新・浦安残日録(2)

                               
(2017年)

 1月5日(新春挨拶状を出し終える)
 3日に配達された年賀状は約30通だった。元旦“新春挨拶状”を元日から昨日までに出した。
 戴いた人にだけ新春挨拶状を出すことにして10数年経って300通台に落ちついていたのが、急に減ったのは、昨年亡くなったり、高齢・病気・介護などの事情で年賀状をやめた人が急に増えたからではないか。
 でもうれしいのは、昭和53年から5年間勤務した関西から、いまも10通近い年賀状を戴くことだ。“人と人との良いつながり”が人生を楽しく幸せにしてくれる。
 現役時代の年末に出した印刷年賀状(千2百通)でも宛名だけは手書きしていた。公私共につながりのある人々のフルネームを万年筆で書くのは、年賀の気持ちを表わし、名前を忘れないためでもあった。
 非常勤になり半減してからは“プリントごっこ”で趣向の賀状を作成。百枚ほど刷ると原版が摩耗して数版に及んでも、年末恒例の楽しい作業だった。
 ここ10年余り、新春挨拶状の両面をパソコンとプリンターで作成し、宛先の名前と添文を手書きしてきたが、通数が減ってずいぶん楽になった。戴いた賀状の内容に合わせる添文は、平素ご無沙汰の方々と気持を通わせる文通でもあり、当分はこのままの賀状交歓を続けたいと思う。
“パソコン手づくり”が容易になって、家族写真に愉快なコメント付きの賀状が増えたのもうれしい。
 欠礼の挨拶状には、60代後半で急逝した元職場の仲間家族からのものも数通あり、故人の面影を脳裏に浮かべながら添文を書いている。
 インターネットのeメールが普及して久しいが、SNS時代に入って、“スマホ”などの携帯端末が情報コミュニケーションの主役である。電車の中で“スマホ”を動かしている乗客は9割前後(どんなアプリを利用しているか分からないが)で、もっぱら読書や会話、居眠りを楽しむ筆者には、“異常な光景”に見える。
 フェイスブックやツイッターが世界を動かしている事実は、「アラブの春」以降の出来事やトランプ氏の毎日をみればわかるが、“出会い系サイト”の少女らの生態や高齢者相手の振り込め詐欺などの“影”の増殖もおおいに気がかりだ。
 通勤途上の路上でうつむいて歩きながらスマホを操っていては、四季折々の自然の移り変わりを楽しむゆとりはなく、お互いの喜・怒・哀・楽にわずかな言葉でヤリトリするだけでは、勘違いや誤解による怒りや憎しみの感情が誘発されるのではないか。
 年賀状といえば、奈良時代に始まった年始回りの風習が、平安時代には貴族や公家に広まり、それができない遠方の人に文書による年始挨拶をしたのが始まりという。この風習は韓国、中国、台湾にもあるようだが、欧米ではクリスマスと新年の挨拶が一緒のクリスマス・グリーティングカードだ。お年玉付き郵便はがきの発行枚数が2008年の41億3千6百万枚をピークに減少に転じたのは、eメールやSNSサービスで年始挨拶をする人たちが増えたからと思われるが、「日本郵便」が巻き返しを図る知恵と力はいかに。

