「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―5)
2011年3月3ⅹ日(ⅹ)
安全神話を錦の御旗に原発建設を推進した東京電力、カダフィ軍への軍事介入の正当性を真っ先に主張したサルコジ大統領とカダフィ大佐との過去のように、“一寸先は闇”の昨今である。
そのサルコジさん訪日の真意をめぐるマスコミのとりざたが賑やかである。なにしろ、電力総需要の80%を原発に依存するフランスは、原子力産業の王国でもある。
スリーマイルやチェルノブイリの事故処理で蓄積した専門技術を生かし事故沈静化に一役を担って、自国や欧米の安全性論議に主導的立場を確立する狙いや、世界の原子力産業のトップランナーだったフランスと日本との安全基準・世界標準化の主導権争いに決着をつける意図などが云々されているが、その論議は信頼できる専門家に任せよう。
世界の目が経済・技術大国日本の未曾有の原発事故の危機管理と処理体制に注がれて
いる今、官僚的メンツにこだわることなく、フランスやアメリカが国際協力で派遣する放射能汚染除去の専門部隊と一体で、沈静化作業に迅速に対処することだ。
一方で、地震・台風など自然災害に“七転八起”のこの国では、鴨長明の「方丈記」(1212年)に大火・大風・地震・飢饉の悲惨さが記され、人生の無常が説かれている。
現代文明を築いた西洋近代では、「自然」を、人間が征服し、利用するものと考えたが、彼らが未開とみたアジア地域では、“すべては自然の摂理”と、柔軟に対処しながら立ち直ってきた。民衆は、すべもなく傍観したわけではなく、治山治水は、治安と共に政治統治者の要件とみなしてきたのである。
東日本大地震の被害状況には、原発立地の選定、地震・津波の規模想定で自然力の巨大さを甘くみた点もありそうだ。八百数十年前の津波の痕跡を調べてシミュレーション画像を作り、津波常襲地域の人びとに警告していた専門学者がいたが、住民や行政機関で耳をかす人が少なかったのだろうか。
現代文明は、科学技術の進歩に支えられ、私たちの生活はその恩恵に浴しているが、
「天災」と「人災」が複合した今回の地震被災の復興は、“想定外”の言い逃れを脱して、深刻な事態への謙虚な反省から始めたいものだ。
日本人は古からこうした災難に遭うたびに、“神も仏もあるものか”と嘆き、鴨長明の無常観に身をゆだねてきたが、釈迦が遺したとされる「色即是空」の「無常」は、万物が生滅流転して常住ではないのを意味し、“神も仏もない”量子力学的な宇宙観を言い表していたのではないか。湯川秀樹博士の中間子理論のヒントが般若心経にあったとされるのは尤もである。
「般若心経」を唐から将来した空海が果たして、「色即是空」に量子力学的な宇宙観をみていたかどうか分からないが、彼の“即身成仏”とは、死んで浄土をめざす無常観とは異なるものではないか。真言密教の大家、西行もまた即身成仏を究極の境地として、かねての願い通り、如月の花の下で死んだ。
生身の人間にとって不条理としか思えない天災・人災(戦争も)で死に直面すると、絶望的な喪失感でウツに陥りがちだが、被災者のメンタルケアを重視するボランティア医師・看護士の活躍があるのは心強い。笑顔と復興への意欲が戻りつつある被災地報道に、見ている私たちの方が力をもらっている。