「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―29)
2011年6月2ⅹ日(ⅹ)
みんなが揃って、挨拶を交わしているうちに正午となり、Kちゃんが予約してくれていた郷土料理“うずみ”が運ばれてきた。ご飯の上に汁をかける“猫飯”の逆に、椀底の汁に熱いご飯をのせる家庭料理で秋祭の頃によくつくるが、レストラン・メニューになっているとは思いもしなかった。
汁の主な具材が松茸と小芋だったのはよく覚えている。疎開でお世話になった両親の実家の山で松茸を採ったが、その在処と採取時期は、従兄弟同士でも秘密にしていた。
出された“うずみ”はメインが浅蜊の淡白な味で、松茸が主役だった田舎風とは違う料理になっていた。
町なかで育ったお千代だが、料理上手だった母親文子さんの“うずみ”を懐かしがりながら、Kちゃんの心遣いの珍しいランチをうれしそうに味わっていた。「つれづれ」の会員ではなく、Ko君に呼ばれて来たN君も、「こぎゃあな料理は、ひさしぶりじゃのー」と、正調の福山弁でおどけてくれた。
彼は、社長ふくみで迎えたT大出の娘婿が思いがけず早世し、不本意ながらまだ経営の第一線に立っているそうだ。中国へ進出した当時は好調だったが、人件費が高騰する今では、相当キツクなったと呟いた。
デザートのケーキとコーヒーのあと、渡り廊下から大広間のある本館へ席を移した。
十六畳敷きの座敷を二間連ねる長い縁側から、雨に煙る広大な庭と背景に聳える天守閣
をお千代と並んで眺めた。石の橋が架かる池に、大きな鯉がたくさん泳いでいたという。
福寿会館の運営は、市が第3セクターに委託しており、席作りや湯茶の準備は利用者がするのだという。私たちが公民館の音楽室を合唱団の練習に使うときと同じだ。
若い女性係員の指示に従い、玄関脇の部屋に納めてある和式の長机や座布団を手分けして運ぶ。良夫さんは、句会や茶会の経験が豊富とあってか、テキパキと身体が動く。
私の提案で、奥の座敷に折りたたみの脚を伸ばさない長机をコの字に並べると、句会らしい雰囲気のしつらえとなった。ランチの席の良夫さんの話では、母屋奥の離れ座敷で茶と句の会をと思ったが、茶の湯の作法で座が硬くなりそうなので、止したという。
庭に向かって開いたコの字の卓の好きな席につくと、良夫さんに促されたKちゃんが、立ちあがって話を始めた。同期会会長を長年務め、県の建設業協会会長の経験もある彼の挨拶は、私たち二人への歓迎の辞と共に自身の述懐をとりまぜて、かなり長いものになった。良夫さんの顔に、“困ったナ”という表情が見えたが、まもなく挨拶は終わった。
良夫さんが座を立ち、控えの間から裏廊下へ出たので、あとについて行くと、台所でお茶を淹れていた。手伝いながら、「せっかく準備してもらったけど、女性二人が病気で欠席だし、Kちゃんはあの調子だから、今日の句会はやめにしたら?」と訊ねてみると、「そうだね。今朝がた蒸した私の地所名物の柏餅をもってきたから、茶話会ということにしようか」と応じてくれた。
座敷に戻り、茶を入れた湯飲みと柏餅のパックが配られると、良夫さんが、茶話会にする旨の話をした。やや残念そうな面持ちにみえたが、俳句を詠まないKちゃん、N君、お千代にとってはよかったかもしれないと思った。遠距離通信句会「つれづれ」の初句会の席は、ざっくばらんな同期会の談笑の場と変じたのである。
(続く)