床屋道話 (その18 自力救済思想を憂える)
テレビドラマがふるわない中で、『家政婦のミタ』は近来稀な高視聴率を得た。「家族の再生」という、ホームドラマとしては定番の主題だが、謎の過去と超人的能力を持つ家政婦を松嶋菜々子が「怪演」して評判となり、子役たちの活躍ももりあげた。
ミタさんが無茶な頼みでも「承知しました」と実行するので、小学校でいじめられていた次男が相手をやっつけることを彼女に依頼する。彼女はマジで相手のガキどもを実力で叩きのめそうとするが、さすがに最後は次男がやめさせ、彼が自分で立ち向かっていい勝負という程度にはいく。反省した次男に彼女は「よくやったと私は思います」とこたえる。しかしこれでいいのだろうか。勿論金で雇われた家政婦にいじめっ子をやっつけてもらうなんてのは論外である。だがこのドラマでは、自力で解決するのが立派なことであり他人(特に力や権威をもつ親や教師)に頼るのは情けないこと、あるいは卑怯なことという含意がみられた。というよりこれはかなり一般にもある観念と思われるが、本当にそうのだろうか。このドラマでは母は亡くなり父も教師(相武紗季)も頼りにならないという設定なので、視聴者は流れを受け入れてしまいがちだが、頼れるかどうかと訴えることの正当性とは別問題である。
ちょうど、『トマス・ブラウンの学校生活』というイギリス小説を読んだ(研究社新訳注叢書、1957)。18世紀のパブリックスクールが舞台になっており、英国版「学園もの」の古典である。モデルは名門ラグビー校であり、卒業生である著者の実体験が生かされている。イギリスのパブリックスクールは教育学的に有名であり、お手本として持ち上げる論者も(小生ははじめからそうは思わなかったが)日本にもことかかない。ところでこの小説をみても、英国のスポーツマンシップとジェントルマンシップを養成するという名門校でもいじめがあることがわかる。ところで解説者(桜庭信之)は言う。「告口を固く禁じている。〔…〕どんなにいじめられても、歯を食いしばって我慢する。それを教師や寮母に密告したものは排斥され、むち打ちの刑を受けることもある」(205頁)。解説者はこれをすばらしいことと思って書いているようだ。とんでもないことである。それなら教師や寮母は何のためにいるのか。
密告を絶対悪のように言うものもいるが、小生は異論を持つ。というよりこれはそんなに簡単に決められない難しさを持つので、「密告」は別の機会に論じることにしてここでは考えからはずすことにしたい。いじめを親や教師に訴えることが悪いかどうかを問いたい。とんでもない、というのが小生の立場である。
自分の欲のために、権力者や実力者の威を借りて競争相手を陥れるようなことは、確かに卑劣である。しかし不正や暴力を受けたときには、まず自分で相手に抗議できるときはすべきだが、できないときや、しても効果がなかったときは、公権力に訴えて、裁きを、自己の救済と相手の処罰を求めることは、正当であり、なかば義務でさえある。それを卑怯とすることは、強さが支配するという論理に従えという洗脳であり、強者が精神的にも支配しようとするための憎むべき思想的攻撃である。こうした考えや宣伝は、現れるたびに徹底してたたきつぶさなければならない。
弱者の権利を守るためにこそ法があり、公権力があるということを、こどものうちから十分に教えるべきである。不正や暴力に対しては、(「男らしく」という性差別をしばしば伴って)「やりかえせ」でも「たえろ」でもなく、それに対処すべき人たちに対しては勿論、みんなにそれを訴えろ、と教えるべきである。そうすると中には、(時には加害者を含めて)卑怯者とかそしる奴も現れるかもしれないが、そうではない、自分のやりかたこそ正しく、みんな行うべきことなのだ、そしる人間は、加害者に加担することになるのだから、すぐやめて自分の味方をしなければ悪を行ってしまう、ととがめるべきなのだ、この(言論上思想上の)たたかいこそ勇気をふりしぼってたたかえ、と教えるべきである。
仲島陽一 / 北樹出版 |
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