精神論〔1758年〕

エルヴェシウス著、仲島陽一訳

 

第三部 第27章 上に確立された諸原理と諸事実との関係について

 

 経験は私の推論を裏切っているようにみえる。そしてこの矛盾のみかけで私の意見は疑わしくなるかもしれない。もしすべての人に精神的に等しい素質があると言うならば、1500ないし1800万人からなる一つの王国〔フランス〕のなかに、チュレンヌ、ロニ1)、コルベール、デカルト、コルネイユ、モリエール、キノー、ルブラン、および要するその時代と国の名誉として挙げられるような人々はなぜごくわずかしかみられないのか、と言われよう。

 この問題に答えるためには、どの分野であれ著名な人々を形づくるために絶対に必要な、大量の環境の一致について検討してほしい。人々がこの諸環境の幸運な一致におかれるのはきわめて稀であること、第一級の天才は実際にそうであるのと同様確かに稀であらざるを得ないことが、そのとき認められよう。

 精神的に最大の素質に恵まれている者がフランスに1600万人いると想定しよう。こうした素質を活用しようという強い欲望が政府にあると想定しよう。経験が証明するように、私達にあってこうした素質を発展させるのに適した書物、人々、援助は富裕な都市のなかにしかみいだされないので、したがって学芸のいろいろな分野ですぐれた人々をみつけなければならずまたみつけられるのは、パリで暮らしている、あるいは長い間暮らした80万の人々のなかである(a)。ところで、こうした80万の人々から、まず半分を、すなわち女性が削られるが、彼女等の教育と生活とは、学芸においてなされるかもしれない進歩に対立している。さらにこども、老人、職人、人夫、下僕、修道僧、兵士、商人を、また一般に、その身分、その高職、その財富によって義務に縛られていたり、一日の一部を満たす快楽に身を委ねている者すべてが削られる。最後に考察されるのは、若いときからあの凡庸な状態におかれている少数の者たちだけである。そこでは不幸すべてを軽くできないというという以外の苦痛は経験されないし、またそのうえ研究と省察に不安なくすっかり身を委ねられる。そういう者の数が六千を超えることができないのは確かである。この六千のうち、学ぼうという欲望に動かされるのは六百もいない。この六百のうち、この欲望を、自分のなかに偉大な観念を生み出すのに適した程度に熱する者は半分もいない。学ぼうという欲望において、自分の才能を完全にするのに必要な根性と忍耐を結び付け、あまりに性急に生まれようとしてほとんどいつも性急すぎる好奇心によって両立不能になるこの二つの長所を結合する者は百人もいない。最後に、ごく若い時に、常に同じ分野の研究に専心して、恋と野心には常に無感覚で、多様すぎる研究にも、快楽にも、陰謀にも、何であれ学問や技芸においてすぐれたものになろうとするすべての者にとって常に取り返しのつかない時間を失わなかった者は、たぶん五十人もいない。ところで著作を読まず啓蒙してくれるのに最もふさわしい人々と暮らしもしなかった人々を、この五十人からもし私が割り引くならば、いろいろな分野の研究の数だけ分かれ、各分野で一人か二人しか与えないであろうか。またこのように割り引かれた数から、私はさらに、死、運命の逆転、あるいは似たような他の事故によって進歩が止められた人々すべてを削るならば、私が言いたいのは、私達の現在の政体においては、偉人を形づくるのに絶対に組み合わせられなければならない多数の環境は、偉人を増やすのには対立しているということである。また天才は現にそうであるように稀であらざるを得ないということである。

 それゆえ人々が精神的に等しくないことの真の原因は、もっぱら精神的なもののなかに求めなければならない。そこで、ある時代あるいはある国に偉人が乏しいか豊かを説明するためには、空気の影響や、太陽からどれだけ離れているかや、いつも繰り返されるがいつも経験と歴史によって反駁された、こうしたすべてに、もはや頼ることはない。