 1月7日(新春七福神めぐり)
 日比谷同友会のイベント案内メールで、小石川の「新春七福神めぐり」にお千代と参加した。数年前にふたりで歩いた「谷中七福神めぐり」から久しぶりの七福神だ。
 東京都にある七福神は、墨田川、深川、日本橋、港、東海、池上、元祖山手、新宿山手、谷中、下谷、小石川にあるが、小石川のは“東京で最も新しい”という。
 募集人員30名の参加者が地下鉄茗荷谷駅の地上出口に集まった。去年の「江戸・東京街歩き」(牛込・神楽坂)で一緒だったMさんの顔もあり、出発待ちの間、お互いの近況などを話した。M氏(8歳下)は京大工学部の後輩でNTTの電気通信系の技術者だが、京大元総長松本紘さんと同級生と言ったので、梅津昇一氏主宰「USフォーラム」で『日本の大学変革』の講演を聞いたとき質問して言葉を交わしたと告げ、ひとしきり話が弾んだ。 
 イベント主催者の挨拶のあとで目印の旗を先頭に出発した。歩いた順に、寺院と祀られている七福神を記すと、深光寺(恵比寿)→徳雲寺(弁財天)→極楽水(弁財天)→宗慶寺(寿老人)→真珠陰(布袋尊)→福聚院(大黒天)→源覚寺(毘沙門天)→東京ドーム(福禄寿)である。“弁財天”が2カ所に、“福禄寿”が東京ドームの一角に在(おわ)したところが「小石川七福神」のユニークさか。ポカポカ陽気の中を歩いて急坂を上がると深光寺の境内だ。集印帖を忘れて来たが、ここで頒布されていた「集印色紙」を求めて、最初の「印」を戴く。
“めぐり”“街歩き”で画仙紙ハガキにスケッチするのも楽しみで、今回も七福神すべてを描くこうと、まずは恵比寿様を白描(線描き)した。
 Mさんが寄ってきて、「相変わらず速いですネ!」とクロッキーを覗き込んだ。
 真珠院の境内では、右手に布袋様、左手に“平和観音”(観世音菩薩)が安置されていた。徳川家康の生母於大の方の甥水野忠清が創建した(1647)水野家菩提寺と知ったので、水野勝成公が初代藩主(1619~39)の福山藩を故郷にもつ私たちは、近代的な(鉄筋コンクリート)本堂に丁寧にお参りして本尊の阿弥陀如来を描かせてもらった。
 福聚院は、境内右手の幼稚園の奥に本堂があり、御本尊はインド・中国・韓国経由で伝来とされたという大黒天(木製)は、文京区の指定文化財である。
 寺伝では、孝徳天皇の時代、高麗国の大臣が日本に帰化し朝廷に仕えたときに護持していたという。幼稚園のグランドの端に祠が二つ並び、大黒様と唐辛子地蔵が鎮座していらした。
 この“めぐり”の全歩行距離は3キロ弱。各寺院はマンションが並ぶ大通りから入った住宅地に点在している。各寺の御本尊を描くとすぐに次の場所へ移動して、みなさんが着く前に描き始め、グループの歩きに遅れないように心掛けた。
 最後のお参り場所は、東京ドームがある広い構内の小高い丘で、細い径の突き当りの祠に立派な福禄寿像が祀られていた。お参りの行列の先頭の横に立って線描のペンを走らせた。
 昼食は各自ということで、昼時で混みあっていたスターバックスに運よく二人の空席を見つけ、看板メニューのスパゲッティーを注文。お千代共々に満足した味は七福神めぐりの“御利益”か。
 
 1月10日(「青桐日比谷句会」の初句会)
 「青桐日比谷句会」は、日比谷同友会「お楽しみ倶楽部」登録の各種同好会の一つで、毎月第2火曜日の例会は、日比谷同友会事務局(元電電公社本社・日比谷電電ビル2階)の会議室で催している。
 この句会の前身は古く逓信省時代に遡るが、今は二つの旧会の名前を連ねている。高齢化でかなりの方々が鬼籍で、会員の出入りもあり、大正15年生まれの長谷川正人さんが会長だ。
 プロの俳人が主宰する結社ではない気楽な同人会は、前月に選んだ兼題句を持ち寄って互選・披講したあと、提出句のすべてを知り合いの俳人へ届けて選句してもらい、結果は幹事から郵送される。
 句会参加者は5つの兼題に10句を提出するが、郵送・メールによる欠席投句は7句である。
 古今の名句によく学んでいると思われるベテラン会員には高校生や20代の頃から俳句をやっている人たちもいて、レベルの高い句を提出している。
 句会前日か当日に慌てて句作する態の私は、日常身辺のことを“ツブヤク”類だが、天然の美を愛し、史的風土を行脚して果てた俳人・芭蕉や真摯な生きざまを貫いた良寛を畏敬するも近寄りがたく、一茶や蕪村の飄逸さを敬愛して、近づきたいと願う。
 昨秋に選句者轡田幸子さんが体調をこわされて替わりの選者を探した結果、会員Nさんの紹介で渡辺舎人氏にお願いすることになった。渡辺氏は、中村草田男に師事。俳誌『すめらぎ』代表で、萬緑同人、俳人協会会員という。
 初句会から参加されて丁寧に批評されると幹事の案内にあり、ぜひ参加(旧年中、諸事繁忙でファクス・メールによる欠席投句が多かった)するつもりが、生憎、絵画グループ「みなづき会」の新年会と重なり、初回からのメール投句を余儀なくした。
 昨夕、晩酌のほろ酔い気分でひねり出した(?)7句を日比谷同友会事務局へメール送付して、幹事へ届けてもらったが、忙しい方々の手数をとることが多く、申し訳なく想いつつ感謝している。メール投句した句は、
 初夢や富士鷹茄子のいづれなく
 大寒や〝村上の鮭〟給はれり
 雪女郎ホワイトアウトへ消えゆけり
 寒すずめ一茶恋しと遊びをり
 蠟梅や芳香に誘はれ歩く路地
 初夢や妻を抱きて覚めにけり
 大寒や八十路日課のストレッチ
 なんとも感覚的な句だが、兼題を目にして即興的に浮かぶ稚拙な句をあまり整えず、イメージの鮮度にこだわる“文ちゃん風”作句は確信犯的だ。 
 中村草田男門下の渡辺舎人氏がどんな批評をしてくださるか、郵送の選句結果を“見てのお楽しみ”か?!
 
