「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―6)
2011年3月3ⅹ日(ⅹ)
五時に目覚めていつもの自己流ストレッチ。十八年前の食道がん手術後の入院生活で
始めたヨーガの3基本ポーズに、いろんなポーズを加えて二十分ほどに編成したものだ。体がほぐれて血行がよくなったところで、朝の散歩に出る。
雲ひとつない快晴だが、風はまだ冷たい。四百八十戸の鉄筋コンクリート造・テラスハウス住宅地には、欅・桜などの樹木三万余本(管理組合資産台帳記載)が立ち、住棟の間の共有地に芝生と潅木が植え込まれている。構内道路や駐車場の一部に液状化現象による隆起陥没が生じたほか無事なのは、植物たちが張っている根っこのお陰だろう。
我が家に近い大島桜は五分咲きで、花の蜜を吸うヒヨドリが枝にゆれている。二階屋の倍以上も高い欅が天にさしのべる枝に、新芽が膨らみはじめている。住宅地外周道路の反対側の戸建木造住宅地を歩き、家が傾いたK君宅の前を過ぎる。この辺りと見明川を挟んだ舞浜三丁目に、傾いた家屋が少なくないと聞く。上下水道の復旧もまだらしい。
家から歩いて三分の「ふれあいの森公園」のビオトープ(動植物の生息のために造成された小規模な空間。多くに流れ・池あり)に行くと、池の周辺に立つ枝垂れ柳の浅緑の枝が風になびいている。
古代赤米の切株が残る小さな田の浅い水底で、ニホンアカガエルのお玉杓子の群れが、まだ眠っているのか身動き一つしない。この蛙は、千葉県のレッドデータブックにある重要保護動物の1つで、公園の運営管理を任されている「ふれあいの森公園を育む会」のボランティアのみなさんが大事に保護観察している。
この田圃で、近隣幼稚園・小学校の子供たちが父兄と一緒に、田植・稲刈りをして、赤米のお握りを食べるのを楽しむのは、毎年恒例のイベントになった。ボランティアと子供たちで昨夏に作った五体の案山子は、二枚の田圃の畦に立ちっぱなしで居る。
ビオトープ脇のグリーンハウス内の正面壁に、公園オープンの際に寄贈した私の作品『ビオトープの絵と詩』の大きな額が飾られている。地震翌日の夕方、落下してないかと見に行くと、無事に架かっていてホッとする。
その折りしも、公園横のバス道路沿いの見明川対岸の空で、夕照の光のページェントが始り、被災した舞浜三丁目の家並みを空から包んだ。見る間に移ろいゆく彩りに染められた雲の三三、五五の編隊は、敦煌の洞窟の飛天さながらに、さまざまな楽器を奏で、舞い踊る天女の群れと化した。
それと同じ情景を、食道がんから再生して訪れたレインボーブリッジの空に見て描いた絵と詩『お台場の飛天』は、十年前の第二回「文ちゃんの画文展」で好評だった。
大震災の被災者を励まし支えようと、日本で活動してきた世界のアーティストたちが音楽・絵画・詩文のメッセージを届けてくれている。
数万年前の人類が洞窟に描いた動物・魚の狩りの絵、暗闇の洞窟の外で咆哮する猛獣への恐怖と地震・雷・山火事・大風の猛威に対する祈祷の歌、超越的存在に捧げた言葉・文字などの全ては、平穏な暮らを願う人間の祈りのメッセージの起源だった。
自然災害で私たちが支援した国々の子供たちの絵や若者らの歌声が、被災地の人々の明るい笑顔を誘っているのが嬉しい。唄い、描き、詩文を書く私の日々のメッセージが、明日への希望と祈りに満ちたものとなるように努めたい。