ニ、『経済学とは何だろうか』(1982)
著者は、自然科学における「パラダイム論」について、はっきり断定はしていないがあきらかに好意的であり(8頁以下)、論述が進むとすっかりそれを前提している(こういう書き方は好ましくない)。すなわち科学の「客観性」や「普遍性」に否定的である。いわんや社会科学においてをや、というわけであり、しかも「社会科学は、社会的<文脈>の差異と変化に、もっと敏感に反応する」(11-12頁)とする。これに対して「現代と社会を超えて<有効>な経済理論が存在しうる」というのは「とんでない錯覚」であった(6頁)と断ずる。
欧米では、50年代から70年代前半にかけては「新古典派総合」(新古典派とケインズ派の折衷)の経済学が席巻した(13頁)。それは経済成長の追及という時代的<文脈>のためであった(14頁)。60年代末から70年代初期に、高度成長の陰りにともなって新古典派総合への批判が集中した(11-12頁)。しかし70年代後半には「超新古典派とでも呼ぶにふさわしい」「反ケインズの古典派的経済理論」が台頭した。これはこの時期の「保守化傾向」「政治的右傾化」に対応している(12-13頁)。
日本では、「個人主義や自由主義という社会的<文脈>の伝統をもちあわさない」(41頁)ので、新古典派は重視されず、近代経済学の比重はケインズの側に偏っていた(37頁)。ある意味ではケインズの『一般論理』刊行(1936)以前から日本の財務当局はケインズ政策を実行していたとさえ言える(38頁)。これはそれが--米英と異なり(38頁)--日本の社会的<文脈>と敵合的であったということである。
以上がいわば概論であり、「経済学は<科学>たりうるか」と題されたⅠ章にあたる。
Ⅱ章は「制度化された経済学」と題して、50-60年代のアメリカにおいて近代経済学が「制度化」されたということの意味を具体的に説明している。それは経済学の大衆化・職業化・教化書化・モデル学化などを意味している。
Ⅲ章は「日本に移植された経済学」と題して、経済成長期に近代経済学が日本で定着したことを説明している。
Ⅳ章は「ラディカル経済学運動とは何であったか」を題して、60年代末から70年代はじめにおける新古典派経済学への批判を取り上げている。これを著者は「終始一貫、まったくの正論というほかはない」と判断する(151頁)。しかしそれがまさにこの時期に起こったのは「六〇年代末に起きた時代的文脈の一大変化」によるものとする(同)。それは経済成長の弊害である環境破壊がこの頃顕在化したことであり、この「反成長」が「反科学」「反技術」もつながったため、「科学である」「成長に役立つ技術につながる」新古典派経済学への批判になったという(152頁以下)。したがってこれは内在的批判ではなく、直接には科学者集団の、根底においては社会の「価値観」の変化という外在的根拠による(166頁)。しかしこの「レディカル経済学」が成功しなかったのは、新しいパラダイムを提供できなかったからだと言う。
さてⅤ章は「保守化する経済学」と題されており、私の考察に最もかかわるところである。すなわち70年代末からの「凄まじい」(187頁)ケインズ批判についてである。それを行った「保守派経済学」は次のようなものからなる。
A ハイエク:1940年代にはやくもケインズ経済学の<科学主義>を批判した。社会全体を扱うのはまやかしとし、個人の行為を決定する主観から出発するとした。さらに「管理」や「計画」を否定する(私はバークの保守主義を思い起こした)彼の思想は、長く最も不人気な経済学者の一人であった(195頁)。
B マネタリスト:ミルトン=フリードマンを盟主とする。60年代からケインズ経済学を非難してやまない反介入主義者。英サッチャー政権により採用された。
C 合理的期待形成学派:75年頃、ケインズ経済学を孟攻撃した。個人や企業が、経済システムについて知識を十全に生かして期待形成を行い、それを基づいて最適行動する、と仮定する。
D サプライサイドエコノミックス:個人のインセンティヴを強調してもっぱら減税政策を主張する。この派のラッファー教授の「珍説(?)」(②58頁)を「真に受け」(②6頁)た、米レーガン政権により採用された。