  1月1Ⅹ日(ふたつの「新年会」)
  青桐日比谷句会の初句会を“欠席投句”し、絵画仲間の「みなづき会」の新年会に出た。非常勤顧問になって参加してから皆勤で出品してきたが、昨夏、第47回展を開いた会では、いまや高齢者の一人。
 鬼籍に入られた生誕百年を超える諸先輩に比べればまだ若造だが、NTT建築部門の同期O君が半年前に急逝し、今年の新年会に姿がないのが寂しい。
 この歳になればいろいろの病に罹る会員も増え、3年後輩のG君が、「レビー小体型認知症」を告白したのは昨年の新年会。彼らしい真摯な勇気に感心したが、空間・時間感覚が乱れる日常の生活には、言いしれぬ苦しみがあるだろう。
 数十年間、「新年会」会場は渋谷の中華飯店「井門」だったが、数年前、「パンダ・レストラン」と改名したのは、家族客の獲得戦術か、経営者が替わったかであろう。
 O君も出席予定だったが、彼を介助して同伴する奥さんの体調がわるくなり、ドタキャンとなった。私の差し向かいの彼の空席にビールや紹興酒を注ぐ仲間が次々やってきて、歓談が弾んだ。
 2時間余がアッと言う間に過ぎてお開きとなり、2次会はいつものように、近くの喫茶店へ移動した。
 電電公社の本社建築局で共に仕事した先輩・後輩の会員(22名)がOBになって久しいが、仕事柄の同じ趣味で春秋のスケッチ旅行や「みなづき会展」への出品を楽しんできた。七面倒な幹事役を長く務めた後輩らも70代半ばとなり、第50回記念展までは続けてくれるようだが、その先は“ケ・セラ・セラ”だろう。
 4日後は「三二会」(電電公社本社・入社同期の会)の新年会だった。昭和32年の本社幹部候補採用で入社した76名から業務(事務)系を除く事業部門の電気通信・建築技術系及び研究部門の面々である。
 32年年卒業の京大建築学科の同期生で鬼籍入りが半ばを超えた(黒川紀章君も)のに対して、同じ年頃の「三二会」では、過半がまだこの世にいる。
 とはいえ、本人自身や伴侶の病気・介護が増えて、年2回の会合(新年会・暑気払い)出席者が30人前後から急に20人を割るようになり、5、6年前までの2泊3日の夫人同伴推奨の旅行も遠い思い出となりつつある。
 昨秋の〝案内メール〟に今後の定例会合の継続の可否を問うアンケートがあり、「新年会」冒頭で幹事が提案した“サヨナラ「新年会」”は、全員の拍手で賑やかに始まった。
 平均寿命を超えた私たちは“川の流れのように”「生老病死」をあるがままに生きてゆくだけだ。
 
 1月1Ⅹ日(朝夕の散歩風景)
 日課の朝夕の散歩は、ほぼ毎日の楽しみになっている。早朝のコンビニの“曳きたてコーヒー”を伝平橋のたもとのローソンの店先(JR京葉線の高架下で、脚部の耐震補強工事のため休業中)でなく、若潮通りのバス停「見明川住宅」に近いファミリーマートで買うので、そこから伝平橋までの7百歩が加わり、橋を渡り、見明川遊歩道をへて「ふれあいの森公園」を一周すると約3千歩の散歩になる。
 起きがけの寝室でのストレッチのウオーミング・アップとで、歩くほどにアタマが活性化してくる。夕方の自宅と公園の往復は2千歩だから、散歩だけで日に最低5千歩である。
 八十路老人の散歩は歩数や速さにこだわることなく、道すがら目にする草花や耳にする鳥たちの声に“命の輝き”を感じ、歓び合って、エネルギーをもらっているのだ。
 伝平橋の上から眺める早朝の東京ベイの空の光は瞬く間に変化するが、公園のベンチで見上げる日没前後の夕焼けの“光のページェント”は次々に変容して飽きることなく、川向うの家屋や並木が宵闇に包まれるまでつづく。
 遊歩道沿いの寒風に揺れる桜並木の枝の花芽に、春を待つ想いを重ね、川面を覗きこむと、人の気配に敏感な鴨の数羽が、岸辺の岩の間から流れの中へ泳ぎ出た。つがい3組と1羽のオスだが、その“片割れ”(独り者か、やもめ)にニンゲン的な感情移入をする自分に苦笑する。
 薄曇りの朝は、晴天で見明川中央歩道橋の上から眺めるスカイツリーの姿はない。公園のビオトープの池の浅瀬で1羽の青サギが身動きもせずに立っている。目をこらすと、深みにいつも見えていた赤白2匹の小さな鯉の赤いのがどこにもいない。
 今朝とは限らないが、よく来ている青・白サギのどちらかの“朝食”になったのだろうか。
 池とグリーンハウスの間の斜面に立つ紅白2本の梅の木の紅梅は終りかけ、白梅が盛んに咲いている。花びらに鼻をつけても一向に香りがない。スーパーの仏花の菊もほとんど芳香がないが、安い量産用の品種改良の結果なのか。
 五感を満たしてくれる花々が“造花もどき”なのは侘しいが、朝夕の散歩が、健康寿命を長引かせてくれているのは確かだ。