 気候からのいろいろな体質が、魂と精神に対しておおいに影響すると言うなら、共和制の下ではあんなに大度であんなに大胆であったあのローマ人(b)が、なぜ今日はこんなに軟弱でこんなに女々しくなっているのか。その精神と徳によってかつては推奨され、地上の称賛の的であったあのギリシャ人とエジプト人が、なぜ今日は軽蔑されているのか。エラム人2)の名の下であんなに勇敢、アレクサンドロス〔大王〕の時代、ペルシャ人たちの時代にはあんなに腰抜けで卑しかったあのアジア人たちは、パルタイ人の名の下では、ローマの恐怖〔の的〕となるのはなぜか。リュクルゴスの法を宗教的に遵守していたあいだは最も勇敢で最も有徳なギリシャ人であったラケダイモン人が、ペロポネソス戦争後、金とぜいたくとを自国にもちこませた後では、こうした評判のどちらも失ったのはなぜか。ガリア人にはとても恐れられたあの古代ケルト人が、もはや同じ勇気を持たないのはなぜか。敵にしばしば敗れたユダヤ人が、マカベア家3)の指導の下では、最も好戦的な国民にふさわしい勇気を示したのはなぜか。学問と技芸とが、いろいろな民族において開発されたり怠られたりを繰り返しながら、ほとんどすべての風土を順々に経めぐったのはなぜか。

 ルキアノスのある対話のなかで、「哲学」は言う。「私が最初に住んだのはギリシャではない。はじめ私はインドへと歩を進めた。そしてインド人は、私の話を聞くため、謙虚に自分の象から降りた。インドから私はエチオピアに向かった。エジプトに移った。エジプトからバビロンに移った。スキュタイに足を止めた。トラキアを通って戻った。オルフェウスと話をし、オルフェウスが私をギリシャに連れて来た」。

なぜ哲学はギリシャからへスペリアに、へスペリアからコンスタンティノープルとアラビアに移ったのか。またなぜ再びアラビアからイタリアへ、そしてフランス、イギリス、また北欧にまで避難所をみいだしたのか。なぜもはや、アテネにフォキオンを、テーベにペロピダスを、ローマにデキウスがみられないのか。これらの風土の気候は変わっていない。それゆえ技芸、学問、勇気と徳の移住を、精神的諸要因にでなければ何に帰すのか。

自然学によって説明しようと試みても空しい無数の政治現象の説明を、私達はこうした精神的な諸原因に帰すべきである。北方諸民族による征服、東洋人の隷従、まさにこれら〔東洋〕諸国民の寓意の天分、ある分野の学問においてある民族が優秀であるこことなどがそうである。そうした主要な結果の原因を私が手早く〔次章で〕示したときには、その優秀さを、風土によって気候が違うことのせいにするのはやめられるであろうと、私は考える。

 

【原注】

(a)偉人の一覧に目を通せば、みてとれよう。モリエール、キノー、コルネイユ、コンデ、パスカル、フォントネル、マルブランシュ等々が、自分の精神を完成させるために首都の助けを必要としたことが。田舎の才人は常に凡庸と断罪されることが。あんなに熱心に森や泉ゃ草原を求める学芸の女神たちは、時々は大都市の空気を吸わなければ村娘に過ぎないであろうことが。

(b)今日のローマ人が古代ローマ人に似ていないと認めながらも、世界の主であるという点では共通だと主張する人々もいる。彼等が言うに、古代ローマがその徳と武勇によって世界を征服したならば、近代ローマはその偽計と政治工作によって世界を征服したのだと。そして教皇グレゴリウス7世はこの第二のローマのカエサルであると。

 

【訳注】

1) ロニ(Rosny底本ではRôny、今日より有名な名ではシュリSully,1560-1641)はフランスの政治家、アンリ4世に仕え、ユグノー戦争と戦後の復興に活躍した。

2) エラム人(Elam底本ではEléamites)は前23世紀以後イラン高原南西部にいた民族。スサを都とする王国を建設。カッシート王国を滅ぼすなど前12世紀に最盛期となったが次第に衰え、前7世紀に滅亡した。

3) マカベア家は前168-37年、シリア王国支配下のユダヤ人を指導した一族。


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難しい哲学書を読む(その四):哲学の現在20

仲島陽一

◇フッサール「デカルト的省察」(1931)

(船橋弘訳『世界の名著62』中央公論社、1980、による)

 

