アラブと私 
イラク3千キロの旅(9)
 
              松 本 文 郎

 バスラでの昼食から、ずいぶん時間がたっていた。
ユーセフに運転を任せ、横で居眠りしながら座っているだけなのに、腹が減ってきた。
 ユーセフはどうかと聞くと、サマーワで仕入れたパイ生地の菓子・クレーチャを食べましょうと言う。

 後部座席から紙袋とペプシコーラをとって、包みを開く。パイ生地が黄金色に焼き上げられた半月の形をしたクレーチャは、とても旨そうだ。
 ユーセフに一つ手渡してから、おもむろにかぶりつく。バターを練りこんだパイ生地に包まれたナツメヤシとクルミの餡がとてもよく合っている。半月の円弧の縁を指で押さえてあるから、外形は中身の盛り上がったジャンボ餃子のようだが、味は月餅に似たところがある。
ユーセフの大好物らしく、慎重に運転しながら、たちまち二つ平らげた。ペプシを渡すとのどをならして飲んでいる。長い運転で疲れたからだに、給水とかエネルギー補給ができたようだ。ヘッドライトの光の前方をしっかり見つめたまま、クレーチャについて話してくれた。

 なんでも、イラク人が旅に出るとき、家の主婦はよくこの菓子を作ってもたせるそうだ。なぜそうなのかはわからないが、ユーセフの母親もそうだったという。「日頃よく食べる家庭の手作り菓子ですから、旅に出て、家族やお袋の味を忘れないでくれということでしょうか。家を離れるたびに、旅行カバンの中にたくさんのクレーチャを詰めてくれたものです」

 パイ生地の菓子は、カバンに衝撃が加えられると形が崩れてしまいがちだろうが、国外へ出稼ぎに行くイラク人の多くが、妻や母親が作ったクレーチャ入りのカバンを運びながら旅しているのだろう。入れ物にいれておけば、十日ぐらいは保つという。
バターに砂糖をたっぷり入れたクルミやナツメヤシの餡で作られているから、菓子とはいえ、食事の代わりになる。サマーワの茶屋で買うのを勧められたのに、「がってん」「がってん」した。

 クレーチャには、ペプシコーラがよく合う。
 当時のクウェートやイラクでは、コーラといえばなぜかペプシだった。コカコーラのような変な色が着いていないので、水代わりによく飲んだ。
 一九六九年に電気通信研究所の基本設計で滞在したテヘランでもペプシだったから、サッダム・フセインがイラン・イラク戦争を始める二十年前までは、どちらの国の若い人たちも、アメリカンスタイルの近代的な暮らしに憧れていたように感じた。
 そのテヘランからシーア派の聖地へ死体を運ぶ車と同じ幹線道路を、いま走っているのだ。
 突然、フロントガラスに大粒の雨が数滴はじけ、たちまち一面が雨粒で覆われた。
「チーフ、雨になりましたね」、とユーセフはすぐにワイパーを動かした。
 
一般的に、アラブの砂漠地帯で雨など降るはずはないと思われているかもしれないが、時には大雨が降るのである。一九七○年七月から滞在しているクウェートでも二、三回の雨を体験していた。

 初めての大雨との遭遇は前年十二月半ばだった。コンサルタント事務所が繁忙を極め、六・三・三の勤務体制(一日十二時間)で、夕食に十キロ離れた家へ帰る途上だった。
 垂れ込めていた厚い雲から突然、猛烈なシャワーが降り注いだ。ワイパーを最速にしても前方がよく見えないほどの強い雨脚だった。

 バケツをひっくり返したような雨は、貧弱な排水溝しかない道路にたちまち溢れ、車軸が水に浸かるほどになった。話に聞いていたが、その凄さは想像を超えていた。
 都市計画のコンサルタントはイギリスだと聞いていたが、ドイツ人だったら、少しはましな排水処理を考えたのではなかろうか。ブレーキが効かなくなるのを心配したが、この種の大雨は局地的な通り雨らしく、しばらく徐行しているうちに水嵩も減り、雨も小止みになって、無事、家までたどり着けた。

  砂漠の一本道の幹線道路はかさ上げされていて路面の雨は路肩下の土に吸われる自然排水だから、ブレーキ板が濡れて効かなくなる恐れはない。だが、急制動によるハイドロプレーン現象の滑動はとても危険なのだ。雨は激しさを増し、行き手に稲妻が走り、雷鳴が聞こえた。砂漠のど真ん中の不思議な土砂降りの中、スピードを落としたユーセフは前方に目を凝らし、無口になった。

 かなり前方を走っていた車のテイルランプが近くなった。また事故かと、身構える。
 減速しても、バグダッドへ急ぐユーセフの運転のスピードが速いのか、見つめていたテイルランプに追いついた目に、タクシーの屋根に積んだ白く長い包みが見えた。
「聖地へ運ぶボディですね」と呟いて、ユーセフは対向車が来ないのを確認してすばやく追い越した。 

 サーフィンボードの大きさの帆布の包みを、激しい雨脚が叩いている。
包みの中身を知ってしまった私に鳥肌が立った。次のテイルランプもすぐ近づいてきた。やはり、包みを積んでおり、しかも二つ重ねられている。
追い越しをかけようとした途端、目がくらむような稲光で辺り一面が真昼の明るさで照らし出され、耳をつんざく雷鳴が轟きわたった。

 エドガー・アラン・ポーの『黒猫』を読んだときに似た戦慄が、体を走りぬけた。
「こんなに立て続けに会うのは私も初めてですよ」 
「いやー、こんな光景を見るなんて思いもしなかったよ。私にとって珍しい死者の弔い方では、イランのゾロアスター教の村で鳥葬の跡地を見学したことがあるけどね」
「ボディ搬送に興味をもたれたようですから、明日にでもカルバラの聖廟で遺体を納めるところを見てもいいですよ」

 建築家としての旺盛な好奇心をもつ私に、精一杯の誠実な案内を心がけてくれるユーセフである。
「うん。それはクウェイトへ戻るときでもいいかな。明日はアハラムに会うのを第一番としようよ」
「分かりました。聖地カルバラはバグダッドの手前ですから帰り道にしましょう。死者を葬るのを見るよりも、アハレムの方がいいに決まっています」
 ユーセフもそうしたかったに違いないと感じた。

 先行するテイルランプはなく、フロントガラスを強く叩いていた雨脚が細まってきた。
 ゾロアスター教といえば、ニーチェが書いた名著『ツアラツストラはかく語りき』を思い出したので、運転するユーセフの眠気覚ましに、人間にとっての宗教の意味や死生観などを話しあおうと思った。

 これら人間普遍のテーマでは、クウェイト郵電省の顧問室で打ち合わせの後のチャイを飲みながら、エジプト人建築家ボーラス氏から死後の世界と日本人の宗教観について尋ねられたことがあった。

 ユーセフもいっしょに打ち合わせに来ていた。



                  (続く)




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2008/11/19 15:59 2008/11/19 15:59
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  1. 松本隆夫 2008/12/04 20:41  コメント固定リンク  編集/削除  コメント作成

    記述されている状況が次から次から目に映るようで、読んでいて自分が本当に旅をしてるように思え、タダで中東地区を旅行しているようです。