アラブと私
イラク3千キロの旅(47)
松 本 文 郎
「事実は小説より奇なり」の言葉に乗じて、この創作ノンフィクションの執筆時点に生じた「事実」に、あれこれの道草をしながら書いてきた。
(42)を書き終えた折りしもチュニジア政変が勃発し、それをきっかけに、中東民主化の大きな津波がアラブ諸国に押し寄せた。
五十年前以降のアラブ諸国独裁政権の近代化の行き詰まり、抑圧と苦難を長期にわたり強いられたアラブ民衆の歴史的転換点となる民主化の胎動(ジャスミン革命と呼ばれる)を目の当たりにして、私はおおいに興奮した。
植民地支配を目論んだ英仏の傀儡王政から共和制への革命を実現した若い指導者らの変節の果て、長期独裁政治の終末が迫る日々にあって、中東を統治した英国の軍人でありながらアラブ諸国独立を夢みた「アラビアのロレンス」への想いを(44)に書いた。
(45)では、五十年前のイラク革命を現地取材した牟田口義郎(朝日新聞)の報道資料に拠り、中東石油をめぐる欧米列強とアラブ諸国がせめぎ合うOPEC誕生とカダフィ政権の登場などを記述した。
東日本大地震による生まれて初めの大きな揺れは、その執筆中の書斎で体験した。
遠浅の海を埋め立てて市域を拡大してきた浦安の六十%の市域が、液状化現象の震災に見舞われ、海辺近くの高層マンションに住む娘婿一家はわが家に疎開してきた。
電気を除くライフライン(ガス・上下水道)が止り、敗戦後以来の不自由な生活を余儀なくした。その概要などは、被災を機にこのブログに連載を始めた『文ちゃんの浦安残日録』に書き、はや、(22)となった。
『アラブと私』と併せて、ご高覧ください。
(45)の半ばあたりで、ようやく、アハラムの家のホームパーティの場面に戻り、翌朝、私たちが向かうモースルで八年前に起きたカセム政権による数千人の民衆虐殺の話から、従兄マリクによる当時のバクル政権の話に移っていた。
だが、『アラブと私』を先行掲載しているJCJ(日本ジャーナリスト会議)「広告支部ニュース」五月号の目次に、原発建設・定期点検に二十年間も関ったベテランのプラント配管工平井憲夫氏の『原発がどのようなものか知ってほしい』の短期集中連載の他、坂本・谷本・川田諸氏の関連記事が並び、編集後記にも大震災への想いがこめられているのを見た私は、六月号に、朝日新聞社公募「東日本大地震の復興構想・提言論文」に応募の『これからのエネルギー政策と脱原発』を寄稿。『アラブと私』は休載した。(ブログの「エッセー」の項目に掲載予定)
ヒロシマ原爆を疎開で免れた私の積年の願いの核兵器廃絶と、原発事故の放射能汚染による地球生命の危機とを重ねて訴えた拙文と、十四年前にがんで逝った平井憲夫さんの遺書のような「原発告発文」連載第二回とが、目次に並んだ。
平井さんの文章は、内田 樹ⅹ中沢新一ⅹ平川克美の対談『大津波と原発』(朝日新聞出版)にも引用され、原発建設をめぐる推進・反対派の間の不毛な討論にも言及していた。
推進派はひたすら「安全です」と言い、反対派は「非常に危険で、すぐにも壊れる」と主張するが、実際はときどき壊れる機械である原発の故障・不具合への対応を冷静に議論する場が成立していないと嘆いている。
東日本大地震以前に構想された国のエネルギー政策で、原子力への依存を五十%としていたからか、浜岡原発の一時停止をきっかけにした脱原発への加速的な運動拡大を懸念した政府・電力会社は、供給電力不足を楯にした原発存続論を続けている。
これに対して、国際エコノミスト齋藤 進氏は朝日新聞掲載のコメントで、日本の原発の四倍の発電能力を保有する火力発電所を六十五%稼動させるだけで、全国の原発すべてを停止・廃止しても、電力不足は生じないと述べている。
