床屋道話 (その
14 震災と都知事)

 

 

 石原慎太郎東京都知事は、東日本大震災について、「我欲」に対する「天罰」であると発言した。論理的に言えば、今回の被害者が他の日本人や他の人間に対して特に「我欲」が強かったと考えられるはずはない。同情するのが自然であり、また援助すべき地位と力を持つ者なのに、その相手を「罰」を受けるのが当然と言い捨てるのは、許しがたい侮辱である。撤回要求にもはじめは応じず、被災地の知事が抗議するに及んでようやく取り消したが、反省したようにはみえない。このような発想はどこから出てくるのか。

 石原氏はもともと小説家であるが、その後永井荷風の日記を読んでいて、関東大震災(1923年)について次のように書いているのをみた。「近年世間一般奢侈驕慢、貪欲飽くことを知らざりし有様を顧れば、この度の災禍は実に天罰なりと謂う可し。〔…〕自業自得天罰覿面といふべきのみ」(十月三日)(『新版断腸亭日乗第一巻』岩波書店、2001244-255頁)。同様な感想で、少し驚いた。

 思うに、共通するのは、日本の現状に対して非常に否定的な意見を持っている点のようである。その評価については今は論じないことにしよう。明らかなのは、仮にそうでも、2011年や1923年の震災の被害者がそのことの責任者ではないことである。そんな自明のことにさえ目をつぶって、石原氏や荷風は、「日本」の被害を「天罰」として、むしろ喜んでいる。(罪あるものを「天」が罰するとみるなら、喜びであろう。)もう一つ共通と思われるのは、この二人は非情であり、弱い者や不幸な者への同情心に欠けていることである。石原氏の小説は第一作以来サディズムに満ちている。荷風は放蕩することにおいて――あるいは「によって」?――不幸な女たちを愛したとする者もいるようだが、小生はそうは思わない。それを「愛」と言うなら、人間としてでなく愛玩動物として「愛」したに過ぎない。

 石原知事には震災がらみで過去にも大きな問題発言がある。2000年4月9日、陸上「自衛」隊第一師団の式典での挨拶の中だ。「今日の東京を見ますと、不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪をですね、繰り返している」。「もし大きな災害が起こったときには大きな騒擾事件ですらね、想定される」。これについて当時の報道では「三国人」という用語の問題に矮小化された傾向がある。より重大な問題について、主に日本の若い読者を考えて少し丁寧に説明したい。

 現在、「大韓民国」(以後「韓国」と略)と「朝鮮民主主義共和国」(以後「北朝鮮」と略)が存在する場所を、いまの日本でふつう使われている地理的名称のままに「朝鮮半島」と言うことにする(韓国では「韓半島」と言うのがふつう)。そしてそこで生活した人々の大部分を占める民族を通時的な民族名としては(いまの日本の学界の通例にしたがい)「朝鮮人」と呼ぶことにする。その最初の統一王朝は「新羅」でありその次が「高麗」である。英語でこの民族名をKoreaというのはこの「高麗」に由来し、国名としては韓国をSouth Korea、北朝鮮をNorth Koreaとしている。14世紀末に高麗を倒した李成桂は新たな国号を「朝鮮」とした。「韓」そのものの語源は確定していないが、古代の朝鮮南部に「三韓」という地域があり、また後に高句麗、新羅、百済の三国をも「三韓」と称し、「韓(国)」が朝鮮全体の異名としても用いられるようになった。明治初期の朝鮮侵攻論が征「韓」論と言われたのもその一例である。朝鮮は1897年に国号を「大韓帝国」(略して韓国)と改めた。「朝鮮」の国号を決める際に当時の中国(明)の関与があったため、中国(当時は清)の属国的な性格を払拭したい思いのためと思われる。しかし1910年の日本による併合により定着する間がなかったためと、民族名を示すためその後も一般には「朝鮮人」も多く使われた。現在の「北朝鮮」国籍の者と混同してはならない。また現在の「韓国」と区別するため「旧韓国」とも言われる。明治初めの国交回復以来多くの朝鮮人が日本に渡り住むようになった。無論自主的な移住も多いが、強制連行された者や日本に土地を奪われてやむなくやって来た者もあり、概して近代日本社会の下積み的な位置にあった。「併合」以後は国籍としては同じ「日本人」になったはずだが、民族差別はむしろ激しくなった。

その中で1923年の関東大震災が起こった。自然災害として大きな被害(死者13万人以上)を出しただけでなく、重大な社会的事件を併発させた。手もとの日本史教科書から引用する。「大混乱のなかで、『朝鮮人が暴動を起こした、放火した』といった流言がとびかい、政府も戒厳令を公布して軍隊・警察を動員したほか、住民に自警団を作らせた。関東全域で徹底的な『朝鮮人狩り』が行われ、恐怖心にかられた民衆や一部の官憲によって、数千人の朝鮮人と約200人の中国人が殺害された。亀戸所管内では軍隊によって九人の労働運動指導者が殺され、また憲兵によって大杉栄が殺され、無政府主義運動は大打撃をこうむった」(『詳説日本史』山川出版社、1987305頁)。大正の震災時に、他民族や反体制派に対するこうした残虐きわまる暴行があったことは、よく記憶されなければならない。なお荷風の日記ではそれにはまったくふれられていない。ノンポリで政治的にはかなり保守的な田山花袋の『東京震災記』では何度も記されているのであるから、検閲のための沈黙(réticence)とは考えられない。

