「文ちゃんの浦安残日録」(Ⅰ―19)
2011 年5 月 2ⅹ日(ⅹ)
被爆したまま保存されている旧広島産業館の原爆ドームに、水素爆発で捻じ曲がってむき出しとなった原発建屋の鉄骨のイメージが重なったのか。駐英日本大使館がテレビ局を呼んで厳重に抗議したという。東京都知事の「天罰」発言と同じように不遜なものとは思えないが、よく似た廃墟の情景へのウカツな表現ではないかと、英語で聞いてはいない私には思われる。
ヒロシマ原爆を重大に受け止めつづけてきた日本人の怒りの気持ちを、日本外務省・在外公館は、戦後六十四年の間、どれだけアピールしてきたのだろうか。日本への二度の原爆投下の不条理を、テレビ局側が重くうけとめていなかったと抗議するのもいいが、核兵器削減・廃棄についての日本政府の国際的広報活動は、日頃十分だっただろうか。
国民小学校四年で疎開してヒロシマ原爆を免れた私には、福島原発事故をヒロシマ・ナガサキの原爆と重ねて見る英国マスコミ人の感覚が、“ケシカラン”とは思えない。
未曾有の東日本大震災と六十六年前の晴天の霹靂の終戦に、「原子放射能」への恐怖が重なって見える。米国による原爆投下が終戦を早めたかどうかは意見の分かれるところだが、数十万人が苦しんだ放射能被曝の悲惨は、米国の政治的圧力の下、長年、世界の人々に知られてこなかった。遺伝子への影響が子孫におよび、被爆家族は、婚姻の障害になるのをおそれ、被曝の事実をひた隠しにしてきた。
被爆者の高齢化・死去で原爆体験の語り部も減り、スリーマイル島・チェルノブイリ原発事故の放射能恐怖が風化しかけていたところに、大地震による福島第一原発事故
の発生だった。大津波が襲った村や街の悲惨な光景と原発事故の緊迫した状況の映像が世界を駆け巡り、飲料水や農産物・魚介類の放射能汚染騒ぎが国内外で連日報道された。
二ヶ月後の今も、世界中の目が、事故の沈静化に懸命に対応する日本に注がれている。
これからの日本のエネルギー政策は、第一次エネルギー供給と発電資源の組合わせにおける原子力エネルギーの位置づけが重要なポイントとなろう。
「原発依存の継続」か、「脱原発」かである。ヒロシマ・ナガサキ原爆投下による日本人特有の放射能アレルギーと福島原発事故で惹起された各国原発政策の見直しの視点でもある。
憲法九条(不戦の誓い)の国是をもち世界唯一の原爆被曝国の日本には、地球全生命を絶滅の危機に晒す核兵器の削減・廃棄の旗振り役で人類社会の平和的共存に貢献する責務があるのではないか。間もなくのG8での菅首相は、「脱原発」をめざすことこそが、世界の正しい選択だと提唱すべきではないか。
原子力をエネルギー政策の柱とした、大震災前の国政の見直しは喫緊の政治的課題であろう。
東日本大震災を機に、「明日の日本を考える」とは、地震・津波による壊滅的被害を受けた村や街の復旧・復興、リーマン・ショック後の経済復興、混迷する政治改革の国民要求、さらに、原発の安全性と核兵器削減・廃絶という人類社会の複雑系諸問題を重ねて考えることなのだ。