「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―20)
2011年5月2x日(x)
「松本文郎のブログ」に長期連載中の『アラブと私』が先行掲載されているJCJ(日本ジャーナリスト会議「広告支部ニュース」5月号に、原発関連の興味深い記事が載った。
この原発告発の手記は、原発建設工事に携わった一級プラント配管技能士、平井憲夫さんの遺稿で、本誌毎号に寄稿する坂本睦郎さんに転送メールできたものの紹介という。
平井さんは、福島第一原発事故以前からも多発していた事故に危機感を抱いて、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表のほか、北陸電力能登・東北電力女川原原発差し止め裁判原告特別補佐人や福島第2原発3号機運転差し止め訴訟の原告証人を務めたが、1997年にがんで逝去したという。
20年間、原子力発電所の現場で働き、「私は原発反対運動家ではありません」と言う氏の切々とした訴えは、福島原発事故後のネット上で広がり話題となったが、原発推進派からは「作り話だ。嘘だ。本人が書いたものではない」とのリアクションがみられる、と坂本さんの紹介文にある。A4版で19枚に及ぶ手記は、数回に分けて掲載予定とか。
平井さんは化学製造工場などのプラント配管が専門で、20代の終わりごろ、原発にスカウトされ現場監督として長らく働いた。1995年に阪神淡路大地震が起き、高速道路の横倒し、新幹線の線路落下などで発覚した施工不良が、原発工事にもありうることを憂慮したのが、手記執筆のきっかけという。
世間一般では、原発・新幹線・高速道路などの工事には、監督官庁による厳しい検査があると思われても、新幹線の橋脚コンクリートに型枠木片が入っていたり、高速道路の支柱鉄骨の溶接溶け込み不良があったように、原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に工具を入れたまま繋いでしまうヒューマンエラーが多いという。
日本の原発設計は優秀でも、設計どうりにつくる最高技量の職人が少ない実態を知らないままに、「安全神話」がまかり通っていたようだ。
福島原発では、針金を原子炉のなかに落としたままで運転して、一歩間違えば、世界中を巻き込む大事故になるところでも、落としたと知っていた本人は、大事故に繋がるとの認識を全くもたないような、原発の素人だったと書いている。
一昔前には、若い現場監督以上に経験を積んだ班長がいて、事故や手抜き工事を恥とする誇り高い職人たちを率いたが、放射能被曝で後継の職人が少なくなり、経験不問で募集した全くの素人が、なにが手抜き工事かも知らずに作業をしていると訴えた。
さらに、原発の作業現場は暗くて暑い上に防護マスクをつけていて、身振り手振りでは、ちゃんとした技術を現場(オン・ザ・ジョブ)で教え難く、腕のいい人ほど、年間の許容線量を早く使ってしまい、現場に入れなくなるという。
原発事故が頻繁に起きはじめた頃、運転管理専門官を各原発に置く閣議決定がなされたが、原発の新設・定期検査のあとの運転許可を出す役人も全くの素人で、電力会社側では全くあてにしなかったことが、福島原発の緊急炉心冷却装置が作動した大事故発生時の読売新聞の見出し「現地専門官カヤの外」で、よく分かるという。
平井さんは、天下りや特殊法人ではない第三者機関が、工事・定検の現場経験豊かな人を検査官にすべきだと主張しつづけ、日本の原発行政は無責任でお粗末だと憤慨していた。その実態は、今回の原発事故を巡る原子力安全・保安院の言動でも、よく分かる。
