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バクチの倫理(床屋道話11

 
 大相撲がゆれている。今回は野球賭博に関してである。
 
だが何が悪いのかとたとえばこどもの素朴な視点から問われると、答えはそんなにたやすくはない。この件に限定すれば暴力団がらみであるという点で、よくないことはわかりやすい。しかしでは暴力団なしなら野球賭博はいいのか。それでもバクチハよくないという。バクチは法律で厳しい規制があって原則禁止であり、今回の行為もヤクザ抜きでも違法行為すなわち犯罪になる。以上は法律論だ。そして「法律は守るべきだ」というのもいちおうの道徳規範ではあるが、「子供の素朴な視点」は「バクチはなぜ悪いの」がむしろ問題だ。そして法律も「原則禁止」であって実際にはいろいろなバクチが公認されている。競馬・競輪・競艇が典型だが、パチンコやスロット等もバクチである。「よいバクチ」と「悪いバクチ」の線引きはどう行われているのか。宝くじは自治体がかかわり、「サッカーくじ」にいたっては文部科学省が胴元になっているバクチである。場所を限定して賭博を認めている国(たとえばラスベガスのアメリカ)や一般の賭博にももっと自由な国(たとえばイギリス)もある。サッカーくじならいいが野球賭博は悪い理由を、「スポーツ振興」につながるかどうかで説明できるか。各国・各時代でつくられている「よい賭け事」と「悪い賭け事」の基準は「オトナの都合」ではなかろうか。(実際、戦後日本のギャンブル業界に関しては笹川良一という右翼の存在を抜きに語れない。)

 
だがこのような「賭け事の政治経済学」に訳知り風に立ち入るのはここではやめよう。こうした法的なブレが現れるもう一つの理由に、賭け事の許容の「道徳的な正しさ」をめぐる難点がある。すなわち賭博そのものは愚かな行為だとしても、明らかに他人の権利を侵害するのでなくてもそれをする自由を禁止することは正しくなく、「愚行権」も認めるべきだ、という意見もある。似た問題は麻薬の使用や売春行為等についてもあり、実は倫理思想のお決まりの論点の一つなのである。そしてこの問題についても今回は立ち入らないことにする。

 
またそもそも人生そのものが「賭け」なのだという哲学的ないし「実存的」論点もある。無論これにも深入りできないが、他の論点同様とるに足りないからではない。実際、言い訳や負け惜しみでなく本気で de bonne foi「人生は賭けだ」と信じつつバクチにのめりこんで自分や家族を破滅させる者もいる。こうした論理または倫理にどう対するかは重要な問題ではある。

 
これらのほかに私が持ち出したいのは、近年は社会そのものがバクチ化している、ということである。一般人のほかに「博徒」がいたり、日常生活の外によかれあしかれ「気晴らし」としてギャンブルがあったりするというより、一般人の日常生活そのものにバクチ的要素が強まっている、ということが、こうした問題の背景に考えられる。経済ではカジノ資本主義という用語でかなり定着したようだ。新自由主義の一つの側面および一つの帰結を示すと位置づけられる。従って新自由主義者はこの(言葉はともあれ)事柄には肯定的である。彼等は「貯蓄から投資へ」と煽る。株を買うのはバクチのようなものであり堅気でないと遠ざけるのは時代遅れの偏見であり、「リスクをとる」精神を進めよと号令する。ネット取引は無論、銀行や郵便局の窓口でもできるように「改革」し、学校でも早くから教えよと介入する。給与で株を買うだけでなく、給与そのもののストック・オプション化や、役員報酬を株価と連動させるなど、いたるところで進めている。金融に偏しすぎた資本主義に対して(体制内から、また私の知る限り)最も早く疑問を呈したのは、宮沢喜一首相であった。彼は訪米時に、レーガン以降のアメリカ経済について「生産倫理」の衰えという面から危惧を表明した。経済の専門家であるだけでなく日本の政治家としては珍しく教養もあるほうの人物だけに、私はこれをヴェーバーの理論をふまえた大きな意味を持つ提起と受けとめた。しかし当時の米日の政治家やマスコミは、(「勤勉な日本の労働者」に対して)アメリカ人を怠け者視する偏見や(日米経済摩擦の中での単なる)「ためにする発言」として流してしまった。