これらの「保守派経済学」の理論に対して著者は、それ自体としても、ケインズ理論批判においても実証されたものではないとする。「合理的期待形成」論は従来の理論に「合理的期待形成」という新奇な分析装置を加味したに過ぎず、「サプライ・サイド」論は個人のインセンティヴ重視という心理主義の衣を古典派理論にまとわせたに過ぎずほとんど常識の上塗りの域をでない」、と一刀両断する。
またこれらの「保守派経済学者」によるケインズ政策への批判としては、「政府の中立性」を幻想とするものがある。すなわち市場に介入する政府とは、投票で選ばれた政治家のことであり、彼らは有権者や官僚組織からの圧力に弱く、「景気対策」の美名で、既得権の保持や圧力団体へのばらまきや癒着となって、際限のない赤字政府を慢性化させる、と。しかしこれに対しても著者は、彼らが「政府の中立性」を非現実的とあげつらう反面に、「市場の完全性」を当然の前提におくのは「自家撞着」であると批判する(201頁)。保守派経済学の政策は「反福祉」(212頁)である。
しかしこうした反ケインズ派が台頭した要因として、著者はやはり70年代後半の「政治的保守化」による「価値観の変化」を挙げる(187-8頁)。また別のところでは、「社会主義への幻滅、政治的保守化、古典的自由主義の賛美など」と列挙して「<価値規範>の右旋回」と概括している。(198頁)。
最後に著者は、これらの「保守派経済学」が「制度化」される「可能性は乏しい」と診断する(204-6頁)。今までの論述からすれば整合的な結論であろうが、実際には大はずれだったと言うべきであろう。
ともあれ著者はではどうすべきだと言うのか。「制度化」された科学としての経済学とユートピア主義的な社会研究という両立できないものを欲する「欲深な心情」(213頁)を告白する。「とはいえ、私の予感するところ、<制度>としての経済学には、確実にかげりがさし始めている。〔…〕経済学は、少数の「物好き」な人々が、ユートピア主義的発想をもとに、百花斉放、談論風発のなかで展開してゆくべき筋合いのものなのかもしれない。〔…〕日本は言うに及ばず近年のアメリカ経済学界の動向にも、そうした方向へと旋回する兆候がはっきりと見てとれるのである。」(208頁)--これもはずれたと言わなければならないであろう。
著者は、自然科学における「パラダイム論」について、はっきり断定はしていないがあきらかに好意的であり(8頁以下)、論述が進むとすっかりそれを前提している(こういう書き方は好ましくない)。すなわち科学の「客観性」や「普遍性」に否定的である。いわんや社会科学においてをや、というわけであり、しかも「社会科学は、社会的<文脈>の差異と変化に、もっと敏感に反応する」(11-12頁)とする。これに対して「現代と社会を超えて<有効>な経済理論が存在しうる」というのは「とんでない錯覚」であった(6頁)と断ずる。
欧米では、50年代から70年代前半にかけては「新古典派総合」(新古典派とケインズ派の折衷)の経済学が席巻した(13頁)。それは経済成長の追及という時代的<文脈>のためであった(14頁)。60年代末から70年代初期に、高度成長の陰りにともなって新古典派総合への批判が集中した(11-12頁)。しかし70年代後半には「超新古典派とでも呼ぶにふさわしい」「反ケインズの古典派的経済理論」が台頭した。これはこの時期の「保守化傾向」「政治的右傾化」に対応している(12-13頁)。
日本では、「個人主義や自由主義という社会的<文脈>の伝統をもちあわさない」(41頁)ので、新古典派は重視されず、近代経済学の比重はケインズの側に偏っていた(37頁)。ある意味ではケインズの『一般論理』刊行(1936)以前から日本の財務当局はケインズ政策を実行していたとさえ言える(38頁)。これはそれが--米英と異なり(38頁)--日本の社会的<文脈>と敵合的であったということである。
以上がいわば概論であり、「経済学は<科学>たりうるか」と題されたⅠ章にあたる。
Ⅱ章は「制度化された経済学」と題して、50-60年代のアメリカにおいて近代経済学が「制度化」されたということの意味を具体的に説明している。それは経済学の大衆化・職業化・教化書化・モデル学化などを意味している。
Ⅲ章は「日本に移植された経済学」と題して、経済成長期に近代経済学が日本で定着したことを説明している。
