床屋道話48 「トロッコ問題」問題

二言居士

 

 発端は、1967イギリスの倫理学者フィリッパ・フット(当時はボーザンゲト)が発表した論文である。故障した列車が進む先に、五人の人が線路に縛り付けられている。あなたのそばにある方向指示器を操作すれば列車は分岐線にはいり、その先には一人の人が線路に縛り付けられている。あなたは方向指示器を操作すべきか、というものらしい(エドモンズ『太った男を殺しますか』鬼澤忍訳、太田出版、2015)。

この問題が有名になった理由は二つ挙げられる。一つは、関連する問題が次々に提出され、いわば「トロッコ問題群」が生まれたことである。もう一つは、それをかのマイケル・サンデル教授が取り上げたことで、業界外の人々にも知れ渡ったことである(サンデル『ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業(上)』小林・杉田訳、早川書房、2010、では「第一回」の「講義」にこの話題がふられている)。

はじめて聞いたとき、私は違和感を覚えた。何のための問題だろうと。直感的には、功利主義を擁護するためのもののように感じられた。つまり、この場合あなたは転換機を操作するのをよしとするよね。だから、「損失を最小化する」または「大きな利得のために小さな不都合を犠牲にする」ことが正しい、という功利主義の原理に賛同していることになるよね、と言いたいのかと感じたわけである。彼女の意図がどうであったのかよくはわからない。論文そのものを読んでおらず、それに関して私がみたわずかの文献でも明瞭には述べていないからである。もっとも論文そのものにも私が知りたいことは書かれていない可能性はあり、またサンデルはこのような観点で(功利主義に有利と思われる思考実験として)これをとりあげている。違和感を覚えた最大の理由は、しかしこの問題はその意図にあっていないのではないかということである。つまり「ひとりを犠牲にする」選択肢を選ぶ者が多いとしても、それが功利主義が正しい(少なくとも多くの人が事実上支持している)ことを示すものとは言えないのではないのかということである。これについては後にまた述べよう。

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フットの問題が他の多くの類似問題(前掲エドモンドの本では「トロリー問題」となっているが、本稿では「トロッコ問題」ということにする、さしている事柄は同じ)を生み出したと述べた。サンデルの「授業」ではその一つを続いてとりあげ、フットのもの(以下「原型」)と対比させる。それはジュディス・ジャーヴィス・トムソンによるもので、以下「跨線橋版」と名づけよう。暴走する列車の先に、線路に縛られた五人の人がいることは同じだが、今度はあなたは線路の横でなく、線路をまたぐ橋の上にいる。なぜか隣に「太った男」がいて、彼を線路に突き落とせば列車を止めて五人を救えるが、さてどうするか、というものである。この原論文も私は読んでおらず、提出者の意図はよくはわからない。サンデルはこれを提起して、学生に否定的な答えが多かったことを受けて、原形での対応と比べさせる。少数の犠牲で多数を助けるという意味では両者は同じはずなのに、なぜ答えが異なるのかと。

サンデルはこれについての学生の意見を聞き、また他の問題(トロッコ問題ではないが、少数の犠牲によって多数を助けるという意味では共通する問題)についても考えさせながら、次のようにまとめる。道徳の考え方は一つでなく、帰結主義的なものと定言的なものとがある。前者は「何をするのが正しくて道徳的か、ということは、行動の結果として生じる帰結で決まる」というもので、その中で「最も影響力のうる例は〔…〕べンサムが生み出した功利主義だ」(20頁)。後者は、「帰結がどうあれ、ある種の絶対的な道徳的要請や義務や権利のなかに道徳性を求める」もので、その「最も重要な哲学者は〔…〕カントだ」(20-21頁)とする。そして「今後の講義では」この両者の「対比をみていく」と述べる(20頁)。これは最低限の防衛線として必要な言葉であったろうが、私としてはやはり、道徳原理をこの二つしかないということはできないということは注意しておきたい。(なお後者の立場の名称としては「義務論」というほうがふつう。)

ここで「突き落とさない」を選んだのが思ったより多数であったが、それはひとまずおくことにしよう。サンデルがこの講義でこの「対比をみていく」というのは、どちらかを正しい結論するものでないことを含意している。それは「講義」の一つの方式として(特に「倫理学」では)あり得ることである。複数の説があることを紹介し、それについて考えさせること自体を「講義」の目的とする方式である。ただ彼自身の立場として、他の著作などから推測される限りでは、功利主義者ではないようである。

それはそれとしてこの「講義」の論理に私は躓く。「跨線橋版」で突き落とすのが功利主義、そうしないのが義務論、と言えるであろうか。義務論を非功利主義の代表として広くとるにしても、たとえば非功利主義だが、突き落とすのを少なくとも「間違い」または「道徳的悪」とはしない、という選択もあるのではあるまいか。ここでサンデルは功利主義を「帰結主義」という観点でみている(そのこと自体は不当でない)が、それなら対比されるのは動機主義、道徳的善悪を決めるのは行為の(結果でなく)意図であるという立場であろう。であればそのどちらに与するかを判定する思考実験は、たとえば「意図はよいが結果が悪い」行為を「道徳的に(は)よい」行為とみなすかどうか、ということの具体例でなければなるまい。実際の「トロッコ問題」論議も、その線で進んだようであり、原形と跨線橋版とで生まれる違いを、「予期されること」と「意図されること」の区別で説明しようとする「二重結果論」論議が絡んでくる。(ただしこれには「ループ線版」とも言えるものが登場し、それで問題が解けることにはならない。詳しくはエドモンズ、前掲書。)また、カントを出すなら、「完全義務」(ex人を殺すな)と「不完全義務」(ex人を救え)の関係の問題がここでかかわるはずだが、サンデルもエドモンズもその語は出さない。その他いろいろからんでくる論点はあるが、紙数の関係で、私が最も関心を持たされたものだけを挙げよう。

ダットン『サイコパス』(NHK出版、201341頁以下)でふれられているものがそれである。そこでも「原型」と「跨線橋版」がとりあげられるが、注目されたのは人々の回答だけでなく、回答するまでにかかった時間である。原型の場合とは違い、跨線橋版では、「ふつうの人とはかなり違って、サイコパスは〔この〕場合もかなり短い時間で結論を出す。まばたきひとつせず、まったく平然と大柄の〔太った〕男を橋から放り投げる」。著者はこれを脳の働きと関連付けて説明する。ジレンマが「感情的性質」のものになると、偏桃体およびそれに関連する脳の回路が働くのが、「ふつうの人の神経系」である。ところがサイコパスの場合はそうならないという。つまり本来の意味での「共感」が働かず、これが反応の違いに表れているというのである。念のために断っておこう。「サイコパス」というと、凶悪犯罪者を連想する者がいるかもしれない。しかしサイコパスだからといって犯罪者や変質者になるというわけではなく、(少なくとも結果的には)「ふつうの」人々と平和的に共存している者のほうがずっと多い。そればかりかこのダットンの著作は、サイコパスには(犯罪者もいるが)現代社会の成功者となっている人々も(相対的にはむしろ「ふつうの」人々より)多いという近年の研究を紹介している。ところで、トロッコ問題でのアプローチとサイコパシー傾向が非常に強い人格との間には重要な相関があった、ということから、パーテルスとピサロは、「サイコパシーと功利主義という二つの概念を結びつけるか」に「明らかにイエス」と答えたという。必要なリストラを「可哀そうだ」と避けたり、ためらっているうちに会社を傾けたり、したけどそれをいつまでも気に病んだりする経営者は「成功」しないということである。以上のことから私がさしあたり言いたいのは次の二点である。

「跨線橋版」ではより感情がかかわるのは、他者を害することの直接性のためである。「顔」がみえる敵を撃つよりも、指令室のスクリーンのバツ印に照準を合わせたミサイルのスイッチを押すほうが、心理的負荷が少ない。重大決定が「現場」より「会議室」で行われるようになる現代社会において、本来の意味での道徳感情を持たないサイコパスは活躍しやすい。裏から言えば、サイコパス化しているのが「現代社会」である。

論理的には、反応速度でなく回答に注目するなら、トロッコ問題は、「帰結主義」かどうかという意味では功利主義か否かの判別には十分であるまい、と私は述べた。しかしこれは別の意味で功利主義にかかわる。すなわち倫理に「正解」があるということを前提しているのが、功利主義の重要な面と重なる。フットは功利主義者そのものではないようである(フット『人間にとって善とは何か』筑摩書房、2014、参照)。しかし「正しい答」があると「信じていた」(エドモンズ、前掲書26頁)彼女は、真偽でなく賛否の問題だという考え方は彼女の「忌み嫌う」(同書、28頁)もので、こうした主観主義への「本能的な反感」(同書、32頁)を持っていた点で、功利主義と重なる。だがこれこそ批判的に検討すべき論点である。サンデルもその選択がなぜ「正しいと考えるか」(前掲書、14頁)と問いを出すことによって、(少なくともこの講義の「第一回」では)「正解がある」ということを無意識に思わせる結果になっている。

