「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―7)
2011年4月1日(金)
エイプリルフールの今日、ボランティア「歌の花束」の四月訪問コンサートが開けるとのうれしい知らせがあった。特別養護老人ホーム「愛光園」の建物が震災に遭って、高齢居住者の皆さんが避難生活を余儀なくされて三月は中止、四月の目途もたたないでいたところへの朗報だった。
百一歳の義母が入居されているS女史主宰の「歌の花束」は3年目で、ピアニストのEさんと男女数名のヴォーカルが、入居者に懐かしい歌の数々を十曲ほど唱和する。
毎回の訪問を待ち遠く想ってくださる高齢の皆さんが、大きな声を張り上げて唄われる笑顔に、歌を“出前する”私たちもうれしくなる。
プログラムには二、三のリクエスト・ソロの歌もあり、今回は『帰れソレントへ』を唄わせていただく私は、知人女性からパヴァロッティの『Best of Italian Songs 』のCDを借りて猛練習中。本番までに一度、ピアノ教室を開いているEさん宅で伴奏してもらう予定だ。喜寿老人はパヴァロッティならぬ“ばばっち爺”だが、昨秋、『恋人よ』をリクエストしてくださった八十三歳の可愛らしい女性を泣かせればいいのだが・・・。
S女史からは、さらにうれしいメールがきた。
初めて聞く話で、「歌の花束」の名称が昭和十二年の国民歌謡『春の唄』の歌詞一番の出だし“ラララ赤い花束車に積んで・・・”に由来するという。この歌は、五十数年後の阪神淡路大震災の被災者への励ましとなり、震災から二年経って、作詞者喜志邦三の歌碑が詩人所縁の地西宮に建立されたそうだ。
さらに、愛光園復興を励ます歌として四月の曲目に入れたいので、追加の五番の詞を書くようにとのこと。私の詩に曲がつけられた歌は、NTT社歌『日々新しく』や浦安市合唱連盟の創立二十周年記念歌『みんなの歌』、邦楽山田流歌曲(合唱付)『早春浅間山』等数曲あるが、うれしいリクエストなので、“歌の花束”“愛”“光”“園”などの言葉を入れた詞を即興で書き、返信メールで届けた。
歌が、聴く人・唄う人の双方に力を与え、いのちを掻き立てるとは、古今東西に遍く
認められてき、近頃、私と同じ食道がん手術を受けて再生した小澤征爾さんや桑田佳祐さんも、人生の大きな節目に立って、歌がもつ力の偉大さ、不思議さを改めて深く感じたと述懐しいる。
愛光園を訪問するグループに邦楽仲間の「江戸の華」がある。昨年秋、数団体が参加した懇親会で、邦楽に傾倒されているYさんとのうれしい出会で、二十年ほど親しみ、十年ばかり遠ざかっていた長唄への想いが一気に蘇った。
Yさんは、若宮流端歌・小唄の師範名取で、長唄も大好きと仰る。メールを交換するうちに、「江戸の華」の訪問の折にご一緒しませんかとお誘いをいただいた。年金暮らしを機に吉住小桃次師匠にお暇を告げた後、うたう機会はないものと断念していた私は、“ヤッター”と、パソコンに向かって叫んだ。
“渡りに舟”と、『都鳥』『安宅の松』の音源と本のコピーを戴いて、久しぶりに自習を始めたばかりだ。Yさんは、北千住の富本節師匠のお宅で大地震の激しい揺れに遭われたが、師匠のご家族の心遣いで無事に帰宅した由。自宅は門扉が傾いただけで済んだ。11日に初めてお宅を訪ねて三味線と合せる。どんな出来になるか、今からドキドキ。