 
いまやサブプライム・ショックがあり、リーマン・ショックがあり、新自由主義批判は珍しくなくなり、「カジノ資本主義」という語もそこそこ定着している。経済産業省の事務次官である北畠隆夫が講演会でこう発言した(08年1月)ほどである。ネットなどで株売買を短時間で繰り返す「デイトレーダー」は「経営にまったく関心がない。本当は競輪場か競馬場に行っていた人が、パソコンを使って証券市場に来た。最も堕落した株主の典型だ。馬鹿で浮気で無責任というやつですから、会社の重要な議決権を与える必要はない」。批判を受けた北畠氏は記者会見で「ジョークだった」などと謝罪したが、これは事柄の(本質と言わないまでも)重要な一面を鋭く把握しており、「無議決権株式」の上場解禁という彼の提案もまじめな検討に値する。

 
北畠氏が批判するような状況をそれでも擁護する側にはたとえばこんな論理がある。なるほど株の購入者は直接には自分の利益しか考えていないとしよう。しかし儲けるには株価上昇が見込める銘柄を選択しなければならない。それは有望な企業に投資するということであり、つまりは社会が必要としている仕事を進めるために資金を回していることである。それゆえ株の売買等も市場が創造的破壊を通じて最適化していく過程に貢献しているのである。だから金融証券市場の活性化は市場全体の発展をスムーズでスピーディにするのであり、いたずらに「ものつくり重視」を唱えて金融規制を強めるのは、間違った二項対立であり社会自体を化石化させる石頭である、と。

 
こうした論理は、次のことを考えれば少なくとも結果的に詭弁であることがわかる。株の購入目的はもともとは配当を得る(income gain)ことであるが、株は商品として売れるので初めから売却益(capital gain)目当てで買う者もいる。配当は企業の収益の分け前であるから、配当目的なら高収益が見込める企業への投資と言える。売却益目当てなら直接には株価上昇が見込める銘柄を選ぶことになる。このとき株価は企業業績予想に依存するので、両者は結局同じと言われるかもしれない。確かに関連はあるが「同じ」ではないことが重要である。配当目的の株購入は、「正解」を答えると得点できるクイズにたとえられよう。これに対し売却益目的の株購入は、「多数の人の答え」を当てれば得点できるクイズにたとえられる。この際回答者は「正解」を知っていて、かつ多数者も正解するだろうと考えて当てる場合も無論ある。だが「正解」と「多数者の答え」が異なる場合もあり、その際には後者を言わないと得点できない。ということは回答者は必ずしも「正解」を知っていなくても人々の意見を知っていればよいということである。株価上昇の直接の原因は需要増であり、その原因がその企業収益増加が客観的に見込まれる場合もあるが、はずれる思い込みでもあり得る。たとえばCMが受けているので商品が売れるだろうと思われたが、人気はCMだけで終わったような場合もある。企業によってはこの効果を利用して(業績そのものの向上という正道でなく)邪道で株価上昇をたくらむこともある。近頃話題になった例では、粉飾決算によって高収益の虚偽情報を与えたり、株を分割して手続き上一時的に生じた供給減から生じた価格上昇を企業業績への評価によるものと思わせたりして、株価を上げて自社の「時価総額」を上げようとしたオーナーがいた。前者は現行法でも犯罪であり、後者はそうはなるまい。がいずれにせよ売却目当てで株を買った者には関係がない。詐欺や誤解による値上がりはいずれはばれて値崩れすると言われようか。その前に売り抜けばいいのである。買ったその日に売るようなトレーダーほど、その企業の長期的な成長や社会からの需要から離れて、どの理由であれいま値上がりするかどうかのトレンドを当てればよいということになる。そしていまや株売買において、配当目当てより売却益目当てのほうが大きくなってしまっているのが、「カジノ資本主義化」の一側面である。競輪・競馬に行っていた者がパソコンで株をやるようになったというより、収入は預貯金をしていた堅気者がバクチにつぎ込むように、あるいははじめから「トレーダー」とか「ファンド・マネージャー」とかの名の遊び人をめざすようになったのだ。そしてこの「改革を後戻りさせるな」として規制を阻み、モラルハザードをよりスムーズかつスピーティにしているのだ。
 
 
賭け事をすべて否定せず「気晴らし」としてある程度認めるとしても、やはりそれは本業を駄目にしない限りにおいてであろう。また本来のバクチそのものにも厳しい掟があり、いかさまは厳しく罰せられる。賭けの要素を含む市場経済を認めることは、規制をすべて敵視するルールなき闘争を肯定することとは同じではない。新自由主義によるカジノ資本主義が、やくざのバクチほどの掟を備えているか、疑問である。





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2010/09/06 12:19 2010/09/06 12:19
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