『権力への意志』は捏造か?:哲学の現在19

仲島陽一

 

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ニーチェは1889年に発狂した。著作の準備として大量の断片を残していたが手を付けることなく、1900年に死亡した。妹エリーザベトは、483の断片を編集して1901年『権力への意志・習作と断片』として出版した。さらに1906年、ペーター・ガストの協力で1067の断片により『権力への意志・あらゆる価値の価値転換』として刊行した。これを捏造のように言う言説がある。以下「批判派」としてみていきたい。

最初の「批判派」とみえるシュレヒタは、『権力への意志』が「ニーチェ自身の手になった著作でないことを強く主張」(1956年?)した。しかし彼による著作集自体から、「現行の『権力への意志』に収められているアフォリズムのすべては、それぞれ一つ一つとしては、客観的にニーチェ自身のものである」と原祐は言う([1962]ちくま学芸文庫版、ニーチェ全集、12、507頁、強調は著者)。編集である以上異論は当然であり、形式的にずさんで、内容的に偏ったものとも言えよう。しかし捏造と言うには、当人が書いたものでないものをそのように言うことで別問題であるが、原の言うところではそれには当たらない。またこれが死んでいる彼「の手になった」著作でないとは言えるが、それは「彼の著作」ではないということと同じではない。生きている著者が過去の自作をもはや自分の思想でないとしたり絶版にしたりすることもある。その場合でもそれは「何年におけるその人の著作」として扱われる。

ドゥルーズは、「捏造がほんとうに行われたのか」という問いを出して、「むしろ事実は、〔…〕不正確な読解がなされ、そのためテクストを正しく配置できず、移し変えてしまった」として(『ニーチェ』[1963]ちくま学芸文庫、201-202頁)、文字通りの「捏造」とは別の問題としている。

氷上英廣は、やはり編集上の問題を言い、「力への意志」を表題とする著作は「放棄されたとみていいのではなかろうか」と推測し(白水社版全集、二期12巻解説)、その言葉による「書物は存在しない」としながらも、その「思想ではない」と断り、むしろその思想が「最も有力なものであったことは否定できない」と言う(同11巻解説)。捏造などとはしていない。

三島憲一は言う(『ニーチェ』岩波新書、1987)。そのように題した著作を自ら用意していた「と思える」紙片があることは確かだが、「おそらくは撤回された計画であった。」(強調は引用者、以下も同じ)「それにもかかわらず、権力主義的な思想に合うかのような断片を集め、『飼育と訓練』などという章まで作る強引な編集を行わせて〔この〕著書を文字通りでっち上げたのは、妹のエリーザベトである」。こうした編集がニーチェを権力政治の理論家に歪曲してしまった」(204頁)。ここでも捏造の具体的提示はない。にもかかわらず「文字通りでっち上げ」というのは、今までみた論者も超えるいきすぎた決めつけである。

マッキンタイア―は言う(『エリーザベト・ニーチェ』[1992]藤川義明訳、白水社、1994)。ニーチェは『権力への意志』出版の「構想を持っていたが、おそらく断念していた。〔…〕単純な事実は、ニーチェは『権力への意志』という題名の本は書かなかったということだ。書いたのはエリーザベトである」(238頁、強調は引用者)。著者はニーチェが「断念した」と想像する根拠は示していない。「本を」書いたのはニーチェとは言えないが、その中身がニーチェ自身の文章である以上、それを(編集でなく)「書いたのはエリーザベト」というのはとんでもない。三島も問題にした「飼育と訓練」を第四部の題名にしたことを「誤解を招く」とする。ニーチェ自身が草稿の一つでその題名を使ったことを認めながら、(根拠をあげずに)「破棄された」と述べる。

恒吉良隆はこの著作を、「悪意に解すれば『でっちあげの作品」とする(『ニーチェの妹エリーザベト-その実像』同学社、2009、209頁、強調は引用者)。この表現からは、この編集を批判する彼にしても、文字通りの捏造とは言えなかったことがわかる。