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「トロッコ問題」の問題は、その諸版に正解したり回答理由を考えることでなく、こうしたやり方が倫理や道徳や正義の考察法だと思わせることで、それらに「正解」があるとする功利主義に加担してしまうことである













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2020/06/20 18:50 2020/06/20 18:50
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床屋道話47 中国の脅威

二言居士

 

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 キャッシュレス化が最も進んでいるのは中国である。カード支払いだけではない。カードもスマホも不要で店の商品を買えるところが増えている。「顔認証」である。昔の「顔パス」は顔見知りの店員しかできず、またその店員は「客」として以外の個人情報は知らなくてよかったが、今は違う。客を見るのは顔のないビッグブラザーであり、こちらの「顔」と「財布」だけでない個人情報を握っている。

「いま民主的でない中国ですごくテクノロジーが発達している。トランプ大統領の米国、排外主義が進む日本も、そんな国家に近づいていると感じます。国に逆らうのは国民としてよろしくないという意見が強まり、民主という意味が崩れている。〔…テクノロジーは効率を上げるが〕すべて効率でみてしまうと優生思想にいってしまう気がする」(能町みね子「朝日新聞」12月1日)。「僕が懸念しているのは、社会的弱者を救済する機能を国家が果たさなくなることです。前は貧乏なのは努力が足りなかったからだとか、冷たい消極的否定論です。2010年代以降は、お金のない人、病気の人は社会保障で裕福な人に迷惑をかけているという熱い積極的否定論に変わっています。〔…〕GAFAと呼ばれる巨大IT企業も登録を通じて個人を統合していこうという発想は、政府が国民を管理するという発想と一緒です」(平野啓一郎、同紙同日付)。スノーデン氏(彼にノーベル賞を!)は中国が十億国民全員の個人データを集め、私生活を完璧に掌握していることに驚いた。だが米国も後に大統領令で、外国との間のメールや通話、ネット閲覧記録のみならず、すべての個人情報を令状なしで集め、永続的に残していることを知った。この告発により、彼は亡命を余儀なくされた。

わが国では今年、消費税増税に便乗して、キャッシュレス化が進められた。政府や財界や「識者」の嘆きに反して、それは他国ほど進んでいない。だがその理由がこうした監視・管理社会化への抵抗でないことでは喜んでいられない(キャッシュレスにしない人の理由一位は「使いすぎの心配」)。同紙同日付けの「ブラック校則」の記事では、「校則を守ることは同然」という高校生は、01年で6割、07年で7割、13年で8割と増えている。香港の若者とは逆に、日本の若者は中国化を望んでいるようだ。




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Edward Snowden氏
提供:Barton Gellman / Getty Images




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2020/04/22 11:01 2020/04/22 11:01
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床屋道話46 「俺はこういう人間だ」

二言居士


  「ビック・ダディ」を覚えているだろうか。小生は特にフォロワーでなかったので、彼が南の島や東北の村でどのように暮らしていたか、よく知っているわけではない。いわんや『裸の美奈子』を購入して、「どこでも脱いでないじゃないか!」と怒ったような人間(?)ではない。ただし小生は物まねが好きでよく見る。うまいまねや意想外のまねは無論楽しいが、対象のどこを切り取るか、どこを誇張するかにも面白さを感じさせられることがある。後者の場合、まねされる人の一面が浮き彫りにされる(時には一種の批評になる)ことでのおもしろさの場合と、人々がこういうところを印象的にまたはおもしろく思うのだということに気づかされるおもしろさとがある。「旬の人」であった当時、「ビッグ・ダディ」も何人かがまねしたが、その際よく切り取られたのが今回の題にしたせりふである。彼そのものを主題としたテレビ番組などで彼のこの言葉を印象的に扱った面もあるのかもしれないが、それならそうした番組制作者を含めて、人々がこの「決めぜりふ」に何かを感じたからではなかろうか。

何を感じたのか。開き直りのせりふであり、駄々っ子のような「キャラ」を少し上からおもしろがるのにはまったのか。そうかもしれない。繰り返せば小生は彼の人となりをよくは知らない。しかしそう単純ではない気がする。車寅次郎のおとなげなさを人はまず笑うが、そのなかに何か尊いものを思い出さされることがある。ビッグ・ダディのこの言葉は、開き直りでもあるが潔さも感じさせる。理屈で言い訳したり、説き伏せたりしようとはしない。一般にはそのような構えが不快な時もある。一つは丁寧に説明すべきことについてその努力を怠ってこう言う場合である。もう一つは「上」の立場からの間接の命令としてこう言う場合である。明らかに彼は後者ではなく、妻子はこの「ダディ」を畏敬して言われるまま従ったのではなかった。前者は微妙なところもあろうが、本質的にはそうでなかったと思う。なぜなら「ビッグ・ダディ」もので焦点になっていたのは彼の「生き方」であり、生き方については最終的には「俺はこういう人間だ」ということだと思うからである。説明責任の放棄でなく、これ自体が他のすべてを説明する「最後の言葉」である。正しいかどうかの問題でなく、自分はそうでしかあり得ないという自覚である。それによって相手は、ついていくか、離れるか、着かず離れずで折り合っていくか、敵対するか、相手に委ねているのである。その点で潔く感じさせる。自分は正しいという思い上がりや、自分に従うべきだという威令ではなく、賭けであり諦めでもある。それでも「前向きな」人は、自分がこういう人間だと頑固に決めつけるのは変わろうとする努力の放棄である、と批判するかもしれない。正論めいて聞こえるが、小生は、中年以上には無駄な言説と思う。不惑をこえて生き方が変わることはまずない。ごくまれに「人が変わった」と言われるようなのは、異様な体験によってなどで、結果的に変わったのである。善意の批評としても、「変わる努力を」ではなく、彼は「こういう人間だ」ということをうけとめて、よいところを評価し、自覚していない短所で自他が困っているならそれを気づかせる、というほうがずっと有効であると思う。また長所を自覚していないことで損していると思われるなら、その指摘はさらにありがたいことであろ

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う。それを気づかされたことから当人が潜在能力を顕在化させて、自分はこういう人間「でもあった」んだと思うこともあるかもしれない。

自分がどういう人間か、は意外とわからないものである。また我々は自分を「相手」や「世の中」に合わせて変える(それはある程度まではおとな=社会人として当然のことである)ことに汲々としており、そのなかで自分がどういう人間かを思うことすらなくしてしまいがちである。「ビッグ・ダディ」ははじめはどこが「ビッグ」かよ、と突っ込み的に笑っていても、なるほどある意味で「ビッグ」だと感じさせられてしまうものがある(三度目だが、小生の思い入れに過ぎないかもしれない)。こどもの多さを苦にせず、毀誉褒貶に動かない「昭和な」男に我々はすがすがしさを感じさせられるのかもしれない。

「そこまで俺は言う」。




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2020/03/11 20:03 2020/03/11 20:03
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床屋道話45 感情論

二言居士

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 この春、経団連の中西宏明会長が、原発の早期再稼働を求める発言を行った。そのなかで、「エモーショナル〔感情的〕な反対をする人たちと議論しても意味がない。絶対いやだという方を説得する力はない」として、対話そのものに対しても消極的な姿勢を示した。これに対して、原発そのものの問題はもとより、再稼働を急ぐ財界の考えに対してもいろいろな意見が出ている。しかしここで扱いたいのは、「感情論」という非難で話し合いを「無意味」とするスタンス一般についてである。

 最終的な価値を決めるのは感情である。感情を排した議論に「意味がある」のは、価値観が一致しているときである。いやそのときに問題になるのは損得勘定だけであるから、どちらの計算が正しいかを検証することだけが残っており、それこそ「議論する」意味はないとも言える。

中西氏の発言の根底には、この問題に対する(客観的に)「正しい答」があるという想定がある。客観的真理であるから理性的検討が必要であり、「エモーショナル」なスタンスはそれを妨げるから無意味だというのであろう。だが原発再稼働で問われているのは客観的真理の問題ではなく、主体的選択の問題なのである。自分たちの価値観を「正解」として、その価値(たとえばGDP)に合わせた「最適解」を自分達は知っており、他方「感情的な大衆やそれを煽っている反体制インテリ」をディスるというのが、近年の「エリート」や自分はそちらの側だと思っている「保守派」と「改革派」である。(この際「リベラル派」と「守旧派」が攻撃対象となる。)

