アラブと私
イラク3千キロの旅(48)
松 本 文 郎
*長い道草を終え、ホームパーティーの場面に戻る便宜上、(46)の一部を左記に数行再掲。
若い記者のマリクは、バクル政権の政策と統治の現状を歓迎している口ぶりで、「内乱が収まったのは昨年の五月でした。クルド族が落ち着いたので、明日、フミオさんが行かれるモースルの心配はいらないでしょう。やっぱり運勢が強いですね」
(前承)
私はすかさず答えた。
「アハラムのお母さんのコーヒー占いのご託宣もあるので、無事にバグダッドへ戻れるでしょう」
カセム政権の命とりになったクルド問題の歴史を手短かに語ってくれた主は、甥っ子のマリクが、三年前からのバース党バクル政権に親近感を抱いているのに頷きながら、「モースルの治安はよくなりましたが、道路の方はバスラからのようには整備されていませんので、高速運転には気をつけてください」
「ありがとうございます。バスラからはユーセフに運転してもらいましたので、明日は、交替するつもりです」
モースルのことを聞いていたソファの向い側にアハラムと並んで話していたユーセフが、「チーフ。運転は私にまかせてください。私には馴れている道ですから」
「それは明日の成り行きにして、もう、お暇するとしようかね」
「はい。そうしましょう」
アハラムが、腰を上げてキッチンへ急いだ。
「奥様の美味しいイラク手料理のご馳走になり、いろんな話を楽しくさせていただいたので、つい長居しました。行き届いたおもてなしに厚くお礼を申します」
「いえいえ、こちらこそ初めてお目にかかったとは思えないほど親しくお話できて、うれしく思います。バグダッドへはいつ戻られますか」
「モースルへ一泊してきます。ところで、戻った日の夕食に、ご主人とアハラムさんをご招待したいのですが」
「それは恐縮です。ありがたくお受けします」
アラブの人たちは元来社交的で、ちゃんとした家庭では、招かれたら、招き返すのが礼儀とされている。旅先では、ホームパティーというわけにゆかず、クラブかホテルのディナーに招くほかない。
アハラムが、紙包みを両手で捧げてキッチンから出てきた後ろに、母親の顔があった。
ディナーが始まる前のテーブルセッティングの最中、同じところに現れて、目で会釈された初老の夫人である。
髪をスカーフに包み、やさしい笑顔だった。
あまりにも咄嗟な初回は、簡単なアラビア語の挨拶を発することさえできなかったが、今度は、「サンキュウ ベリーマッチ フォー ユアナイスディッシュス」と、英語が出てしまった。こころなしか、夫人の笑顔がひときわ耀いた。客に別れを告げる妻の笑顔に、主もニコニコしている。
ご自慢の手料理やコーヒー占いへの私の反応に、夫人は親しみを感じたのだろうか。
アハラムの紙包みは、クレーチャだった。
デザートに出されたとき、「ラマダーン用に沢山作ったので、よろしかったら、モースルへの道中で食べるよう、お持ち帰りください」とアハラムが言っていたのである。
時刻は、もう十時を過ぎていた。
妻は、家の客人と同席しないシーア派の慣習を守る夫人と、まだ子供のジャミーラを除き、主・娘のアハラム・甥っ子マリクの三人でもてなされた中流家族のホームパーティは、アットホームで心地よいものだった。。
門まで見送りに出た三人に、感謝をこめて握手した。心地よい酔いの後押しで、アハラムとハグしたかったが、さすがに、父親の目が憚られて、握手にとどめた。
ユーセフは、夕方のテラスではビールを飲んだが、アルコール度の高いアラックは少し口をつけただけで、もっぱら料理を楽しんでいた。
酒好きでないが、車の運転に責任をもってくれているユセーセフがエンジンをかけ、トヨペットをスタートさせた。二人は門の前の三人に手を挙げて別れを告げた。
「とても楽しかったのでつい長居をしたけど、朝早くからの遠出運転や花束の調達で一休みもできなかったから、さぞ疲れただろうね」