以上のように、『権力への意志』を、捏造であるとかニーチェの著書ではないとかするのは妥当でないことが示された。ではそのように印象操作する「批判派」の動機は何なのかを考えたい。まず次の事実がその参考になろう。①「批判派」はニーチェの思想に対して少なくとも基本的には評価している。②ナチス政権やその反ユダヤ政策に対しては一般に否定的に評価されている。➂エリーザベトは夫フェルスターとともに反ユダヤ主義者であり、またナチス政権成立後はニーチェの思想を準公定思想にするのに大きな役割を果たした。いかがわしい人となりであり、兄の私信の偽造もしている。――以上は事実として異論のないものであろう。以下はそれによるが、異論があり得る私の推測である。「批判派」は、Aナチス政権のニーチェ「利用」は悪用であり、ニーチェ「本来の」思想を歪めていると考える。B著作『権力への意志』は、ニーチェ「本来の」思想を歪めて(後にナチスが「悪用」しやすくなって)いると考える。Cしたがってニーチェがナチスに利用されたのは、エリーザベトによる歪曲とすり寄りによる「悪用」であり、ニーチェ「本来の」思想はよいものだと考える。――この推測が当たっているとすると、以下の論点があると考える。「批判派」は、㋐ニーチェのいわば社会的醜聞を1)ナチス政権との関連に限定し(事実はたとえばムッソリーニはヒットラー以上のニーチェ心酔者であった)、2)またその反ユダヤ主義との関係に限定しているが、それは妥当なのか。㋑ニーチェ「本来の」思想は『権力への意志』から読み取れるものとは異なると言えるのか。㋒ニーチェ「本来の」思想が反ユダヤ主義でないとして、それならそれは評価に値するものと言えるのか。――以上に関して私の意見を述べたい。Ⅰホロコーストは重大な問題であるが、ナチズムの害悪はそれだけではない。独裁体制として言論や思想の自由を奪い、社会主義者などを大量に弾圧した。障害者や精神病者なども大量に「安楽死」させた。仮にホロコーストがなかったとしても、現代最悪の政権の一つであったことは変わるまい。またナチスは無意味に特にユダヤを標的にしたわけではないが、ユダヤでなくロマ人(ジプシー)ならあるいは朝鮮人ならファッショ的でないということにはなるまい。Ⅱ『権力への意志』がいわゆる権力政治的な志向が強く出ている編集だとは言えるかもしれない。しかしそこにある言葉自体は遺稿にあるものでエリーザベトがつくりだしたものではない。いわんやそこに表れている思想はニーチェが撤回した(であろう)ものだという推測には客観的根拠がない。むしろそれは根本的には(この小論で示す余地はないが、晩年の遺稿だけでなく)彼に一貫してあるものだと私は考える。Ⅲ1900年に死んだニーチェは約二十年後につくられるナチスも、約三十年後にその政権が実行するホロコーストも知らず、それらを彼が直接支持したわけでは無論ない。ただ大衆や民主主義を敵視する反動思想、軍国主義や人種主義、反ユダヤ主義は19世紀後半にもあった。ニーチェがフェルスターらの反ユダヤ主義の社会運動には批判的であった(その理由は十分にはわからないが)ことは確かであると考えられる。しかしそれは彼がユダヤ教の思想やその担い手としてのユダヤ人に否定的であったことと混同してはならない。これも詳しくは述べられないが、また細かい問題はあるが、ニーチェが大枠として、ユダヤ―キリスト教をギリシャ―ローマの思想との対置によって否定しようという意図は一貫してみられる。彼の若いときの「師」てあるショーペンハウアーもワーグナーも反ユダヤ思想の持ち主であった。ただそれが彼の思想の重要な部分とみたいわけではない。ファシズムを「反ユダヤ」と等置するのは大きな誤りと述べたが、また反ユダヤをニーチェ思想の中心にするなら彼への的もずれてしまう。むしろ大きな枠組みで、彼が「すぐれた人種」と「劣った人種」の「位階秩序」をよしとしていることがより本質的である。ここから彼は平等に反対し、政治的平等思想としての民主主義に反対する。彼がキリスト教に反対するのも、合理主義やヒューマニズムからではなく(むしろそれらは彼が敵視するものである)、その宗教の隣人愛や弱者救済という思想への敵対からであり、その心理的基盤である同情を彼は最大の敵とする。虐げられた者が支配者を恨むのは当然であろうが、ニーチェはこの恨みを「ルサンチマン」として自分たちが支配者になろうとする欲望だと誹謗する。こうした平等への努力を正義でなく単なる力関係にゆがめる。「力」自体には強弱しかないので、「畜群」と彼が呼ぶ弱者を強者が支配し、搾取するのは正当だとする。暴力、強姦、テロを礼賛する。男女平等は「できの悪い、すなわちこどもを産まない」女の妄想と罵倒し、障害児は殺してしまうのがよいという。このようなニーチェは、たとえ反ユダヤ主義的ではなかったとしても、ファシズムにうってつけであり、人類最悪の思想ではなかろうか。



