「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―9)                   
                                                         
2011年4月X日(X)

 

 東日本大地震を機に「残日録」を書き始めて、ほんとうによかったと思う。

T新聞社のご好意で、「松本文郎のブログ」の新設カテゴリーとして連載されることになったが、ブログに長期連載中の『アラブと私』とうまく連携して書けそうだ。

あの震度6弱の最初の揺れを感じたのは、この“創作ノンフィクション”の原稿執筆中の書斎だが、これをを書くきっかけは、同じ住宅地に住む日本ジャーナリスト会議(JCJ)会員のYさんだった。月刊「JCJ広告支部ニュース」の編集委員で、「電通」の元労組委員長の彼とは、見明川住宅管理組合の長期修繕計画委員会で出会った。

いずれはと考えていた、一九七○年からの四年間、家族ぐるみで在住したアラブへの想いを書きとめる絶好のチャンスを与えられたのである。あれからもう三年経った。

思い起こせば、二○○八年三月十九日の朝日新聞「天声人語」で揶揄された引退目前の元ブッシュ大統領の替え歌「思い出のグリーングラス」の引用が、書き出しだった。 ♪古いホワイトハウスを出て、気ままな暮らしに戻る。平壌の心配をしなくていい、

もうすぐ、わが家の芝に帰る・・・と記者団との夕食会で調子はずれに唄ったそうだ。

大量破壊兵器を言いがかりにした、あの意図的で無謀なイラク侵攻から五年になろうとしていた。侵攻の理由が事実無根とはっきりした今だが、国内外に四百万人もの難民が生じたイラクにとって、この戦争はいったい何だったのか。

『アラブと私』の執筆の動機は、個人的体験の記録だけではなく、911が発端とされたアフガン・イラク戦争が世界平和を脅かしている危惧からだった。「イラク三千キロの旅」を序章とする本論は、この旅の後で三年過ごしたクウエートの仕事と生活を通じて経験したアラブと、今日の激動のアラブを往来しながら、西洋近代の基盤のキリスト教文明と人類社会の未来を左右するイスラム教文明との共存・融和を希求するものにしたいと考えている。

 大地震発生時に書いていた『アラブと私』では、イード(断食月)の休暇に、イラク人土木技術者ユーセフとバスラ・バグダッド・モースルを往復した「イラク三千キロの旅」のバグダッドで、とあるホームパーティに招かれている記述に、チュニジア政変に触発された“中東市民革命”の連鎖のうねりと、五十年前のイラク軍事革命のかかわりを道草的に書き加えていたところだった。

 エジプトとリビアの長期独裁政権を支配した元軍人二人のうち、エジプトのムバラク元大統領はギブアップしたが、リビアのカダフィ大佐はしぶとく抗戦しているところに未曾有の大地震が起こり、それまでの連日、NHK「おはよう世界」で報じられていた“中東市民革命”の推移が、福島第一原発事故の非常事態経過に取って代わったのだ。

 四十年前のバグダッド訪問の場面の途中で、現在のアラブ諸国に沸き起こった革命の様子を『アラブと私』に書くのは文脈的に限度があり、さらに、東日本大地震の状況の

記述を挿入するのはかなりムリなこと。かねてから温めていた『文ちゃんの浦安残日録』に着手するときが来たのだ。

 これからの『アラブと私』は、「イラク三千キロの旅」を順調に進めて序章を終え、

早く本論執筆の日を迎えたいと願う。激動のアラブと混迷の福島原発事故処理の状況は、当面、『文ちゃんの浦安残日録』で交互に取り上げることとしたい。




添付画像
ジャスミンの花


2011/04/13 10:29 2011/04/13 10:29
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