 2月Ⅹ日(トランプ大統領の行方)
 第45代米国大統領に就任したトランプ氏の連邦議会議事堂前の就任式の演説は、どこか革命を成就した首魁の演説のようでもあった。「あまりに長い間、この国の首都の小さな集団が政府の恩恵にあずかる一方、国民はそのつけを背負わされてきた」「ワシントンは栄えたが、国民はその富を共有しなかった」「首都ワシントンから権力を移して国民に戻す」「既得権層は市民を守らなかった」「今日の日は、国民が再びこの国の支配者になった日として記憶される」など。
 この“トランプ節”をワシントンの政治家やそれを支えた行政府・軍関係者らはどんな気持ちで聞いたのか。演説のしめくくりでは、「私たちは新たな時代の幕開けにいる。宇宙の謎を解き、地球を疫病の悲劇から救い、明日の新たなエネルギー、産業、技術を活用するときだ」「この国の新たな誇りは、私たちの魂を奮い立たせ、前を向かせ、分断を癒す」
「肌の色が黒でも褐色でも白であっても、私たちには国を愛する赤い血が流れている。この輝かしい自由を謳歌し、偉大な星条旗に敬礼する」「みなさんの声、希望、夢は、米国の運命を決め、努力、慈悲、そして愛が、永遠に私たちを導いてくれる」と、恫喝的言動で“国民の分断”を扇動したトランプ氏のものとは思えない言葉をちりばめて、まるで別人の演説のようだった。
「私たちは再び米国を強くし、再び米国を豊かにし、再び米国を誇り高い国にし、再び米国を安全な国にする。そして、ともに再び米国を偉大な国にする」と両腕を振り上げ、得意のポーズをした。
 これらのトランプ演説を、日本の中小企業労働者や農業生産者は、さぞ羨ましく想ったのではなかろうか。
「アベノミクス」を“アホノミクス”と揶揄して、安倍政権の経済政策を批判してきた浜矩子・同志社大学大学院教授は、トレンプ大統領を生んだアメリカ格差社会の状況は、革命が起きてもおかしくないと述べているが、EU離脱を“静かな革命”と表現したメイ首相の元大英国と米国(アングロサクソンの姉妹国)に、軌を一にして革命的変化が起きたのである。
 反オバマ的でドラスティックな政策転換を図るトランプ政権をとりまく世界には多くの難問が待ち構える。英国のEU離脱/パレスチナ問題/欧州への難民・移民流入/シリア内戦/ウクライナ危機/南シナ海をめぐる緊張/中台関係のきしみ/北朝鮮の核・ミサイル開発等々である。
 これらの問題に対するトランプ氏のツイッターのコメントには、大統領選挙中と同じ乱暴な放言が少なくないが、お得意の商売上の“ディール”の言辞なのか。
 移民政策、経済、安全保障、外交のあらゆる分野で矢継ぎ早に大統領令にサインし、ツイートを連発するなか、恫喝的な言辞が目立つトランプ流の政治手法に、国内の支持者の公約実行への拍手と歓声が沸く一方で、反対者の抗議デモが全米各地に広がり、国際社会には困惑と懸念の波紋がひろがっている。
 日本のマスコミ報道に“とんでもない大統領”の情緒的な論調が少なくない中、米アカデミー賞監督オリバー・ストーン氏の朝日のインタビューが目についた。
 トランプ大統領に激しい批判の言葉をぶつけていたストーン監督が、「トランプ氏がプラスの変化を起こせるように応援しようじゃありませんか」と述べたのは正にサプライズだったが、一貫して戦争反対の立場を貫いてきたストーン監督は、クリントン氏の“介入主義”を懸念した白人高学歴層がトランプ氏に投票した事実を念頭においているようだ。
 日本のマスコミが政治家の言動を予測し論評するときにあいまいさを伴うのは、日本の保守政治家や各派閥の利害や人脈は読めても、思想的背景が不明瞭だからではないか。その点で欧米の政治家・政党の言動には、背景にある哲学的、政治的な思想が比較的見えやすいと、感じている。
 トランプ大統領の右腕と目されるバノン氏外の側近、議会承認が進まない行政府長官についても、「オルタナ右翼」「リバタリアニズム」などの観点からの分析が有効ではなかろうか。
                                  (続く)


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