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精神論〔1758年〕

エルヴェシウス著、仲島陽一訳

 

第三部 第24章 この真理の証明

 

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 この〔前章で示された〕命題が逆説にみえることをすっかり取り除くには、人々の欲望の最も一般的な二つの対象が富と名誉であることを観察すれば十分である。この二つの対象のなかで、その名誉が自愛心に媚びるあり方で配分されるときは、人々がより渇望するのは名誉のほうである。

 この名誉を得たいという欲望によって、そのとき人々は最大の努力もできるようになり、そのとき彼等は奇跡を成し遂げる。ところで、祖国に果たされる奉仕に対して払うにはこの〔名誉という〕貨幣しかなく、したがってその価値を保つことに最大の利害関心を持つ民族以上に、この名誉がより大きな正義で割り当てられるところは、どこにもない。だからローマとギリシャの貧しい共和国は、東洋の広大で豊かなすべての帝国よりも多くの偉人を生み出したのである。

 富裕で専制主義に服している民族においては、名誉という貨幣はほとんど評価されていないし、またそうならざるを得ない。実際、もし名誉がその価値を彼等が管理されているやり方から得ているなら、またもし東洋ではスルタンがその配分者であるなら、彼等がこの貨幣で飾る者の選択がまずくてその価値をしばしば落とさざるを得ないと感じられる。だからそうした国では、名誉は本来称号に過ぎない。それは自尊心を強くうつことはできないが、なぜならそれが栄光に結びつくことはめったにないからであり、栄光は君主でなく民衆が配分するものである。栄光は公衆の感謝の喝采にほかならないからである。ところで、名誉が卑しめられると、それを得ようという欲望は冷める。もはや人々はこの欲望で偉大な事柄に向かうことはない。そして名誉は国家のなかで無力なばねになり、要路の人々がそれを用いるのを怠るのはもっともなことである。

 アメリカのある邦では、一人の未開人が勝利をもたらしたり、交渉を巧みに処理したときには、国民集会で「お前は男だ」と言う。この賛辞によって彼は、専制的諸国において才能によって名を挙げた人々に提示されるあらゆる高い地位以上に、偉大な行為へと駆り立てられるのである。

 彼等を管理する滑稽なやり方が名誉に対してときおり投げつけるはずの軽蔑全体を感じ取るには、クラウディウスの統治下で行われていたその濫用を思い出すがよい。プリニウスが言うには、この皇帝の下で、ある市民がずるさで有名な烏を殺した。この市民は死刑になった。この烏には壮麗な葬式が行われた。笛吹が先行し、奴隷二人が烏の安置台を担い、葬列のしんがりは無数の老若男女が務めた。この件につきプリニウスは叫んでいる。最初の王たちを地味に埋葬し、カルタゴとヌマンティア1)の破壊者〔スキピオ〕の死に復讐しなかったまさにこのローマで、もしも我等の先祖が烏の葬儀に参列するならばなんというだろうか2)

