろうか。「ナンバーワンにならなくていい」を既に多くの国民は(賢明にも)選び始めているのではないか。
09年の流行語として小生がもう一つ注目したのは「のギャル」だった。いろいろな意味で農業に目覚めたギャルたちが出現した現象を指す。「オンリーワン」も悪くはないが、どうしてもナンバーワンになりたいなら、ハイテクや金融(まして軍事)などは4位でも40位でもいい。農林水産業を甦らせ、競争力でなく人情の力を甦らせ、人間らしい国の一位を目指したらどうだろうか。ノーベル賞の科学者よりもおバカなギャルのほうが賢いこともあるのではないか。
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◆仲島陽一の哲学の本◆