アラブと私
イラク3千キロの旅(49)
松 本 文 郎
「社会主義のバクル政権が親ソ路線だとしても、バース党自体は、ナセル民族主義で反共だよね」
「そうですよ。三年前のクーデターが成功して、カセム一派と共産党を粛清したように、新政権の主体であるナセル派とバース党の共通基盤は反共でしたから、、赤狩りぶりは徹底していました」
「じゃあ、バース党の親ソ路線は少々微妙だね」
「ええ、今のバース党は、熱烈なナセル主義者のアレフ大佐がめざしたアラブの再統一とはちがう独自路線をめざす反ナセル分子がかなりいます」
土木技術者のユーセフが、思いのほか、自分の国の政治情勢に詳しいのに驚く。出会いから一年に満たないクウエート事務所の現地雇用エンジニアとは、政治的な話をしたことはない。アラブの国のコンサルティング業務従事者へのオリエンテーションで、素性が定かでない相手とは、政治的、宗教的な話しはしないように注意されていた。
ユーセフと共に雇ったイラク人アルベヤティはイギリスから英国人妻を伴い、イラクへ軍用機で帰国したと話したが、事情を詮索するのはやめて、建築工事現場の仕事以外の話はしないことで対処してきた。このイラクへの旅をアルベアティに誘われていたら、断っていただろう。
昨日、アハラムの従兄の新聞記者マリクと政治話をした余勢で、イラクの政治状況をユーセフに訊ねている私は、小田実の『何でも見てやろう』を地で行こうとしているようだ。(今思うと、いかにも無鉄砲だが、「何でも‥‥」の小田実のように若かったからだろう)
クウエート出発からユーセフが私に示した誠実さを信じ、いっそう胸襟をひらくとしよう。
「キミがソ連の社会主義の現状をどう見ているか知らないが、ブレジネフ・コスイギン体制になってから米国とのデタントや経済改革も進めているようだよ」
「バクル大統領は、英国支配のイラク石油会社(IPC)を国有化するためにも、ソ連との関係強化を図っていると思います」
「マリクは、今のソ連の社会主義がめざしている西欧型の市場原理導入、中央から地方への権限委譲などの情報をかなり得ているようで、アハラムのオヤジさんは、そうした路線をバクル大統領がとると期待しているのかもしれないね」
「それにはまず、石油収入を国家の手中にしなければなりませんが、英仏がどう出るかです」
ユーセフはラジオから流れる音楽を小さくした。どうやら、バクル大統領の政策論議に気を入れるようだ。車は、昨日と同じサマーラへの道を走っている。
「そろそろ、大統領宮殿が近いです。チグリス川の対岸にありますので、車を止めて下りましょう。警備の目が厳しいですから、写真は絶対に撮らないでください」
宮殿を望む堤に並んだユーセフによれば、十三年前のカセムによる電撃的王制転覆の戦いで死んだのはわずか十人だが、そのうちの五人は王族だったという。イラク王国建国の父フセインのひ孫ファイサル二世、イラー皇太子、その二人の妹と母である。
悲惨をきわめたのは皇太子で、熱狂した市民に奪い去られた彼の死体は、炎天下のアスファルト道路に投げ出され、車や群集の足に踏みにじられ、引きちぎられて消滅したという。
共和制革命の立役者カセムは首相となり宮殿の主になったが、十年後に破局を迎え、一派は粛清された。
イラク社会主義政権の権力闘争に、スターリン時代の陰惨な粛清がまだ行われているのだろうか。
いつまでも宮殿を眺めていて不審尋問されるとたいへんなので、そそくさと車の中へ。
共和制ではあるが、バース党の独裁政権だから、政治的言動には、外国人といえども気をつけねばならないし、ユーセフに迷惑をかけてもいけない。 「硬い話はこれくらいにしようよ。サマーラの塔が見えてきたら、運転をかわるからね」
私は、ラジオの音量を元に戻した。
昨日、かなり飲んだアラックの酔いは残ってはいないが、軽いリズムの音楽を聴きながら揺られていると、いつの間にか眠りこんだらしい。
車が停まった拍子で目が覚めると、茶屋の前だった。
「よく寝てましたね。サマーラを過ぎましたが、トイレ休憩に停めましたので、チャイかトルコ・コーヒーを飲みましょう」
バグダッドへの途上、サマーワの茶屋でチャイを飲んだが、アハラムの母親の占いに敬意を表し、トルコ・コーヒーにした。
少し談笑して、トイレもすませた。
「ここからは、ボクが運転するから眠っててよ。昨日は朝から夜遅くまで休みなしのキミは、疲れているだろうからね」
「じゃ、お願いするとしましょう。行程の三分の一は来ています。対向車も多くはないでしょう。モースルまで百キロほどになったら、替わります」
空はどんよりして、空気には、サンドストームがやってきそうなにおいがある。
走り始めた道路の上を、ゆるい砂の流れが横切っている。
「対向車とのすれ違いには気をつけてください」と言いいながらシートベルトを掛けたユーセフは、座席を後ろに倒して目をつぶった。
川から離れた道路の両側には農耕地はなくて、砂礫混じりの砂漠の中に盛り上げた二車線道路が、どまでも直線で伸びている。
音楽のリズムに身をゆだね、かるくハンドルを握っているだけの単調なドライブだ。
とき折やって来る対向車がなければ、緊張感を欠いてウツラウツラしそうなくらいで、腹に力を入れて、気を引き締める。
眠気防止に、時々、クウエートで買い込んできたケントに火をつける。関税が掛からないから、日本で買う洋もくの値段に比べ、驚くほど安い。
1時間ほど走ったころ、道路を流れる砂の量が増え、フロントガラスに当たる空気の透明度が落ちてきた。サンドストームというほどではないが、前方、要注意だ。
時速百キロのコンスタントできたが、少しでも早く着こうと、ユーセフばりの百二十キロに上げようとした途端、アクセル・レスポンスが変で、踏み込んだ分のエンジンパワーが出ない。
ユーセフはよく眠っていて、起こすのがためらわれたので、百キロに戻し、しばらく走りつづけることにした。
かれこれ三十分が経って、今度はエンジン音がおかしくなり、速度が九十キロに落ちた。車体に異常な振動が生じている。
ユーセフが目を覚まし、シートを元に戻した。「エンジンの調子がおかしいですね。二日連続の高速運転だけで、新車に近いトヨペットがいかれるわけないですから、空気清浄機のフィルターに砂が詰まったのかもしれません。修理のガレージがあったら寄りましょう」
車の構造には自信があるような口調である。七、八十キロでは車体の振動も弱くなり、なんとか走行が維持できそうだ。
三十分も走ると、小さな町にガレージがあった。
ボンネットを開け、フィルターを外してみると、微細な砂が詰まっている。
トヨタの純正部品などあるはずもなく、エア・ホースで砂埃の掃除をしただけで、店を後にした。
ましなガレージがモースルにあるかもしれないと、行く手に望みを託して、ユーセフの運転で出発した。
クウエートのタクシーのほとんどがベンツなのは、高い気温やサンドストームに耐える砂漠仕様の設計がされているからと聞いていたが、日本車はどうか。
トヨタ・ニッサンの小型トラックはクウエートやイラクでたくさん走っているから、アフリカ・アラブの植民地で自国車を鍛えた欧米メーカーの後塵を拝しているとは、思いたくない。
モースルに近づくにつれて、道路を横切る砂の流れも収まり、空気も透明になった。
フィルター清掃の効果か、百キロ運転を維持したユーセフが、モースルの街に車を入れたときは一時を回っていた。
(続く)