床屋道話55 バーミヤンの破壊
                                       二言居士

 今年はアフガニスタンからようやく米軍が撤退した。ほぼ同時に、米国(を中心とする多国籍軍)によって追い払われたタリバンが政権に復帰した。これを伝えるわが国のニュース映像では、旧タリバン政権の紹介としてバーミヤンの石仏の破壊が映し出された。これに対する小生の違和感が、本稿のきっかけである。
 それによって報道は、またそれに付随する「解説」やコメントなどでは、この行為が極悪非道であることを前提したような、またはそう印象付けようとしているようなものであった。つまりそれは、タリバンへの(ことによればイスラム全体への)悪いイメージを刻もうとしているかのようであれ、またそれでアフガン戦争を正当化するかのようでもあった。小生は、バーミヤン破壊は二択で言えば「よくない」と考えており、タリバン政権もそれ自体としてはよい政権と思っているわけでなく、イスラム教に対してもいいとは思っていない。しかしタリバン政権とアフガン戦争のどちらがより悪かったかは、難しい問題であろう。
 けれども本稿で問題にしたいのは、バーミヤン破壊がそれほどの極悪非道なのか、ということの違和感である。これも二択で問われれば、小生も「よくない」と答える。理由を問われれば第一はみんなと同じで、貴重な文化遺産だからと答える。補足するならば、現在この大仏が「偶像崇拝」に力があるとは思われないこと、また偶像崇拝をなくすために神仏の像の破壊が有効と思われないこと、を挙げよう。
 「よくない」と考えるが、「それほどの極悪非道」と受けとめられる、あるいは言い立てられることには違和感を持つのはなぜか。第一にそのような行為はイスラム過激派の専売ではなく、キリスト教も行ってきたからである。有名なのは宗教改革当時のものであるが、プロテスタントだけではなく、初期の教会もギリシャ・ローマなどの神像を、あるいは神殿ごと破壊したことも少なくない。いや初期だけではない。小生が大分県に行ったとき知ったことがある。戦国時代、「キリシタン大名」大友氏の統治下で、多くの寺社が破壊されたことである。いずれにしてもこうした行為を単純に極悪非道視する者には、宗教的熱意への不感症、あるいは反発があるのではないか。宗教を単なる年中行事かせいぜい御利益のためのものとしかとらえず、多数派または既存の価値観での「善行」を勧めるものとしかみないことが、この心理の裏面ではあるまいか。ここでも小生は宗教熱をよいことと言いたいのではない。宗教熱への不感症や反発のなかに問題もあると言いたいのである。
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 今日の日本人の多くがこの行為をよしとしない理由に、私が補足で挙げたことはほとんど含まれまい。ほぼもっぱら、それが保護すべき芸術作品だから、ということにおさまるであろう。ここで小生が提起したいのは、芸術という資格がその制作物を神聖不可侵にするのかということである。芸術性はあるが猥褻なものや暴力的なものはある。それらへの批判はあって当然だ。この「批判」を、物理的破壊や、発表者への暴力的脅迫や、法的弾圧とひとくくりにしてはならない。前衛美術家のクリストは、歴史的建造物などのラッピングで知られる。たとえばドイツの国会議事堂などであり、そうした「芸術活動」はしばしば批判の的にもなった。彼自身はしかし、それを「芸術への無理解」などと頭から撥ねつけはしなかった。むしろ批判が起こるのを当然と受けとめ、そのような論議を起こすこと自体も自らの芸術行為の重要な内容と位置付けた。このような公共的な討議空間が、かえって芸術活動への権力的統制やテロ行為を防ぐ土台になるのではなかろうか。
 近代において芸術は代理宗教になったとも言われる。かつて神の属性とされた「クリエイター」は、世俗的な制作者である「メイカー」と区別されて今日では芸術家に与えられている。芸術に対して宗教的、道徳的、教育的などの観点から批判することを信じられない蛮行のようにもし思うならば、それは実は「芸術」なるものへの宗教的信奉なのではあるまいか。


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