 1945年、日本はポツダム宣言を受諾して植民地を放棄した。しかし朝鮮半島の南部はアメリカの、北部はソ連の軍政下に置かれてすぐに民族国家の再興とはならず、また不本意に在日となった人々も、諸々の理由で簡単には帰郷できなかった。そして日本政府は終戦後も1952年まで彼等を日本国籍を有するものとみなし、他方1947年からは「外国人とみなす」として外国人登録も義務付けた。48年には「韓国」と「北朝鮮」が成立したが、登録証の国籍欄にそれらが記入されても国籍を意味しない「記号」であるとした(50年の法務総裁の言明)。1965年、「韓国」を朝鮮半島における唯一の合法政府であることを認める「日韓基本条約」の調印を前に、「韓国」を国籍であるという政府見解を出して、ここに「在日韓国人」がようやく法的地位を得ることになった。そこでいま言われる「在日朝鮮人」とは、「北朝鮮」所属の人々の(日本政府は法的には認めていないが事実上の)名称としても、またいままで述べてきた歴史的経過により「在日韓国人」も含む人々の名称としても用いられる。(ただし「韓国人」は概してこの広い用法を好まないので、そのためには「在日韓国・朝鮮人」とも言われる。)さて、「三国人」とはこうした戦後の混乱から生まれた俗称である。

 石原知事は、辞書を挙げて外国人一般の意味でアメリカ人も含まれるとか差別語ではないと弁明したが、野坂昭如氏なども批判したように、すべて成り立たない。『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』(米川明彦編著、三省堂、2002)の項目「第三国人」に次のようにある。「支配地・植民地だった朝鮮・中国・台湾から強制連行されてきた人を戦後すぐこう呼んだ。単に『三国人』とも言う。当初は侮蔑の意味はなかったが、その後侮蔑の意味が加わった」。しかしこの記述にも問題がある。①「強制連行されて」きた人と限定するのは明らかに誤りである。②なぜ彼等をそう呼ぶのかの説明がなく(そこまでは悪いとは言えない)、この記述では「朝鮮・中国・台湾」の三国だからと誤解されかねない。(1949年までは「中国・台湾」はともに「中華民国」であるから「三国」にならず、また「第」三国とも言えない。)誰が言い出したかはわからないが、(日本国民とも言えないとすれば)所属が連合国でも中立国でもないというところから「第三国」と言われだしたという説が有力であり、はじめは確かに価値的に中立的な用語であったようだ。③後にある種の価値を伴う語になったが、それを「侮蔑」と表現するのが適切か微妙だ。詳しく挙証する余地はないが、「コワい連中」「ズルい連中」といった語感で使われたことが多いように思われる。いずれにしても、言われた人が平気で聞ける言葉でなく、大きな権力を持つ者が敢えて使ってよいものではない。

 だが本題に戻れば、石原発言の問題は「用語」以上に内容にある。すなわちこれは、①大震災時などに在日のアジア系外国人が「大きな騒擾」を起こすおそれがあると根拠なく言うことで、彼等を侮辱し、また彼等への差別意識をかきたてる。②現に関東大震災時にこうした流言から彼等が害されたことを考えると、今後の似た状況での同様の惨事を招く要因になりかねない。また若い人に、当時の流言の内容が事実であったとの誤解を与えかねない。③この後知事が警察から抜いて登用した担当の副知事までつくって自警団作りを勧めているなど、言葉だけですまない危険性がある。

 石原知事がこの地震の後でも高い支持率で再選されたこと、しかし都民の多くがこうした彼の発言の問題性をあまり知らされていないこと、また知った上でそれに喝采する者もいることを考えると、まさか平成の時代に大正の震災時と同じことがおきないとは断定できないと思う。

 「想定外」ですまないのは、津波や原発事故だけではあるまい。




添付画像





-*-*-*-*- 仲島先生の本のご紹介 -*-*-*-*-

 


共感の思想史

仲島 陽一【著】
創風社 (2006/12/15 出版)

291p / 19cm / B6判
ISBN: 9784883521227
NDC分類: 141.26      
価格: ¥2,100 (税込)

 


入門政治学
― 政治の思想・理論・実態

仲島 陽一【著】
東信堂 (2010/04 出版)

268p / 19cm / B6判
ISBN: 9784887139893
NDC分類: 311     価格: ¥2,415 (税込)




両性平等論 (叢書・ウニベルシタス)
両性平等論 (叢書・ウニベルシタス) 
フランソワ・プーラン ド・ラ・バール (著), Francois Poulain de la Barre (原著), 古茂田 宏 (翻訳), 佐々木 能章 (翻訳), 仲島 陽一 (翻訳), 今野 佳代子 (翻訳), 佐藤 和夫 (翻訳)

(単行本 - 1997/7)




2011/06/03 15:44 2011/06/03 15:44
この記事にはトラックバックの転送ができません。
YOUR COMMENT IS THE CRITICAL SUCCESS FACTOR FOR THE QUALITY OF BLOG POST