フッサール全般についての紹介と批判は、拙著『哲学史』(「22フッサールとハイデガー」、行人社、2018)で述べた。

この論考で彼は、デカルトの「理念の目標は、哲学を、絶対的に基礎づけられた学問にする」ことだとして、彼自身もその道を進んでいると宣言する(179頁)。しかしこれはまさにデカルトが間違っているところである。前掲拙著139および144-145頁をみられたい。フッサール哲学(あるいはそれに依拠するものならば「現象学」一般)は出発点が間違っている。

また彼はデカルトに賛成して、「あらゆる学問は、哲学の体系的統一においてのみ、真の学問になる」(180頁)と主張する。これにも賛成できない。多くの「学問」はそれまでの「哲学」から独立することによって有効な「科学」になった。これからの「哲学」の出番としては、こうした(哲学から独立した)諸学の成果のほうを「基礎」として世界や人生について考察することであって、フッサールの考えは順序がまるで逆である。彼の言う「真の学問」が科学や経験を基礎とせず「主観のほうへ方向転換した哲学」(同頁)ならば、壁を睨んだり自分のへそを眺めたりして悟れると思うインド人のようなもので、空回りもいいところである。

「実証諸科学は、デカルトの省察から絶対的に合理的な基礎付けを得るべきであった」と彼は主張する(182頁)。とんでもない。そのようなものを放棄したことで、実証諸科学は成立したのである。このためそれらは「その発展が大いに阻害されている」と続けるのもまったく事実ではない。実証諸科学はいまも(そう言いたければ「よくも悪くも」)おおいに発展し続けている。フッサールはデカルトの位置づけとして、「素朴な客観主義から先験的主観主義へと徹底的に転換した」(183頁)とする。デカルト(的方法)以前を「素朴な客観主義」(あるいは「素朴唯物論」)とひとくくりにするのは、現象学者(および非唯物論者)がよく行う、虚偽である。また「素朴な客観主義」は確かに学問的ではないが、それを克服するのは「先験的主観主義」ではなくて実践的な物質説である。フッサールは哲学の統一がないことを嘆く。これも嘆くのが不当である。なぜなら哲学はまさに実証科学ではないからである。むしろ「哲学者の数とほとんど同数の多くの哲学がある」(183-184頁)のは喜ばしいことであり、ただ一つの哲学をつくろうとするのは危険で有害な思想である。

デカルトが、幾何学を学問の思想としたのは「宿命的な偏見」であるとフッサールが言う(186頁)のは着目に値する。確かにそれは少なくとも偏った学問観であった。また彼が、目指すべき「普遍的学問」が「公理的基礎」のうえに「演繹的体系という形態を」とらなければないないとしたデカルトを受け入れない(同)のももっともである。フッサールは「真の学問」の「理念」は、「判断を基礎づける」ことであると言う(190頁)。これは少しわかりにくい。ふつうは「正しい判断」すなわち真理を得ることと考えられようし、私もそれでよいと考える。彼がこの「基礎付け」を「判断と判断対象〔事実ないし事態〕そのものとの一致」の立証とすることはわかる。しかしそれに「明証」を絡めてくることでわからなくなる。やはり、明証的とされる公理からの演繹となってしまうのか。フッサールは「存在するものの全体」と妥当な定義を与える(198頁)「世界」の「存在」の明証は必当然的でないと言う。もしこれを私の言葉で「世界が実在するという意識は自然的だが、その判断が真理であるかどうかは明証的でない」と言い換えて構わないなら(同頁下段からはそのように思われるが)、支持する。さてそこで彼は「客観的世界」に対して「判断中止」またはそれを「括弧に入れる」ことを求める(200頁)。そのことへの不満は拙書で述べた(298-299頁)。デカルトに対しては、「われ思う」から出発することは認めながら、「帰納的に基礎づけられる仮定とも協力」すべき学問に、この「われ思う」が基礎を提供すべきものとみなすような、「数学的自然科学への賛嘆から生まれた」「偏見」を批判する(204頁)。典型的に標的となるのはスピノザである(205頁訳注)が、この批判は正しい。

とはいえ、フッサール自身の「省察」が正しい道を進んだとは思われないのだが、誌面が尽きてしまった。


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