一ノ瀬正樹氏は、原発問題に関して、「お金より命」という言説を、経済によって命が守られる側面を見落とした幼稚な思考形態とする(『思想』2019年第3号)。その側面を持ち出すことで、しかし彼は、どこかでどちらかを選ばざるを得ない側面を隠蔽しているように思われる。一般的には経済的豊かさは善であろう。しかしたとえば経済成長にマイナスだったり電気料が高くなったりしても原発をやめるかどうか、根本の価値が問われることもある。彼は功利主義に立つようだが、それと異なる倫理説の一つとされる「義務論」との関係について、「同質化している」とか「融合している」など取り込みたい意向のようだが、我田引水ではなかろうか。彼は、高校に導入予定の新教科「公共」に関して、「多様な立場や意見をぶつけ合った上で、最適解を見つけて確定していく、という手順を学ぶ場」と位置付ける(下線は引用者)。立場や意見が異なっていた者が、討議を通じておりあっていくことが可能な問題や必要な場面ももちろん存在する。しかし彼はその可能性や必要性をあまりに性急に、かつ過度に言い立てているように思われる。小中学校の「道徳」の教科化に続く高校の「公共」科目の位置づけがここにあるとすれば、大きな不安を抱かざるを得ない。こうした「最適解」に納得できない者は、よくて劣等生、悪くすれば非国民にされてしまうのではないか。ここには功利主義と、それと癒着する現代国家主義の危険をみないでいられない。

感情には理由がある。中西氏などからすれば、「絶対嫌だ」という意見は「根拠のない不安」にしかよらないと言いたいのかもしれない。確かに絶対事故が起こるとは言えないし、事故が起こる確率や、事故のときの死傷者を数値で出せるわけではない。しかし絶対事故が起きないと言えるわけでもないし、何万年も危険な放射能が残るのを必ず被害を出さないと断定するほうがよほど不合理であろう。不確かさのために怖がることは合理的であり、明確な数値(「エビデンツ」)が出ないものは「無意味」だとしりぞけることは理に反した狂信である。

さらに大事なことがある。異なる価値感情に接することはけっして「無意味」ではない。人がどんな気持ちで反対(または賛成)しているのかを知らなければならない。そしてそれを知ることで自分の気持ちも変わるかもしれない。根本的な価値感情は、確かにそう簡単には変わらない。それでも異なる、または対立する相手と直接接することで、相手に対する見方や接し方が少しは変わることもある。どちらも変わらないにしても、少なくとも変わる可能性に対して自分を開いておくということはとても大切なことである。エモーショナルな相手に接するのは無意味だというのは認識としても浅薄だし、思い上がった感情の発露である。

こういう人々の「感情論だ」という非難に屈してはならない。特に、いじめられている者、不正や被害を受けている者は自分の感情をはっきり訴えよう。感情を言う訓練や、感情を聞く訓練もしよう。念のために言えば、感情「を」言うことは、感情「で」言うことではない。追い詰められた人がヒステリックになってしまうのを非難するのは大人げない。しかし感情「を」うまく表現する努力をまったくしない人が、都合が悪くなると黙り込んだり怒鳴り散らしたりする、いわゆる「感情的な」態度は、無論よいことではない。

しかし感情「を」言うことは必要であり、「人の気持ち」を聞こうとする態度は重要である。事実を知ることは必要である。これはあることに関してどれだけ知ることができるか、ということについての「事実」も含む。また確かに論理的でなければ意見は有効性を持たない。しかし事実信仰・論理信仰になってはならない。事実と論理からは価値はでてこない。こうした信仰が「感情論」を否定するとき、自分の価値を所与(逆らってはならないもの)として押し付けようとしているだけのことが多い。


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2019/07/31 20:34 2019/07/31 20:34
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床屋道話44 けんかのしかた

 

 

 近頃話題になった、そして多く不評を買った二つの政治的言行をとりあげたい。

一つは、小池百合子都知事による、新党騒ぎでの「排除します」宣言である。なぜ非難されたのだろうか。政党は思いを共通する者がつくり、つまりそうでないものは排除するのが当然ではないか。少なくない党員が排除された民主党も、つくったときに「排除の論理」を唱えたではないか。しかし小池氏の排除宣言が批判されたのは当然だと思われる。①そもそも新党づくりの大義名分が、政権与党に対抗する勢力の結集とされた。ならばなるべく多くの者が加われるようにすべきなのに、はじめから民主党の半分には賛成でない主張への賛同を条件にしていた。議席を守りたければいま波に乗っているこちらにくっついていくしかないだろう、という傲慢さが透けて見えた。②物事の決め方もきわめて不透明であった。肝心なところはいまも(永久に?)藪の中だが、前原誠司氏がかつがれてしまったのではないかという疑惑がぬぐえない。

もう一つは、安倍晋三首相による、選挙の街頭演説での、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」発言である。その場にいた、「安倍政治を許さない」プラカードを持った聴衆などを指してのものだ。擁護する声もある。選挙戦で相手に負けられないのは当然であるし、組織によって動員され話を聞くというよりも妨害目的のような相手だったから、などと言われる。しかしこれにも反論がある。①居合わせた人のいくつかの証言によれば、確かに組織で来ていると思われる者もいたがそうでない者も少なからずいた。ゼッケンやプラカードはもとより、ある程度の野次も選挙ではふつうのことなのに、首相はなにか犯罪者集団を「罵る」ような口調で違和感を与えた。②「こんな人たち」は単独ではひどく悪い言葉とは言えない。ただ首相の日頃の態度が、メディアを選別してあるものは優遇する一方で特定のものを排除したり罵倒したり、国会でも野党の質問にははぐらかしや逃げや逆襲で応じることが多く、反対者への敬意欠如が指摘されるなかで、反発を招いた。➂後に同じ場所での街頭演説では、あらかじめロープを張り、事前に許された者しか近づけさせない態勢をしいたので、①②の批判を裏付けることになった。

上の小池発言・安倍発言が反発を招いたのは、こうした直接的理由から理解できる。また近頃の政治家に、ことさらに「敵」をつくりあげてそれを「たたく」演出で支持を集めたり、社会の分断を助長する政策や態度をとったりする好ましからぬ傾向があるという広い背景からも、この反発は理解できる。しかしそのなかに感じられた雰囲気や、反発が私の想定以上であったことから、危惧も覚える。政治で特定の集団を排除したり政敵に負けられないと宣したりすること自体への、反発がありはしないかという危惧である。もともと日本人には「和」への過剰な願望がある。ところが新自由主義により、「勝ち組」「負け組」の分断を当然視され「競争」が礼賛されるようになった。こうした「空気」へのいわば機械的反発から、逆の極への揺り戻しとして、排除や対立への過剰な非難も生まれているように感じるのである。

政治の本質は対立である。が、「みんなの幸せ」のために働くという政治家や、プレイヤー全体の利得が最大になる最適解を求めているという「理論家」がおり、つまり彼等は、対立を言い立てるのは悪い思想にかぶれたか頭が悪いかの不平分子であると陰に陽に宣伝している。こうした宣伝こそ、実際の対立を覆い隠し、現在の体制、つまりいま強い者の支配を正当化してそれに服従させる悪質なデマであると明らかにすることが、まさに「進歩的知識人」の役割ではなかったか。民主主義とは「対立をなくす」こと、みんな仲良くすることではない。闘い(と支配)の一つのかたちであり、対立をできる限り暴力によらないで解決する仕組みである。けんかしないことでなく、けんかの仕方を学ぶことである。小池氏や安倍氏などのこうした言動を批判しているのは、「リベラル」寄りの人々が多そうである。しかし対立を言い立てるな、というのは本来保守派の態度である(この意味で安倍氏に眉をひそめる自称「正統派保守」の論客もいるようだ)。宗教や国籍でくくった人々をひとまとめに「敵」とするヘイト行為などはもとより非難されるべきである。しかしけんか一般を非とするようになってしまうと、かつてのように、「一億一心」や「八紘一宇」のような、異を唱えさせない政治への動きにもっていかれてしまうのではなかろうか。



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2019/03/21 05:26 2019/03/21 05:26
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床屋道話43 聖地巡礼

二言居士

 

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 中世欧州の三大巡礼地とされたのは、エルサレム、ローマ、そしてスペインのサンティアゴ・デ・コンポステラであるという。無論これ以外にもいろいろあり、たとえばイギリスならカンタベリーなどである。宗教上重要な場所であり、エルサレムなら教祖イエスの、ローマなら初代教皇ペテロの墓があるとされる。だがこれは我々(キリスト教徒でない日本人)としては突っ込みたくなるところだ。聖書によればイエスの墓はからだったはずで、そこに「お参り」する何の意味があるのか。またいかに「地上における神の代理人」としても、人間である教皇の墓参りに功徳を認めるのは「被造物崇拝」にならないか、と。我々(徹底した合理主義者ではないふつうの日本人)の「つっこみ」は、ここからキリスト教否定に向かうのではなく、それが仏教や神道などの「低級」な宗教に対して彼等が自らを区別することへの否定に向かう。つまりキリスト教もその実態は建前とは違って、仏舎利を納めたり宗祖や祖先の墓がある寺に詣でたりする「我々」と同じではないか、と。「我々」のなんとか上人ゆかりの地と同様、使徒や「聖人」たちに縁ある教会には、その遺骨や遺物による「奇跡」物語も欠けてはいない。それへの「合理的批判」として最も早いものの一つは、実は熱心な信者カルヴァンによる。