 しかしこう言われよう。恣意的権力に服する諸国において、しかしながら名誉はときおり真価の報いであると。疑いなく然り。しかしより多く、悪徳と低劣さの報酬である。名誉は、こうした統治においては、荒れ野の中の疎林に比べられる。その実は、ときおり天の鳥によって持ち去られ、あまりに多く蛇の餌食になる。その蛇は木の根元から、樹冠まで這い登って来たのである。

 名誉がひとたび卑しめられれば、国家に果たされる奉仕はもはや金を払うことでしかない。金でしか支払わない国民はみな、まもなく支出が積み重なり、力尽きた国家はまもなく支払い不能になる。そうなったら才人の徳にもはや報酬がない。

 必要によって啓蒙された君主は、この窮地にあっては名誉という貨幣に頼らざるを得まい、と言っても無駄である。もしも、集団としての国民が恩恵の配給者であるような貧しい共和国では、こうした名誉の値を高めることが簡単であっても、専制的諸国でそれに価値を与えることほど難しいことはない。

 名誉という貨幣のこの管理は、それを流通させようとする者のなかに、どんな徳義を前提するであろうか。廷臣の陰謀に抵抗するには、どんな力強い性格が必要であろうか。こうした名誉を大きな才能や徳を持つ者にだけ与え、その信用を落とすようなあの凡庸な人々すべてにはいつも拒むには、どんな分別が必要であろうか。

 富のような名誉はない。もし公衆の利害が金や銀の貨幣においては改鋳を禁じても、名誉が人々の意見だけに負う価値を失ったときには、公益は逆に、名誉の貨幣における改鋳を要求する。

 私がこの件で注目したいのは、財政管理に多くの人をつけながら名誉の管理を見張るためには誰も指名しない、大部分の国民のふるまいを考慮しても、人が驚かないことである。しかしながら、高官に挙げる人々の真価についての厳しい議論以上に有用なことがあろうか。なぜ各国民は、深くて公の検討によって、自らが報いる才人の真実性を保証するような、法廷を持たないのであろうか。どんな価値を、そんな検討は名誉におくであろうか。それに値しようというどんな欲望を生むであろうか。どんな変化をこの欲望は、私教育においても、また少しずつ公教育においても、ひきおこすであろうか。その変化にたぶん、諸民族間に認められる差異すべてが依存している。

 アンティオコス3)の卑しく怠惰な廷臣たちのなかに、もしもこどものときからローマで育てられたなら、どれだけ多くの人が、ポピリゥスのように、自分を奴隷またはローマ人のようにすることなしには抜け出せないような円を描いたことであろう。

 大きな報酬は大きな徳をつくること、名誉の賢明な管理は、個別的利害を一般的利害に結びつけ有徳な公民を形づくるために立法者が用い得る最も強い絆であることを、既に証明した。若干の民族が徳に対して愛しているか無関心であるかが、彼等のいろいろな統治形態の結果であることを、そこから結論する権理があると、私は考える。ところで、私が例にとって徳への情念について言っていることは、他のすべての情念に適用できる。それゆえ、いろいろな民族がうけいれられるようにみえる情念がこのように程度が等しくないのは、自然のせいにしてはならない。

この真理の最後の証明のために、私は〔次の章で〕情念の強さは、それをひきおこすのに使われる手段の力に常に釣り合っていることを証明しよう。

 

【訳注】

1) ヌマンティア(Jean Louis Guez de Balzac,1597-1654)は現スペイン。ローマに抵抗したが、BC.133スキピオによって破壊された。

2) プリニウス『博物誌』で「烏」が出てくる箇所と「クラウディウス(帝)」が出てくる箇所すべてをあたったがこの記述はなかった。他の著作か、あるいは小プリニウスの著作か?

3) アンティオコス(Antiochos)はシリアの王。ここでは一世(BC.323-261)か?




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