さらに、昨年の原子力発電実績を新型発電設備であるガスタービン・コジェネレーション(熱電供給)に切り替える費用は八千億円程度で済み、熱効率は三十~五十%も高く、二酸化炭素排出量も大幅に下がるという。
また、電力不足で生産力低下を喧伝している各製造業の大手は、電力会社から電力を買うよりも安い自家発電設備をもち、わが国の自家発電量は全体需要の二十%にもなるそうだ。こうした提言は、テレビ番組では取り上げないようだが、リスクやネックがある論議なのか。
「脱原発解散」を懸念される菅首相にとっては、すがりつきたい内容と思われるのだが・・・。安全神話は日本の原発だけでなく、一九八六年のチャレンジャー爆発の事故調査でも指摘された。
「天声人語」氏は、調査の中心だったノーベル賞学者ファインマン博士が、「ロシアンルーレットのようなものだった」と評したと書いている。
その失敗確率は十万分の一で、毎日打ち上げても三百年に一度起きる位の事故と言われていた。
日本の原発事故の確率が五十億分の一(隕石に当たるようなもの)とされたのは、神話と言うより法螺の類だと、同氏は手厳しい。
ファインマン博士は、がんと闘いながら調査を成し遂げ、「技術が成功するためには、体面より現実が優先されなくてはならない。自然はごまかせない」との言葉を遺したという。平井憲夫さんのがんが、長年の原発工事監督で放射能に晒されたせいか分からないが、死を覚悟して、原発告発の文章を遺す決意をしたという。冒頭の「事実は小説より奇なり」をなぞると、「現実」は事実で、「技術」には、フィクション的な側面がありはしないかと愚考する。深遠な自然に比べ、どんなに精緻に構成された小説でも破綻が潜んでいる。科学技術者も人間だから、失敗や間違いをおこすだろう。政府の原発事故調査・検証委員会の委員長になった「失敗学」の畑村洋太郎さんは、失敗の原因を体系化して創造に生かそうとしている人である。
JR宝塚線の脱線事故や六本木ヒルズ・ビルの回転ドア事故などを調べ、再発防止に努めてきた。失敗原因を、個人の無知・不注意、誤謬判断、組織の価値観・運営不良などの十の観点に分類し、現場や物を見、関係者から直接に話を聞くことを原則に、調査に取り組むそうだ。
「大きな事故だから、きっちりとした調査方法は確立していない。議論ははじまったばかりだが、世界が注目している地球規模の問題に、百年後の評価に耐えられる報告をめざす」と意欲的だ。
「脱原発」をめざすには、原発以外のクリーンな代替エネルギーへの移行が大切だが、日本では、太陽熱・地熱・風力による電力の大量安定供給の実現までは、水力・天然ガスが有力だ。
少子高齢化の進行で人口減少が予測され、将来的な電力需要は減るし、水道水のように使い放題だった電力依存の近代的生活から鴨長明「方丈記」流の自然と親和する暮らしに還るのも、生活習慣病が蔓延する日本人の健康によいのではないか。
『アラブと私』の連載中の「晴天の霹靂」だった中東民主化の勃発と東日本大地震の甚大な災害に関する道草も、オシマイにするとしよう。
「イラク3千キロの旅」で招かれたバグダッドのホームパーティの席に戻ることにするが、最近の報道では、バグダッドで爆弾テロが続発しており、多数の死者が出ているが、予定の年末までの米軍完全撤退は実行されるとあった。
そういえば、この連載の冒頭を、引退を目前にしたブッシュ大統領の「替え歌」の引用で書き始めて、はや三年になる。
ブッシュ政権がメチャメチャにしたイラクの、四十年前の人びとの暮らしの「事実」を伝えるのが、彼の地でもてなしてくれた人たちへのお返しと思いながら書き綴っている。
順調な推移を祈ったチュニジア・エジプト政変のその後の情勢も波乱含みで気がかりではあるが、それらは、『文ちゃんの浦安残日録』に書くとして、(48)からは、ひたすら、「イラク三千キロの旅」をつづけることにしたい。
(続く)