「我々と同じ」という観点からすれば、敬虔なるキリスト教徒の巡礼を笑うのは心無いわざでもあろう。むしろ事実認識として日本の若者が誤解しないように断っておきたいのは、当時の巡礼がきわめて厳しいものであったことである。エルサレムを統治していたのはイスラム教徒である。キリスト教徒が来ることを原則禁止していたわけではないが、無論歓迎はしない。旅行会社のツアーも観光旅館もない。定期船も高速道路もない。船路なら海賊、陸路なら山賊の恐れもある。楽しい旅などではまったくなく、罪に対する罰(免償)として位置づけられてもいたのである。

日本の聖地巡礼といえば「伊勢参り」が思い浮かぶであろう。しかしこれが行われたのは江戸時代からである。そもそも皇祖神である天照を拝むことが庶民には許されていなかった。江戸の庶民が拝したのは内宮のアマテラスでなく、家内安全や商売繁盛につながる外宮である。外宮の神官が暦の製作にも携わり、そのもとで(富山の薬のように)全国に売りに行くようになったのも伊勢への参拝客を集めた。(サミットをここにもってきた安倍首相には残念かもしれないが)江戸時代の伊勢参りは天皇家や日本国への思い入れとは関係がない。徳川幕府が平和を実現し、街道整備などで道中も便利になった。少しは豊かになった人々が次に求めるのはレジャーである。伊勢参りの本質は敬神以上に物見遊山なのである。これが西洋中世の巡礼と大きく違う。通行手形をもらうために伊勢詣でを「建前」にしても、「ついでに」という京大阪見物が「本音」だったりする。「精進落とし」がさらに楽しみなつわものもいて、伊勢山田は実はそのような風俗店でもにぎわっていたのである。

現代日本の「聖地巡礼」は、アニメの名場面の場所やはやった映画のロケ地などをファンが訪ねることである。チャラいとお嘆きあるな。いままでの説明でわかるように、もともと聖なるものの秘密は俗なるものなのである。自分を救ってくれる人が、その人の真実の神仏なのであり、想像力でつくられたものをあがめることこそ被造物崇拝なのである。日本の学者によれば世の常ならずすぐれたるものはそのまま神なのであり、ナウなヤングが神〇〇と気安く祭るのもその伝統にある。霊場を町おこしに利用するちゃっかり精神もまたしかりである。パワー・スポットが本気の反合理主義にいかない限度内なら、プラシーボ効果も心理現象としてはリアルなものなので認めてあげよう。自分だけの聖地へのセンチメンタル・ジャーニーによって、復活体験を得るというのもいいではないか。anywhere out of the world とうめくのでなく、自分の聖地を持つ者は幸いなるかな。



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床屋道話42 人生はリセットできない

二言居士

 

 話のはじめはあるスペイン人である。インターネット上で、十数年前の保険料滞納(後に滞納額は支払った)に関する記事が現れることについて、検索サイト「グーグル」の検索結果からの削除を求めて訴え、欧州連合(EU)司法裁判所が20145月、グーグルに削除を求め得る場合があるとの判断を示し、そのなかで「忘れられる権利」にも言及した

日本では、2011年に女子高校生に対する猥褻行為で逮捕され罰金刑を受けた男性が、グーグルに検索結果の削除を求めて訴え、埼玉地裁はこれを命じる仮処分を出した。この命令を不服としたグーグルの異議に対する決定理由の中で、地裁は1512月、「忘れられる権利」に言及した。しかしこれに対し東京高裁は、保全抗告審で、地裁の命令を取り消す決定を出した。「忘れられる権利」については、「法で定められたものでなく、独立して判断する必要はない」として認めなかった。最高裁は、これがプライバシーに属するが、児童買春が社会的に強い非難の対象とされ罰則をもって禁止されていることに照らすと公共の利害に関する事実であるから、この情報を提供する行為が違法になるとは判断されないとして訴えを退けた。

また約十年前に資格のない者に一部の診療行為をさせたとして逮捕され罰金刑を受けた歯科医が、その記事が表示される検索結果の削除をグーグルに求め、東京地裁は15年削除を命ずる仮処分を出したが、横浜地裁は請求を棄却する判決を出した。

「忘れられる権利」は、現在の法律では定めがないが、認めていくべきなのであろうか。しかしそれは何を意味するだろうか。上の事例からわかるように、本人がこのことはもう情報提供しないでほしいというならば、提供者がそれをやめる義務を課すということである。

まず問題にしたいのは、それがよくプライバシーとからめて論じられることであるが、両者は切り離すべきなのではないだろうか。そもそも情報が意図的な誹謗中傷の場合は「プライバシー」とは別問題である。また事実であるが不特定多数に知らせるべきでないことなら、はじめの報道が問題であって、もう時間がたったから伝えてはいけない、ということとは理屈が別である。「プライバシー」は今日自分の情報を自分で監督する権利とされているので、間違った情報を正させる権利(正す義務)はあるが、これも「古い事実だから忘れてくれよ」というのとは別だ。

犯罪事実などの場合、(刑期を終えたり罰金を払ったりして)「償った」人が、いつまでも忘れてもらえないのはよくない、という意見もあるようだ。反省した者や更生した者への差別や偏見は確かに好ましくない(そしてそれが違法な差別であればそのことの撤回や賠償を求めることは正当である)。しかしもとの事実を人々に忘れさせるような措置を情報産業や報道機関に義務付けるというのは行き過ぎであろう。当人が反省、更生した新たな事実を積み重ねることによって、そんな過去があったことなど自然に忘れられてしまうか、またはその過ちを糧にしてむしろ立派な人になったと評価されることを、めざして努めるべきであろう。

法的には、長谷部恭男氏(早稲田大学教授)は「忘れられる権利」を「わざわざ日本法の概念、観念とする必要はない」と述べているが妥当であろう。

添付画像
一般に倫理的にはどうか。自分や他人の過去について、もう問題にしないという意味でなかった「ことにする」ことはできる。しかしその事柄そのものがなかった「ことになる」ことはない。一度起こったことは、天地が滅びるまで、一点一画もなくなることはなく、黒歴史を「チャラ」にすることはできない。赦すことは忘れることと同じではない。「忘れられる権利」が持ち出されるようになった背景には、反伝統主義の、「その場その場で勝てばよいことにしたい」という動きがあるのではなかろうか。

「忘れられる権利」が公認されることで喜ぶのは、「〇〇はなかった」「××はなかった」と言いつのっている歴史修正主義者、都合よく記憶にあったりなかったりする政治家、公文書を簡単に捨てたり改竄したりする役人、のたぐいであろう。「リセット」して「ゼロから」始めるのは単細胞時代のゲームだけでよい。

小生もだんだん記憶力が衰えてきつつあるが、忘却の力に抗いつつ、「水に流す」ほうがよいものと、失敗に学んで改善や改革に取り組むべきものとを、しっかり分別するよう努めたい。



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2018/09/08 18:50 2018/09/08 18:50
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床屋道話41 「心」の問題

 

 某県の知事が「女性問題」で辞職した。「出会い系サイト」で知った女子大生と関係を持ち、会うたびに三万円ほど渡していたという。本人によれば、金を与えたのは「好きになって欲しかった」からだが、他人からは「売春と言われても」仕方ないという意味で非を認めたものである。成人同士のまったく自発的な売春は悪ではない、という議論は昔からある。その問題を正面から検討することはしないでおく。ここでとりあげたいのは、からめ手からの横槍として、「結婚だって無期限の売春だ」という議論である。

長い間小生は、この言葉は売春容認のまじめな論拠として言われるのでなく、ブラック・ユーモアに近いネタの一つと思ってきた。しかしどうも、品が悪すぎるので口にはしない、あるいはその表現は好まないにしても、事柄の本質はそのようなものだと本気で考えている者は想定していた以上におり、「ごく少数」とは言えないのではないかと思うようになった。要するにお互いの損得勘定だということである。小生は結婚について、必要悪視するパウロのような宗教的禁欲思想に同意できないのはもとより、これを「人倫的結合」とするヘーゲルの観念論的位置づけにも、ちょっと立派過ぎはしないかと違和感も覚える。しかし損得勘定で利用し合っているに「過ぎない」と割り切るほどの、個人主義や功利主義にはなじめない。つまり「損得」の面が少なからずあると事実問題として認め、またそのこと自体を悪いとはしない。しかしそれ「だけではない」のが多くの場合であろうと思うし、それ「だけ」ならばつまらないと思う。「つまらない」の意味をさらに説明すれば、よんどころない事情でそれ「だけ」のために結婚し、あるいは夫婦生活を続ける場合は「やむを得ない」つまり悪とは認めないが、その場合は生きている意味のかなりの部分がなくなってしまうと感じる、ということである。ここで問題なのは、そう「感じない」人にはこの議論が説得力を持たないことで、結婚即無期限売春説を「本心で」是認するものはそれにあてはまるであろう。ではそれ「だけでない」ものは何かと言えば「心」の問題であり、性欲を満たすことはこれにはいらない。かの知事が「好きになってほしかった」というのはその意味では同情できる。金によって実現できると思ったならそこが間違いであり、彼は邪悪というより未熟な人間だったのだろう。

