「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―12)
2011年4月2X日(X)
長期独裁政権下で勃発したチュニジア政変による前大統領の国外亡命、それに触発されたエジプト前大統領の退陣から3ヶ月近くが経つ。
その政変騒ぎが及んだアラブ諸国では、政権側と反体制派の衝突・攻防の一進一退が延々と続いている。多国籍軍の連日の空爆にもめげず、圧倒的な軍事力を維持しているカダフィ軍はしぶとく反撃し、イエメンやシリアでは治安部隊によるデモ隊への発砲で多数の死者が出て、民衆虐殺の観を呈している。
ベンアリ前大統領の在位23年、ムバラク前大統領の29年におよぶ長期独裁政権の権力維持は、敵対する野党勢力や一般民衆に自由な政治活動を許さず、秘密警察や治安部隊によって徹底的に弾圧したからとされる。
両国共に、王政打倒後は親欧米的な路線で外国資本に市場を開き、石油・観光資源を基盤にした経済発展を遂げたが、国富を権力者・支持者一族で独占して、失業と貧困による経済格差が、民衆の忍耐を超えるまでに至った。
チュニジアは、外国人観光客には治安のよい国とみられていたが、人口1千万人中の175万人の与党・立憲民主連合(RCD)以外の民衆は経済的恩恵から疎外され、大卒8万人の2,3万人は職がなく、若者の失業率は25%という。
これらの政変で注目されるのは、インターネットなどのソーシャルメディアの威力と若者の覚醒だ。ベンアリ政権は1990年代半ばからインターネットを導入して近代化の具としてきたが、民衆の利用には、「インターネット庁」による監視を怠らなかったとされる。
青果物の露天売り若者の焼身自殺の動画配信で政変をリードしたスリム・アマモウは、言論の自由を求めて3年前からインターネットで活動を始めたが、検閲で逮捕された。
釈放後は、検閲から逃れる独自のシステムを案出して活動をつづけ、ついに政変実現となった。暫定政権で青年・スポーツ省大臣に就任したアマモウ氏(33歳)を非難する向きもあるようだが、7月の議会選挙には立候補せずに、ソーシャルメディアの自由な展開推進に寄与したいと言っている。
長期独裁政権を崩壊させた民衆革命の行方で見定めたいのは、政変の中核的な役割を担った若者たちと前政権が弾圧したムスリム組織のナハダ党(チュニジア)やムスリム
同胞団(エジプト)との連携である。
両組織共にムスリム原理主義だが、過激主義的ではなく穏健な考えの集団とされる。
ベンアリ前大統領が禁止したムスリム支持集会では女性の権利を否定する保守的思想が主張されたが、政変後のナハダ党政治集会(7千人)では政教分離が主張されたそうだ。
ムスリム同胞団の綱領に、議会制民主主義、基本的人権と自由、女性の権利向上などがあるのは、政権打倒後の綱領もなくて立ち上がった若者たちの連携の接点になるかもしれない。
チュニジア独裁政権を支えたテクノクラートや実務経験者を擁したRCDを解体したあと、プロの政治集団のない国家統治が機能するかどうか。7月選挙に向けて50余の政党が誕生したが、密告逮捕や監禁拷問などで長年の政治不信と恐怖に晒された民衆が、果たして投票に参加するかどうか。政変後の行方はまだ、不透明感を免れない。