草 食 万歳
2010年5月、NHKの番組「日本のこれから」で、現在の日本青年の「草食化」が取り上げられた。もともとは「草食男子」とか「草食系」とかのコトバで、恋愛に消極的な男子を意味した。この番組では意味を広げて、いま日本の若者がいろいろな面で欲が少なくなっている傾向があるという問題としてとらえた。たとえば物欲や金銭欲に乏しい。今の男子はかっこいい車が欲しいとはあまり思わない。女子もいい車に乗っている男の子が魅力的とは思わない。また高価な酒が飲みたいとも思わない。焼酎やサワー系で結構満足している。リッチになりたいともあまりしていない。寝る間も惜しんでモーレツに働いて儲けるより、時間になったらすぐ家に帰ってのんびりしたり好きなことでもしたほうがいい。地位や権力にも惹かれない。ハッスルしたりゴマすったりして出世して、責任や苦労のある役につくのはむしろ避けたいと思う。またなるべく外に出たくない。留学者は減っている。外国どころか東京暮らしにも特に憧れず、むしろ地元でずっといたい。さらに言えば、親の家を出ず、(これは望んでではないが)究極の形では自室にひきこもる。また恋愛だけでなく結婚やこどもを持つことにもこだわらない。積極的な独身主義はいまも少数だが、なんとかして適齢期に結婚したいとかこどもがなければ一人前でないとかいう発想はない。このような傾向について、それはまずい、という批判論と、それを弁護する側との意見交換を中心とした番組であった。これをとりあげたこととこのとりあげ方とは、意味あるものであったと思う。「草食男子」現象は、確かにそれだけでなく深い、それゆえいろいろな現象形態で現れる事象であり、単なる表面的な風俗でなく、政治経済的にも、文化思想的にも「日本のこれから」にかかわる事柄と思われるからである。以下この番組での解説ややりとりからわかったことも含めるが、私自身の観点から考察してみたい。
まずこの「草食化」を批判する側の論点を挙げよう。①そもそも生きているということは欲の追求であり、無欲になってしまうのは生き物として欠陥ではないか。むろん欲にもいろいろあり、バブル期のようなドンペリをあけたり男に貢がせたりすれば幸福と思うようなのは下品であろうし、社会の掟を破ったり他人を傷つけたりして自分の欲を追うのはけしからぬことではある。しかし若いうちから悟ったように「足るを知る」で落ち着いては、人生の意味も価値もないのではないか。②そんなに欲がないと経済成長しない。近年韓国や中国の成長は著しく日本は競争に負けつつある。日本国内の企業でも若者の採用や昇進の際に、有能で意欲的なこれらの諸国の若者をとることが増えている。まして外国市場では日本はどんどん存在感を薄くしている。亡国の道ではないか。③冒険を恐がり、他人と交わったり接したりできないのでは社会的存在として失格である。コミュニケーション能力の低下は社会を崩壊させる。家族であれ、学校であれ、職場であれ、地域であれ、国家であれ。④結婚をせず、子を生まないのでは少子化を助長させる。子孫を残すのというのは生物として当然ではないか。また親の扶養も十分にできなくなり、さらには家を断絶させてしまうのは不孝も甚だしい。社会的にみても活力が失われ、また恩恵を受けながら自分の好みや都合で子育ちの負担のほうは免れようというのは自分勝手だ。
以上のような批判についてどう考えるべきか。①については番組内でもあったが簡単に答えられる。草食系の若者は別に無気力人間ではない。好きなことならいくらでも意欲的に取り込む。会社を定時に出ても、その後仲間とバンド活動をするためかもしれない。別にプロを目指しているわけでも金になるわけでもないが、楽しいからである。あるいは逆にけっこう金を出して大の男がスイーツつくりの講座に出るためかもしれない。旧世代からすれば馬鹿じゃないのかとか情けないとか思うかもしれない。しかし草食人からすれば、頭ごなしにおとなの義務だと好きでもない仕事に縛りつけられ、国家や企業の「成長」の道具にされてしまうほうが「どうかしてるぜ」なのだ。これは基本的に草食派の言い分のほうが健全であると私も考える。ちなみにニートやフリーターは、「身勝手な若者」の問題ではない。一方では切捨てご免の非正規雇用、他方では過労死やその予備軍をつくりだしたおとな世代の新自由主義者の問題である。④についてはいくつかの問題がある。事実から規範を導き出す生物主義やいまだにイエの存続にこだわっている封建主義は一刀両断したいのが本音だが、哲学的には根の深い問題なので、ここでは避けることにする。より穏健な対応として、急激な少子化そのものは対処すべき問題と認めるところから始めよう。