和辻哲郎は、風土に基づく日本人の国民性を、「しめやかな激情」「戦闘的な恬淡」とする。これは小生には実によくわかり、うまく言ったものだと感心する。これが「わかる」のは推論によってでなく直感によってである。パスカルの用語にすれば、「幾何学の精神」でなく「繊細の精神」によってである。よってこの命題を「証明」することはできない。「しめやか」でなく「ドライ」な日本人もいる。「恬淡」とせずにしつこい日本人もいる。それは少数派だと言えようが、では何パーセントかと言われると統計があるわけではない。他の国民と比べて「しめやか」な人が何ポイント多いか、数理的な調査があるわけではない。またこうした「幾何学の精神」では概念を定義することが求められるが、この場合の「しめやかさ」とは何か。最高湿度何パーセント以上の日が年に何回あるか、なら明晰判明な答えが出るが、「しめやかな激情」をどう数値化できるのか。けれども多くの人はその意味を「了解」する。春夏秋冬の雪月花に照らし、あるいは広重の五十三次なり中島みゆきのニューミュージックなりのしみじみした情感に照らして、または和食が中華やフレンチやエスニックのようなしつこさがないことに照らしても、「しめやかな激情」や「戦闘的な恬淡」が日本の心であることを了解する。それだけが「日本の心」ではないと補足するにしても、自分はその意味ではあまり「日本的」ではないと考えるとしてもそれが日本的であることは了解する。あるいは和辻のこの意見には賛成しないとしてさえも、彼が言っていることの意味や、そういう人がいてもおかしくはないであろうことは、多くの人は了解できる。しかしなかには、ちょっとなに言っているかわからない、と「サンドイッチマン」状態になる人もいるのである。そしてそのような人は小生が以前想定したよりも多いのかもしれないというのが疑問であり、近頃増えているのではないかというのが恐れである。

どんな問題にも、「エビデンス」や「数値化」を持ち出すのがよいこと、すぐれたことのような風潮になってきてはいないであろうか。


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床屋道話40 「世間」とは誰か

二言居士

 

 太宰治の『人間失格』で、だめな主人公が知り合いから忠告され、「これ以上は、世間が、許さないから」と言われ、「世間というのは、君じゃないか」と考えるところがある(新潮文庫版82)。小生が不思議なのは、主人公がこれで相手を論破したように考えている点である。この「思想めいたものを持つように」なって彼が今までより「いくぶん図々しく」(86-87頁)なったということは了解できる。しかしそれは「世間とは個人じゃないか」という思想が正しいとか良いとかいうことを意味するものではない。

「世間というものの実体」はないという思想は、サッチャー元首相は賛成するであろうが、正しくない。世間が実在するのは、個人が実在するように目で見たり手で触ったりしてわかるものでなく、また厳密に「証明」できるようなものではない。しかしあらゆる常識がそうであるように、「ふつう」の人はそれをわかっている。本稿でもそれを「証明」することはしない。少し常識性の側に寄った反問として、「しかしお前が『世間』の代表なのか」があるかもしれない。これに対してこの知り合いは、「そうだ」と答えてよい。少なくとも比較的「世間知らず」の者に対してそうでない者が、「それは世間が許さない」と教えてやることはこれもふつうのことである。その教えが間違っていることもときにはあろう。しかし間違いがあり得るからといって、先輩や教員が後輩や生徒に教えるということ自体が間違いにはならない。

知り合いに忠告された主人公は、単に自分の生き方が世間に許されないということだけでなく、自分が世間知らずであること、世間を知る努力をすべきことに気付くべきであった。しかし彼は、「世間とは個人だ」という間違った「思想」を身につけてしまって、(「世間」が許す生き方でなく)その時々の個人的相手に対して、身をかわしたり身を守ったり利を得たりすればよいという生き方を固めてしまった。バアのマダムに対して「一本勝負」で転がり込んだ(87頁)のは実例である。中毒患者が、治療するのでなく、薬物を入手できればその場はしのげるが、破滅に向かうのと同じである。

作者と主人公とは別だとも言われよう。「悪いお手本」として書いているのではないとしても、小説の作者が主人公を肯定したり美化したりする必要はないと。一般論としてはそうだが、この場合にもあてはまるだろうか。作者の実人生を知らないとしても、「自分には、人間の生活というものが、見当つかない」(8頁)という特殊性を自虐とも見せておいて、いわば「俗悪な世間」への抗議、小説最後の一句にもみられるように、自己神格化にも似た挑戦的な開き直りなのではなかろうか。

「ふつう」がわからない、という人がいる。気の毒なことである。いばるようなことではない。

近頃、「空気を読むな」という声が聞こえるようになった。そういう人の意図はよくわかる。「同調圧力」と闘いたいというのは正当である。「KY」ということでいじめられるのもよくはない。しかしそうした目的のために、「空気を読むな」という言葉は適切でないと考える。空気を読んだうえで敢てそれに反対するということは、そもそも空気が読めないとか読まないとかいうことと同じではないからである。大事なのは前者である。多数意見に同調しないことも当然の権利とされることである。またそのような風習をつくっていくことである。個別の「感覚」でも、かといって「理屈」でもとらえられない「ふつう」や「世間」をよく「察する」ことができるのは、取り柄である。その場の「空気」を読めることは求められて悪くないことであり、「忖度」できることそれ自体は社会人としてむしろ望まれることである。

権利を主張できることは大切である。しかし他人の気持ちを思わずに自利のために権利を言い立て、義務でさえなければ、目の前の相手、その場の空気、そして世間をはばからないことは、強者の支配にしか導かないであろう。


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床屋道話39 経済の「理論」と現実

二言居士

 

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 菅原晃『高校生からわかるマクロ・ミクロ経済学』(河出書房新社、2013)という本を古本屋で買った。帯の「最高・最新の教科書!」の文句にもつられて、お勉強するつもりで求めたのだが、中身は自由貿易やアベノミクスの礼讃など、「教科書」というには党派色が強すぎるものであった。がっかりしたが、ためになったこともある。

新自由主義ないし新古典派をへたに糊塗せずに原理主義的に打ち出していることで、問題点も浮き彫りになる。比較優位説による自由貿易論がその一つである。著者はこれを、「経済学史上最大の発見で、誰一人反証できない、古典理論」(104頁)と言う。ではなぜ反対する人がいるのか。彼が引く(136頁)日経新聞の記事はわかりやすい。TPPで「得する人」が1億人、得する額が計10兆円とする。他方損する人が200万人で損する額が計8兆円とする(総額で得が上回らなければ比較優位説は成り立たない)。この際一人あたりだと得は10万円だが、損は400万円になる。前者がコストをかけてTPP賛成の運動をするとは考えにくいが、後者がTPPにかなりのコストをかけても反対する誘因がある、と。菅原氏がこの「得する人」を「消費者」一般に当てているのは、論点隠しを含む雑な当てはめだが、それは言わないことにしよう。「損する人」を「農業従事者」にあて、「経済学的」にはそれを切り捨ててよいとするところに、この「経済学」の弊害が表れている。新古典派経済学は、倫理学的には功利主義と共犯関係にある。そこでは、「消費者」が10万円の「快」を得ることと「農家」が400万円の「苦」を受ける(つまりつぶれる)ことの違いが、量の問題としてしかとらえられない。そして総量として「快」が増えるならば、決定的な意味で「苦」を受ける(ここでは家業を失うということだが、他に人権を侵害されるとか、人間としての尊厳を奪われるとかの場合も考えられる)少数者がいてもかまわないという強者の論理である。いわゆる「外部経済」の話を持ち出さなくても、農家をつぶして「消費者」が少しずつ「得」することが「正解」と言えるのか。劣位産業にしがみつかないで比較優位の産業に転じれば国民全体が得するのだ、と言い返されよう(実際言っている人々もいる)。しかし土地を手放し長年携わってきた職業から他に転じるのは(ここでも外部経済のことは言わないにしても本人にとっても)容易ではない。比較優位なものにどんどん転じていけばよいというのは、雇ったりやめさせたりする側の者、株を買ったり売ったりする側の者にとって有利で、勤労者や生活者の側にとっては不利な論理である。新古典派経済学と功利主義倫理学の損得計算は、このような立場の違いを覆い隠し、総量が増えればよいという論理で不平等を拡大する思想である。

こうした理論の抽象性は、現実の人々の立場だけでなく、この理論自体の歴史性を捨象するところにも表れている。これについては朝日新聞1990814日付コラム「経済気象台」(筆名「六一弥」)の紹介で済ますことにしよう。“貿易自由化論はリカードが唱えたがその英国の工業が比較生産費で優位を占めたのは25年間に過ぎない。その間耕地は放棄・転用され、95%自給していた小麦は88%の輸入依存になった。世界の食糧事情のタイト化と二度の世界戦争で、英国は惨憺たる辛酸をなめたが、これはリカードの反対者マルサスが懸念していた通りであった。それから英国は必死になって耕地の復活、品種の改良、遺伝子の研究に取り組み、ようやく百年たって食糧自給の道を回復した。”

