近頃は落語がはやっている。これは結構なことだ。小生も落語は好きだ。数学のほうは、残念ながら「好きだ」と即答は出来ない。大事だと思うし関心も持っているが、どちらかと言えば苦手なほうだ。
落語で数学が学べるならうまい話だ、と思って手にしてみた。おもしろそうな話題を「つかみ」にして(落語式に言えば「枕にふって」)、読んでいくと途中で何がなんだかわからなくなってしまう理数系の本も多い。しかしこの本は最後まで、かつあまり苦労せずにほぼすらすらと読めた。
使われている数学は義務教育水準で理解できるものである。高度な理論や最先端の研究を求めてはならない。またこれを読めば自ずから数学力がつくというほど虫のよい注文をしてはならない。しかしこれを読むことによって、数学的な考え方に少しは親しむ事や、数字の使え方として注意すべきこと(それは数学の本質につながるが)に、新しく気がつくことがあるだろう。無論、いろいろな落語を楽しめる。
数学と落語と言うと、世間離れした登場人物という共通点を連想するかもしれない。事実奇天烈な天才数学者もいるが、著者はそういう意味での面白いエピソードには目もくれに。むしろ落語から(また学問から)、まっとうな生き方や考え方の大切さを熱心に汲もうとする。数学を使って株で「儲けなくても生きていけます。経済成長がなくなっても社会は幸せです。数字が教えてくれるでしょう」(118頁)と言う。勉強の最初は、習うほうの自由とか個性とかの入り込む隙はなく、昔の天才が開発した方法をひたすら覚える、その上で彼等の限界を知って、今ある問題を解決するために新しい事を開発する(213頁)、と言う。「教育で一番大事のことは、学校で何か学んでもそれだけでは何もできない、と言うことを教えることです」(214頁)と言う。
いま学ぶ(教える)べきはIT長者になる技術でなく、平凡でも人に騙されず、堅気に働き、まわりにやさしくすることだ、とこの数学者は語る。
(幻冬舎新書、2007、230頁、740円+税)

◆仲島陽一の哲学の本◆
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