Ⅳ章は「ラディカル経済学運動とは何であったか」を題して、60年代末から70年代はじめにおける新古典派経済学への批判を取り上げている。これを著者は「終始一貫、まったくの正論というほかはない」と判断する(151頁)。しかしそれがまさにこの時期に起こったのは「六〇年代末に起きた時代的文脈の一大変化」によるものとする(同)。それは経済成長の弊害である環境破壊がこの頃顕在化したことであり、この「反成長」が「反科学」「反技術」もつながったため、「科学である」「成長に役立つ技術につながる」新古典派経済学への批判になったという(152頁以下)。したがってこれは内在的批判ではなく、直接には科学者集団の、根底においては社会の「価値観」の変化という外在的根拠による(166頁)。しかしこの「レディカル経済学」が成功しなかったのは、新しいパラダイムを提供できなかったからだと言う。
さてⅤ章は「保守化する経済学」と題されており、私の考察に最もかかわるところである。すなわち70年代末からの「凄まじい」(187頁)ケインズ批判についてである。それを行った「保守派経済学」は次のようなものからなる。
A ハイエク:1940年代にはやくもケインズ経済学の<科学主義>を批判した。社会全体を扱うのはまやかしとし、個人の行為を決定する主観から出発するとした。さらに「管理」や「計画」を否定する(私はバークの保守主義を思い起こした)彼の思想は、長く最も不人気な経済学者の一人であった(195頁)。
B マネタリスト:ミルトン=フリードマンを盟主とする。60年代からケインズ経済学を非難してやまない反介入主義者。英サッチャー政権により採用された。
C 合理的期待形成学派:75年頃、ケインズ経済学を孟攻撃した。個人や企業が、経済システムについて知識を十全に生かして期待形成を行い、それを基づいて最適行動する、と仮定する。
D サプライサイドエコノミックス:個人のインセンティヴを強調してもっぱら減税政策を主張する。この派のラッファー教授の「珍説(?)」(②58頁)を「真に受け」(②6頁)た、米レーガン政権により採用された。
これらの「保守派経済学」の理論に対して著者は、それ自体としても、ケインズ理論批判においても実証されたものではないとする。「合理的期待形成」論は従来の理論に「合理的期待形成」という新奇な分析装置を加味したに過ぎず、「サプライ・サイド」論は個人のインセンティヴ重視という心理主義の衣を古典派理論にまとわせたに過ぎずほとんど常識の上塗りの域をでない」、と一刀両断する。
またこれらの「保守派経済学者」によるケインズ政策への批判としては、「政府の中立性」を幻想とするものがある。すなわち市場に介入する政府とは、投票で選ばれた政治家のことであり、彼らは有権者や官僚組織からの圧力に弱く、「景気対策」の美名で、既得権の保持や圧力団体へのばらまきや癒着となって、際限のない赤字政府を慢性化させる、と。しかしこれに対しても著者は、彼らが「政府の中立性」を非現実的とあげつらう反面に、「市場の完全性」を当然の前提におくのは「自家撞着」であると批判する(201頁)。保守派経済学の政策は「反福祉」(212頁)である。
しかしこうした反ケインズ派が台頭した要因として、著者はやはり70年代後半の「政治的保守化」による「価値観の変化」を挙げる(187-8頁)。また別のところでは、「社会主義への幻滅、政治的保守化、古典的自由主義の賛美など」と列挙して「<価値規範>の右旋回」と概括している。(198頁)。
最後に著者は、これらの「保守派経済学」が「制度化」される「可能性は乏しい」と診断する(204-6頁)。今までの論述からすれば整合的な結論であろうが、実際には大はずれだったと言うべきであろう。
ともあれ著者はではどうすべきだと言うのか。「制度化」された科学としての経済学とユートピア主義的な社会研究という両立できないものを欲する「欲深な心情」(213頁)を告白する。「とはいえ、私の予感するところ、<制度>としての経済学には、確実にかげりがさし始めている。〔…〕経済学は、少数の「物好き」な人々が、ユートピア主義的発想をもとに、百花斉放、談論風発のなかで展開してゆくべき筋合いのものなのかもしれない。〔…〕日本は言うに及ばず近年のアメリカ経済学界の動向にも、そうした方向へと旋回する兆候がはっきりと見てとれるのである。」(208頁)--これもはずれたと言わなければならないであろう。
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