小生は一言だけ付け加えよう。これらの経済学・倫理学は分業を一面的に礼讃する。しかしアダム・スミスさえその弊害にも目を向けていた。確かに画一化する必要はない。得意分野を伸ばして、個性ある他者と協力するのは互いの益となる。しかし自らを「特化」して自立できなくなってしまうこと、歯車の一つになってしまうことは、個人においても国においても「協力」でなく、強者に従属してしまうことである。バランスを無視した「特化」は、けっして自らを強くすることでも得することでもない。


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2018/04/09 23:52 2018/04/09 23:52
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床屋道話38 組織人のけじめ

二言居士

 

 都知事選で小池百合子氏が圧勝した。小生としては意外な結果であった。

それを予想しなかったのは、まず彼女の出馬の仕方に納得できなかったからである。自民党員なのに、党が正式に機関決定したのに異を唱えた。そういうことはあるとしよう。所属政党の正式決定でもすべてに賛成できるとは限らない。それでも基本方針は認め党員であり続けるなら、決定には従うべきであり、いわんや反対を外に向けて言うべきではない。政治信念や政治信条からどうしてもそうできないというのなら、離党しなければならない。ところが彼女は党員のまま自ら立候補して、自党の公認候補と争ったのである。こうなると党の決定に反対したのも、選んだのが増田氏だからでなく自分でなかったからに過ぎないのではないかと思いたくなる。このけじめのなさをメディアに問われると「進退伺」は出したと答え続けたが、ふざけた話である。「離党届」を出して党のほうでなかなか処分しない、というならまだしも通じるが。結局何か月も後の都議選で、「都民ファースト」という新党の代表になって、はじめて離党を届けた。そもそももとからの自民党員でなく、いろいろな政党を「渡り歩いた」人物だが、組織の上に自分をおく政治家に巨大官庁の最高権力を与えてよいのだろうか。

提起したいのは、単なる小池批判というより、このような仁義なき手法をむしろかっこよく感じる風潮に対してである。政界ではこれは小泉純一郎首相(2001-06)によるところが大きいと思われる。党内にありながら、「自民党をぶっつぶす」発言で大衆の支持を集めた。この党のために骨身を惜しまず尽くしてきた多くの党員の気持ちを思いっきり踏みにじる言い方である。自民党に反対する者もこうした非道さには立腹すべきだったのに、彼を持ち上げてしまった。郵政私有化法に参院が反対すると、衆院の解散に向かった。彼の派閥の長で前首相の森喜朗が、他の長老同様解散に反対で話しに行っても耳を傾けなかった。出てきた森氏が、干からびたチーズを見せこれしか出ないとこぼしたのが印象的だったが、無論それに象徴される小泉氏の対応ぶりを嘆いたのである。議員定年制を決めて排除された中曽根康弘氏が、唇をひくつかせて「政治テロだ」と憤ったのも忘れ難い場面である。念のため言えば、小生は森氏や中曽根氏を支持するものではない。内容的には小泉氏より彼等のほうが悪いと言えるかもしれない。小泉流の手法を問題にしているのだが、これは単なる形式でなく思想でもある。従来の自民党なら、解散する、あるいは年齢制限するにあたって、丁寧な根回しをしただろう。長老が反対と聞けば、何度も足を運んで辞を低くして理解を求めただろう。こうした態度にまわりが長老に対して、「最後はトップに選んだ者に任せよう」とか「そろそろ若い者に譲ろう」とか働きかけて、丸く収めようとしただろう。こうした辞譲の心が日本が世界に誇る「和」をつくっていたのだが、小泉氏が「ぶっこわした」のはこうした古き良き日本であった。

小池氏は、2000年の衆院憲法調査会で、現憲法の「改正」でなく、現憲法を「停止、廃止」のうえで新憲法をつくるという考え(これ自体国会議員では違憲行為)に賛同した。通常の「改憲」派を上回る右翼思想である。また「都民ファースト」代表をすぐやめて、彼女の特別秘書の野田数氏に替えた。野田氏は12年の都議会で、現憲法は「国民主権という傲慢な思想」でただちに放棄すべきであり、「大日本帝国憲法が現存する」という請願に賛成した。小池氏に投票した有権者はこれらを知っているのだろうか。代表交代の後、中学生が新聞に投書した。「新代表は、党の中で選挙をして決めるのが当然と思っていた」のに、「小池さんと周辺だけで」決めてしまったのに「とても驚いた」という内容である。組織人としての筋というより、中学生にもわかる組織原理がわからない、あるいはそのような「国民主権的」原理が嫌いらしい人を長とする党派が東京を(そして今後国政を?)率いていく。

おりしも小池氏は、毎年都知事が「九月一日関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」に出していた追悼の辞を取りやめた。いま世界で移民や外国人居住者への差別やヘイト行為が問題にされているが、小池氏はヘイトを助長する側に立つのだろうか。


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2017/08/29 00:49 2017/08/29 00:49
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床屋道話37 『徒然草』における共感について

二言居士

 

 近頃必要があって『徒然草』を読み返した。感じたことの一つに、動物愛護の心がある。

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第百十一段でこう言う。養い飼うものは牛馬である。「繋ぎ苦しむるこそいたましけれど、なくてかなわぬものなれば、いかがはせん」。必要悪としながらも、「繋ぎ苦しめる」ことを「痛まし」く感じている。虐待してならないのは言わずもがなであろう。「その外の鳥・獣、すべて用なきものなり。走る獣は、檻にこめ、鎖をさされ、飛ぶ鳥は、翅を切り、籠に入れられて、雲を恋ひ、野山を思ふ愁ひ、止む時なし。その思ひ、我が身にあたりて忍び難くは、心あらん人、これを楽しまんや。生を苦しめて目を喜ばしむるは、〔サディストの独裁者〕桀・紂が心なり」(強調と補足は引用者)。こうした思想は仏教からくると一応は言えよう。しかし、飢えた獣のために我が身をさしだす「高僧伝」を描く経典などは、「利他」の論理倒れでかえってばかばかしさを感じさせるのに対し、兼好の論理は、自分の気持ちに基づけることで着実であるとともに、それぞれの生き物の生存環境に思いを寄せることでのびやかでもある。

第百二十八段は、動物愛護の人の実例を挙げた後で、こう言う。「大方、生ける物を殺し、痛め、闘はしめて、遊び楽しまん人は、畜生残骸の類なり。万の鳥獣、小さき虫までも、心をとめて有様を見るに、子を思い、親をなつかしくし、夫婦を伴い、妬み、怒り、欲多く、身を愛し、命を惜しめること、偏へに愚痴なる故に、人よりもまさりて甚だし。彼に苦しみを与へ、命を奪わん事、いかでかいたましからざらん。/すべて、一切の有情を見て、慈悲の心なからんは、人倫にあらず」。国家の暴君だけではない。同胞のなかでは強くもないうさ晴らしか、人間様としての力と知恵を悪用して、他の動物を苦しめて楽しむような者もいる。こういう心理が、しかし弱い人間へのいじめや、国家的な「劣等者」抹殺にもつながっていくのだ。

実際、兼好において、弱い者への同情は鳥獣だけでなく一般庶民へもつながっていく。第百四十二段で言う。「世を捨てたる人の、万にするすみなるが、なべて、ほだし多かる人の、万に諂い、望み深きを見て、無下に思いくたすは、僻事なり。その人の心になりて思へば、まことに、かなしからん親のため、妻子のためには、恥をも忘れ、盗みもしつべき事なり。されば、盗人を縛め、僻事をのみ罪せんよりは、世の人の飢えず、寒からぬやうに、世をば行はましきなり。人、常のなき時は、常の心なし。人、窮まりて盗みす。世治まらずして、凍たいの苦しみあらば、科の者絶ゆべからず。人を苦しめ、法を犯さしめて、それを罪なはんこと、不便のわざなり」(強調は引用者)。著者は世捨て人である。また仏者として、煩悩を去るべきことを説く。しかし彼は悟りの高みから、欲に動く俗人を嘲笑したり愚弄したりはしない。むしろ彼等の立場を思いやっており、また(親子夫婦のもののような)自然的人情を否定しない。そして(仏教でなく儒家の)孟子の「恒産恒心論」を引く。従来の『徒然草』解釈では、仏教が過大評価され儒家思想がほとんど無視されていたのではなかろうか。

兼好は美について「距離をおいてみる」ことを本質とした。「隠者」であっても、彼は現実逃避したのでなく、距離をおくことで卑俗な名利競争から逃れつつ、しかし生活者の切実な情には心を寄せた。暇人のオタクな文章と思ってはいけない。ふつうの現代人にはどーでもいい有職故実などへのこだわりも確かにあるが、『徒然草』の本領は、こうした共感と同情にみられるのではなかろうか。


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2017/06/19 12:57 2017/06/19 12:57
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床屋道話36 四人のピコのはなし

 