そして言えるのは、その原因も、若者の意欲よりも社会における変化のほうが大きい、ということである。実はいまでも、できるなら結婚したいしこどももたくさん欲しい、という若者は別に少なくはない。しかし正社員の終身雇用が基本という見通しがなくなり、職があっても子育ての時間はほとんど与えられず、そのうえ公立の保育園も減らされる、といった状況を、おとなの新自由主義者がつくったのである。そうしておいて国のためイエのために子をつくれと説教するのは、天に唾するものである。③も複雑である。留学の減少は確かによいとは言えない。昔よりはるかにしやすくなったのに、もったいなくもある。しかしいまの若者が一般にコミュニケーション力や人とかかわる力を落としているとも決めつけられない。メールやミクシィやツイッター等、その例を探すのに困ることはない。むしろいまの若者に「大切なもの」をきくと、「物」が驚くほどなくて「友達」や「家族」など人とのかかわりが重視されていることが前世代と大きく違う。もっとも私は対人関係において別の憂慮すべき問題も現れていると考えているが、これは「草食化」とは別(そしておそらくこれにも新自由主義がかかわっている)のことなので言わないでおく。そしてむしろ次のことを言っておこう。昔の世代は成り上がろうと東京をめざした。その延長上にはニューヨークやパリがあった。そしてそのように「上昇」した者は、どんどん遠くに行きふるさとを捨てた。家族や仲間やふるさとを大事にするやさしいいまの若者を「夢がない」とさげすみ、絆を捨て他人と戦って一人勝者になろうとしたかつての若者を「意欲がある」とたたえるのは、少なくとも一面的ではあるまいか。②について、中韓に競争で負けると言われれば、まずは、そんなものは負けてよい、と言ってしまおう。長い歴史でみれば、日本が大国であるのは例外的な短期間であり、もとのつつましい位置に戻るだけだと思えばいい。食えなくなるほど貧しくなったり他国の支配下に入ったりするのはまずいが、神経衰弱になりつつしゃかりきにりきんで強国や一番になろうとしなくていい。先進国というなら、平和の、環境の、福祉の先進国をめざすべきである。そして平和や環境や福祉は、競争に勝つことで得られるものではない。
私は一歩進んで言おう。経済や政治、いわんや軍事では小日本主義をとり競争からおりることにとどまるのではない。中韓や世界に向けて、これからは戦って奪い合う時代ではない、と発信しよう。すぐれた思想家横井小楠は、平和という大義を世界に広めるのが日本の使命だと説いたが、これはまさに21世紀の日本人に求められている志であり、かつ実現可能な夢である。この意味でこそ若者はもっと外国に出て欲しい。すなわち列強から学んで日本も真似するためでなく、また先進帝国主義諸国がつくる強欲主義のルールやエートスを前提としてその土俵で戦っていくためでもなく、その前提そのものを人間的なものに変えるための宣教師として、世界に出て欲しい。いやそれを日本の若者は既に無意識的に行いつつある。日本アニメにもそれはある。アメリカのものも旧ソ連のものも、善玉が悪玉と戦ってやっつける話が中心(で善悪が逆になっているだけ)だ。しかし日本アニメが世界の若者に受けているのは、無敵のヒーローでもよいところのない悪役でもないキャラや、「負けるが勝ち」というような思想など、深みのある設定にもよる。また途上国に行ってボランティア活動したり農業などの支援をしたりする若者は着実に増えている。足を運び手を動かして具体的な成果を挙げることはもちろんすばらしい。あとは、頭を使い口(筆)を動かして、欲と戦いという世界像に変わる人類社会の構想をつくりだし、それを人々に説得していく担い手が欲しい。
もともと日本人は獣の肉はあまり食べなかった。文字通りの意味での菜食主義や精進料理まで強いるつもりはない。しかしヘルシーな日本料理同様、草食系の文化は(近年というより実は日本の伝統に根ざした)クールジャパンとして、国際貢献できるコンテンツなのである。焼肉や激辛が好きで熱血系の韓国人は簡単に受け入れないかもしれない。しかし経済成長で幸福にならなかった私達の経験を説けば、成長にもバランスが必要と察してくれるのではないか。経済成長に見合った軍の近代化は必要と中国は言うだろう。しかし富国強兵して大日本帝国になった近代日本は、孔子の教えを学んでいた江戸時代と比べて、日本国民も近隣諸国もより幸せだったかを考えれば、何をめざしたらよいか、別の答えも出せるのではないだろうか。
NHKの番組「日本の、これから」
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