「そうでもありません。ずっと、アハラムと一緒にいたからでしょうかネ」
まる一日をアハラムと過ごして、食事や会話を共にしたよろこびが溢れている口調だった。
「ホテルまで私を送ってくれたあと、また、実家に泊まるのかい?」
「いいえ、明朝は早く出発した方がよいですから、ホテルにします。朝食は七時でいいでしょうか?」
「それでよさそうだね」
「今日行ったサマーラまでは幹線道ですが、その先は道幅もやや狭くて舗装もかなり古いですから、バスラからのようには飛ばせません」
「ホテルに着いたらシャワーを浴びて、すぐ眠るとしよう」
ホテルへ急ぐ車のヘッドライトに、アハラムらを迎えに来た朝の街の家並が、ほの暗く写し出されていた。
ホテルのパーキングに止めた車から出た頬に、なま温かい風が当たり、キナくささを感じた。
「明日はサンドストームが来るかもしれないね」
「チーフにも分かりますか?」
「うん。空気の臭いでなんとなくだがね」
夜空を仰ぐと、よく晴れた昼間と打って変わり、一面の低い雲だ。
「昨日の雷雨のように、この季節は天候が変わりやすいのです」
「インシャーラ ブックラだね!」
私は、明日のことは神のみぞ知るとの常套句をつぶやいた。自分の部屋に入ると、急に酔いがまわってきた。シャワーを浴びてベッドに倒れこむと、昨夜と同じパタンキューだったようで、アラビアンナイトの夢でアハラムに会うこともなく、朝を迎えた。
部屋へ迎えにきたユーセフと食堂のテラスで、簡素な英国式朝食を、そそくさと食べる。
冷えたフレッシュオレンジジュースだけが、心地よく喉に流れる。
「まだ疲れが残っているようなら、ボクが運転するよ」
「よく眠りましたから、大丈夫です。どうしても運転なさりたいなら、サマーラまでは私が飛ばして、その先をお願いします」
「じゃあ、そうするとしよう」
チェックアウトして荷物を積み込むとすぐ出発した。昨夜の低い雲はどこかへ行ったようだが、行く手の空は、やはり曇っている。
ユーセフがラジオを入れると、音楽が流れた。
「ベイルートの音楽とちがうでしょう。イラクのは、まだ野暮ったい感じですね」
「郷に入らば郷に従えと言うよ。つけたままにしておこうよ」
トヨペットは快調に、昨日と同じサマーラへの道を走る。
「ユーセフ。朝っぱらから硬い話をしていいかい」
「なんでしょう。眠気覚ましにいいかもしれませんね」
「マリクに聞きそびれたんだけど、去年亡くなったナセルのアラブ民族主義に反対だったイラクのバース党社会主義政権を支持しているのはどんな人たちかということだよ」
「ナセルのアラブ民族主義を支持したのは軍人が中心でしたが、それと一線を画したバース党も、度重なるクーデターでは軍の力に頼り、三年前にバース党政権が成立しました。英仏による傀儡的王政時代は、王族と特権的階級が富と権力を手中にしていましたが、バクル大統領のバース党政権は、外交面で反英仏・親ソ的路線をとりながら、イラクの近代化を進めているといえます」
「キミより若いマリクやアハラムたちも、そう思っているようだけど、アハラムの親父さんの世代はどうなんだろうね」
「社会主義的な政権ですから、政治的な発言には気を遣っています。自由な商売をするには欧米と仲良くする方がよさそうと分かっていますから、なにかとアタマをつかっているようですが」
「これから向かうモースル近辺には、イラク石油(IPC)の本拠地キルクーク大油田が広がっているけど、その石油収入の還元をめぐるクルド族の自治問題への妥協で維持されている治安情勢も、なにやら危ういところがありそうだね」
「ええ、バクル政権の社会主義政策実現の財源にはIPCの石油収入が欲しいでしょうから、欧米が心配しているように、その国有化は、国家的な課題にちがいありません」
一介の土木技術者の言にしては、なかなかだ。
(続く)