 ピコ・デラ・ミランドラはイタリアの思想家である。著作『人間の尊厳について』(1496)はルネサンスの精神を表している。「尊厳」とは他と比べて二倍とか5パーセントとかでない、絶対的な価値のことである。中世においては、人間は卑しいもの、罪深いもの、無力なものと思われ、値打ちあるもののように言うのはむしろ赦しがたい傲慢さとされていた。人間にそういう「面」があることは否定できないが、もっぱらそれしかなく、ただ神の恵みと力を望むことだけがよいとは、ピコは考えない。ではどこに人間の尊さがあるかといえば、彼によれば自由意志にである。知識や力においては、神ならぬ人間はたいしたことはないが、善を少なくとも意志することは自由であり、この点に他の被造物とまったく異なる人間の尊厳があるとしたのである。確かにこれはすべての出発点である。

クロード・ピコはフランスの哲学者である。近代哲学の祖の一人であるデカルトの支持者で友で、デカルトの『哲学の原理』(1647)がラテン語で出ると、その仏語訳を行った。これに対しデカルトは「序文」を付けたが、本文は読まなくてもこちらは読むべきものである。たとえば、こういった難しめの本の読み方について、とても役立つ指南がある。また諸々の学問がどのように結びつくかについての、興味深い考えが示されている。デカルトも自由意志を説いたが、知識と能力についても、ルネサンスより踏み込んだ、前向きの評価をした。これについては、(神に対してではないにしても自然に対して)人間を傲慢にさせてしまったという批判もある。もっともな面もあるが、そうならないための歯止めに関しても、この「序文」のなかにみいだすことができる。すなわち不完全な認識しか持たない人は(ということは実質的にはすべての人はと言っているに等しい)「何をおいても」道徳を立てることを試みるべきだ、「それは後からでは間に合わず、また私達は何をおいても、正しく生きるように努めるべきだから」と、デカルトは言っている。知識・学問に対して道徳・倫理が先立たねばならないとの指摘である。近代社会がそうならなかったのはデカルトのためでなくデカルトに反してである。

フランソワ・ジョルジュ・ピコはフランスの外交官である。イギリス代表マーク・サイクスとの間でサイクス=ピコ協定を結んだ(1916)ことで歴史に名をとどめた。これは後にリザノフによってロシアも加わった。第一次大戦中のことで、この三国の共通の敵であるオスマン=トルコ対策であり、戦勝後、トルコが支配している中東を三国で切り取る境界を取り決めた。秘密協定であったが、翌年革命を起こしたソヴィエト=ロシアが暴露した。近代以降増大した「知と力」を悪用した「列強」による、帝国主義政策の典型である。特にイギリスはいわゆる「三枚舌外交」の一環として不道徳のかぎりである。また、戦後独立した中東諸国の国境がこれに影響され、現地の事情や住民の意見をよそに、こうした「強国」の都合でできたので、その後の紛争の種になった。いまのISの大義名分の一つも、サイクス=ピコ協定の打破なのである。むろんそこに三分の理があるとしても、彼等のやり方はとうてい認められるものではない。しかし、それを単に力づくで押しつぶそうとするだけでは、帝国主義は終わらない。ある宗教やある国に属するというだけで一括してテロ容疑者扱いにし、攻撃したり排除したりすることは、敵意とテロをむしろ拡散するだけである。いま世界中で、そういう権力者が増えたり、それを支持したり望んだりする人々や運動が勢力を増していることは、絶望的な気持ちにさせられる。

しかし絶望してはなるまい。自分には自分なりにできることをしていこう。そしてピコ太郎とともに次のように言って、自分を励ましていこう。I have a pen !


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2017/03/02 02:00 2017/03/02 02:00
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床屋道話35 天皇退位問題に関連し
                                        二言居士

 今上陛下が退位のご希望を述べられた。御高齢にあることから、国民の多くはこれをもごもっともなこととうけとめた。国事行為の委任や摂政の任命という制度もあり、敢て退位しない対策もあるが、陛下がそちらはお望みにならない理由もおいおいわかってきた。そして小生としてはそれも了解できるが、絶対的な根拠とまでは言えないという意見も理解できる。しかしここでとりあげたいのはそのことではない。小生がわからなかったのは、そして多くの国民も不審に思ったのは、右翼の論客の多くが退位に反対であるということであった。右翼こそ、陛下の御意向を重んじ、陛下をいたわることに熱心と思われるからである。また天皇の生前退位は歴史上いくらでもあり、伝統に反するわけでもないからである。そこで彼等の言い分を調べてみた。

 八木秀次氏は天皇の存在の「尊さ」が「男系男子による皇位継承という『血統原理』に立脚する」と言い、「能力原理」を持ち込んではならないと言う。ここで問題になっていることからすると、「能力原理」とは「年で仕事ができないから身を引く」といういわば常識的な考え方である。日本国憲法は、天皇の地位についてもこの常識的な考え方に即している。つまりそれは「日本国と日本国民統合の象徴」であるが、生身の人間である天皇が国や国民の「象徴」であるということの具体的・法的な意味は何かと言えば、天皇がこの憲法の定める国事行為を行うことだからである。八木氏はこれに反対する。天皇の意味は、そのような仕事をすることではない、ただ天皇家の男子として生まれたということだ、とするからである。彼の意見は日本国憲法に反するだけでなく、大日本帝国憲法の起草者たちが想定していたと考えられる、また昭和天皇もそれでよいと漏らされたという、「天皇機関説」にも反するものである。驚くべく古代的な発想である。

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 桜井よしこ氏は、「国家と国民の安寧のために祈ってくださる」「祭祀」が皇室の「本来のお役割」とし、それを私的行為としている現在のあり方を批判している。これも驚くべき、また実に恐ろしい思想である。これは政教分離の否定である。天皇の祭祀を「ご公務」とすれば、国教を定めることになり、国民の信教の自由は否定される。信教の自由こそは近代民主国家の最初の入り口であり、数多くの人々が命がけで、あるいは命と引き換えにかちとってきたものである。また戦前の日本が多くの罪悪を犯し、国民と他国民とに大きな被害を与えた多くの要因の一つが、国家神道の強制によって自由が侵害されたことであった。政教分離は、私達が必死で守らなければならない、最後のよりどころの一つである。なお国家神道は日本の伝統でなく、明治政府の創作である。生前の天皇も神とみなす観念は奈良朝以前よりできていたが、それに従わないということで処罰されたような者は明治以前には一人もいない。天皇が国家なり国民なりのために祈りたいというなら私的祭祀として行うことは自由であり、一般国民がそれをありがたく思うことは無論自由だが、そう思えと強制まではしない、というのがいまの憲法体制であるとともに、そちらのほうが伝統的でもある。いみじくも陛下は、学校で「国歌」を歌わせていると誇った東京都教育委員に、そういうことは(彼等がやっているような処罰を通じての)強制というやり方でないのが望ましい、と正しくもご指摘された。宗教行為こそを天皇の「公務」と規定し、すなわち宗教を国家の公的事項とし、それに従うことを国民の義務として法的に根拠づけることは、とてつもない人権侵害であるとともに、即位に際して「日本国憲法を守る」と述べられた陛下のお心にも悖る。

 多くの国民が陛下のご意向を肯ったのは、難しい理屈からでなく、仕事がつらい高齢になってその地位にとどまるのはお辛いであろう、という人間的な思いやりからであろう。反対する論客にはそれがないのかと言えば、ある意味でないのだろう。仕事ができなくてもよい、ある血筋に生まれたということに意味があるとか、「祈る」ことが「本来のお役割」だとする者は、天皇を人間としてでなく、宗教的存在とみているのである。しかし昭和天皇おんみずからがそれを否定して、「人間宣言」をしたではないか。(安倍首相によってNHK経営委員に任命された長谷川三千代氏はこの宣言を公然と否定した)。昭和天皇がGHQに「押し付けられた」というのだろうか。実際、退位反対派は天皇の「人権」を重んじる結果になることを恐れている。なりたい地位に誰でもなれるわけでないのは当然である。いやな地位に無理やりつけられるのも、実際問題としては仕方ない場合もあるかもしれない。しかしできない仕事をやめさせてもらうことくらいは「人権」としては最低限と思われるが、それを天皇には認めないのだ。

 天皇を人として敬わない彼等は、そもそも国民の人権も重んじない。彼等の多くがかかわったり実現に努めたりしている自民党の新憲法草案では、基本的人権も「公の秩序」によって制約されると明記されており、信教の自由も無条件の保障ではない。彼等は「天賦人権論」を日本の国体(あるいはいまの彼等の用語では「国柄」)に合わないものとして攻撃してきた。同胞国民を敬わず、天皇に対しても最低の敬意も実際には持たず、ただ自分たちの狂信を国民に強いる道具として「神」扱いする。これが右翼または自称「保守派」の正体である


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明治時代初期の頃の理髪店の様子を描いた絵






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2016/12/29 15:56 2016/12/29 15:56
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床屋道話(その34:五輪音頭を聞きながら)

二言居士

 

