「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―27)
2011年6月2ⅹ日(ⅹ)
朝、目覚めると雨の音がしていた。
昨日の予報は雨だったが、結婚式場の祭壇に注いだステンドグラスからの光や屋外の記念撮影も日差しに恵まれてよかったと、義兄の家に戻る車中での話を反芻した。
シャワーを浴びて、ダイニングキッチンに顔を出す。
来るたびに思うのだが、私たちより年上の二人の朝食はとてもリッチで、北海道から取り寄せたイクラ・鱈子だけでなく、ハムエッグまで付いている。具沢山の味噌汁は、体調を崩していた義兄が復調してから自分で作り始めたという。地場の味噌も美味しく、ふたり共に、お代わりをお願いする。
かって泊めてもらった両親の実家それぞれでも、激しい農作業へのエネルギー確保の生活習慣からか、かなり高カロリーの朝食を出されたものだ。
その日は、付属同期の有志が安部本家の元屋敷・福寿会館に集まってくれることになっていた。昨年五月の喜寿同期会をきっかけにスタートした「沖野上青春句会」の諸兄姉の好意である。50余人が参加した同期会の寄せ書きのメッセージを、575で書いていた7人を見つけた私が、会の一ヵ月後に、喜寿残日の“遠隔こころの交流”を趣旨に提案し、賛同を得たものだ。句会と句集『つれづれ』の名称も私案だった。
句会の同人Y君とは、同期会で割り当てられた席が隣り合っていて、卒業から58年
ぶりの再会だった。そのときの彼からは俳句の話など全く出なかったが、地元の句会で
は名を知られた存在と分ったのは、隔月刊『つれづれ』の編集・作成を快く引き受けて
くれたあとである。
有志の一人K君は、東京在住T君と同じ読者会員で投句はしないが、一級下のお千代
と私の中学時代のことや市が管理する福寿会館と安部一族との由来をよく知っていて、
お千代にとって懐かしい場所を、ミニ同期会の会場に選ぶ心遣いをもらった。
“遠距離通信句会”の句集は、昨年8月創刊号から5月号まで、はや5冊を数えている。
通信投句集の編集長Y君としては、初めての句会が開けるチャンスとばかり喜んでいた。
正午に集まり、洋館部分の軽食・喫茶の地元料理“うずみ”を食べるといわれていた
ので、その前に、安部一族の菩提寺である安楽寺の墓参りをすることにした。お彼岸や
お盆の墓参りのためだけには帰郷しないので、機会があれば、先祖の墓参りをしている。
朝食後も雨音は激しかった。花嫁の母親Kちゃんが福山まで車で送ってくれるという。
大きな仏壇の岳父・義母の仏前で般若心経を上げてから、義兄・義姉に別れの挨拶を
した。この年では、またいつ会えるか分からない。くれぐれも元気でいて欲しいと告げ
るお千代の言葉には、真情が込められていた。
暮れのときと同じ郊外型量販店で仏花を買って安楽寺へ向かった。フロントガラスに
当たる雨は弱まっていない。30分余りのドライブでお千代と姪の話を聞いているうちに
お寺さんに着く。
土砂降りに近い雨の墓地の供花に、水のバケツは不要だった。ここでも、般若心経を
唱えたが、足元に跳ね返った雨脚で、ズボンの裾がかなり濡れた。寺を辞して福山城に
向かう途上で、雨は小降りとなった。
福寿会館への坂道の下で降ろしてもらい、井原に戻るKちゃんに手をふった。
(続く)