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 リオ五輪関連の企画で、過去の五輪の名場面、名せりふ、というのを目にした。各人それぞれあろうが、小生としては、バルセロナ五輪での水泳の岩崎恭子の母のものを挙げたい。選手である子のほうでは、十四歳で金をとり、「今まで生きてきていちばんしあわせ」が周知の言葉である。彼女は他の競技にも出たが、メダルには届かなかった。残念でしたね、と聞いた記者に母は次の意味の答えをした。いいえ、勝ちたいと思って頑張っているほかの子にもとらせてあげたい、と。

 開幕の日、小生はある会合に出た。二次会で組織の運営についての話が出、「声の大きい奴が勝つ」という説になった。そこでは小生は新参外様に近い位置で、主催者的な人がこの説を述べたので、(事実問題として)いちおうは肯定でうけて、「でもそれって悲しいですね」とつけた。でもそれはよくないことですよね、と道徳論を仕掛けたり、そういう状況をなくしていきましょう、と決起を迫ったりすることは遠慮して、個人の感情というかたちでの問いかけにとどめたのだ。この小生のコメントに、しかし中心人物もまわりの人々もノーリアクションだったのが残念だった。なぜならこれこそ小生の実存全体がかけられていることだからである。(小生が言外に含ませた)論議や思想を場の空気で敢て露わにしないまでも、「そうですね」とにやりすることくらいはできなかったのか。それともそんな感想そのものがまったく同感できないもので、なにをひよわで感傷的なことを言っているのか、ということだったのか。

 何度も言うが、「声の大きい奴が勝つ」という状況をなくそう、というのが小生の根本の志であり、毎日毎日の仕事である。これはある種の矛盾を含んでいる。つまり場に応じて、その「なくそう」の言い方は多様で、きわめて間接的な、なかなか聞き取りにくい「小さな声」で言うこともある。しかしできる限り沈黙はしないように努め、そして「何度も何度も」いつも同じことばかり言っていることでもあり、つまりうるさい声でもあろう。それでもまた、お前の声は小さい、もっと大きく、もっと多くの人に聞こえるように叫べ、と責めるようにご注進する方々もいる。

 小生はこの矛盾を生きるしかないと思っている、と言えばかっこつけていると言われるかもしれないが、それが実際のところなのだ。

 ちなみに岩崎恭子の母の発言は、今回確認しようと思ったが、ネット上ではみつけられなかった。もしかすると他人のものと誤解しているのかもしれないが、誰かはどうでもよい。ただ、みんなの記憶に残らなかったか、競争への意欲をそぐ残すべきでない発言とされたかなら、残念だが。



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2016/08/24 22:26 2016/08/24 22:26
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床屋道話 (その32 幸村と家康)

二言居士

 

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ことしの大河『真田丸』、出足は好評のようである。二ヶ月みたところ、三谷幸喜らしく、おもしろくできている。ただし小生は本来幸村は好きでなく、ほとんど同じことになるが家康びいきである。従来幸村好きの人というのは、主に幸村が、強力な「家康を最も苦しめ」、弱小ながら知略を使って「もう少しで勝つところまでいった」、活躍によってである。しかし及ばなかったという単純な判官びいきもあろうが、多くは相手の家康が「悪役」と認知されることで増幅する好感度である。

では家康は悪だったのだろうか。その理由として言われるのは、豊臣家を1)悪辣なやり方で2)滅ぼしたこととされる。1)とは? a孫の千姫を嫁がせたのが「安心させる」術策というのは家康をマキャベリストと決め込んだ一種の陰謀史観であり、支持する歴史学者はほとんどおるまい。とするとこれはむしろ「少なくともはじめから」大坂を攻める意図はなかったことを示す。b「外堀だけを埋める約束で内堀も埋めた」というのは、約束内容や家康自身の意図かどうかを含めてはっきりした史実は不明である。また大坂の役が一度で終わらず(豊臣の滅亡に至った)二度目の攻撃が起きたことにとって本質的要因でないと(詳しくは略すが)考える。2)とは? a秀吉から秀頼の後事を託されたのに裏切ったのはひどいと言われる。託された内容が「天下人」とすることまで含まれるかは疑問の余地があるが、そうだと想定しよう。しかしα幼い秀頼にその器量があるかどうかは未知数であり、戦国が終息していない時代にそんな約束は虚しい、とらわれるべきでない気休めとみるのが常識ではないか。β秀吉が主君の信長の遺児たちをどう処遇したかを考えれば、家康にどうこう言える立場ではあるまい(しかも家康は秀吉の協力者であり「義理の弟」であっても家臣ではない)。γだとしても嘘はよくないと言われるかもしれないが、では「約束しない」と明言したらどうなったか。瀕死の者の切望を正直に断るのが道徳的かどうかという私人としての倫理的難問は棚上げしておこう。もしそうすれば二年早く関が原になったであろう。二年後も家康が望んで起こしたのでなく、三成の悪あがきがなければ避けられたと小生は考えている。いわんや秀吉が死んだ時点では、日本は朝鮮(及び援軍の明国)とまだ戦争中であり、内乱はもとより内部対立も絶対に起こしてはならず、公人として嘘でもそう約束することが政治的に正当化されよう。δ成人した秀頼には「天下」を渡すべきだったというのは、現実離れした形式論であろう。徳川家臣らが納得すまいし、秀頼の政権担当能力は未知数である。家康が率先すれば家臣らは従い政治を補佐すればいいと言われるかもしれない。補佐役に従わなければどうか。従わざるを得ないのなら傀儡であって最高権力者ではない。それに家康は既に徳川家でも家督を譲っており、老い先短い「補佐役」の実効性は少ない。bそれにしても滅ぼさなくてもよかったのでは? 滅ぼす意志はなかった。徳川家の最高権力を認めることを求めただけだった。「二つの権力」は平和共存の可能性もあるが、二重権力状態はけっして保たれない。それを認めれば、豊臣家は大名として、(そして権力的には徳川の下になっても)元の関白家として朝廷と結ばれた別格の大名として存続させたであろう。その最も明白な表明は移封の受け入れである(家康が関東移封を受け入れて、秀吉の単なる協力者でなく彼を最高権力者として認める意志を明らかにしたように)。そのことは当時の人々にもわかっており、したがって大坂城に籠った主戦派(ありがちだが、真に城主のためというより自分たちがあばれる名分として主君をかつぐ者たち)は、講和派の道をふさぐべく、移封先とみなされていた大和郡山城をまず焼いたのである。大坂落城後も、家康個人は(もう大名家としては無理だが)助命はするつもりだったのではないか。淀君と秀頼はみずから死んで家を滅ぼしたのである。

家康に悪役がふられるようになったのは明治以降で、二つの大きな力による。一つは少年講談本の『立川文庫』の「真田十勇士」ものである。実在でない「猿飛佐助」なども含めて幸村らの活躍を描いた。単純に活劇としてのおもしろさ、強大な幕府に抗する反体制的(関西人には反東京の)庶民感情、最後に敗れる滅びの美学の三要素で、一般受けした。もう一つは、明治政権が徳川政権を倒して成立したので、その正統性を訴えるために徳川を悪にしたという上からの教育による注入である。一見反体制的な庶民文化の立川文庫も、実はこの体制的枠組みに都合よく働いて家康=腹黒い狸オヤジというキャラ設定が機能したのである。

上に述べたように家康が実際はそう悪でない(大坂方に義はない)ならば、幸村の加担はどうみたらよいのか。従来言われてきたことは、どちらにも加担する(兄は徳川についた)ことで家存続の保険をかけるということで、他の(特に中小の)武士団にも時々みられた。それにしても関が原ならともかく、大坂の役では勝敗ははっきりしていたのではないか。これに対する一つの答えとして、勝つ確率は低いがそれだけ買ったときの利得(オッズ)は大きいので「期待値」としてはばかにできず、大勝負する賭け方もある、というものである。幸村がその場合かどうかはわからないが、一般論としてこう答える。大きな禍に備えるために、損を覚悟で保険をかけることはよいが、あわよくばの利得を狙って、自分の破滅だけでなく、他の人々の損失や不幸をもたらすことはとんでもない、と。なお山岡宗八の『徳川家康』では、別の理由を出している。泰平の世をめざす家康に対して、世の中からいくさはなくならないというのが幸村の信念であると。これは家康礼賛の立場からの対抗的設定に過ぎまいが、もしもそのとおりなら幸村こそ最低最悪の人間である。

家康によって築かれた徳川体制は悪だったのか。そう主張した明治政権を、今の安倍政権(長州)も継いでいる。小生の知り合いで薩摩出身の年配の男性(こちらは朝ドラで注目の五代友厚の孫だかひ孫だかと同級だったという)も大日本帝国の正統性をいまだに信奉しているので、よく論争になる。徳川時代は二百五十年の平和であった。それをあなた方がつぶしてつくった「御維新」体制は十年に一度大きな戦争を行った。いったいどちらがよい統治だったのだろうかと。勿論この一点だけで論ずるのは不十分であろうが、それでもきわめて大きな一点ではある。

三谷幸喜はどのようなつくりで幸村を大坂城に向かわせるのか、みていくことにしよう。


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