アラブと私
イラク3千キロの旅(52)
松 本 文 郎
「欧米で、イラク石油会社の国有化が懸念されていますから、その可能性はあります。20年前の1951年、イランのモサデック首相がアングロ・イラニアン石油会社の石油利権を取り戻し、石油産業の国有化を実行した1953年、米英が画策した皇帝派クーデター(CIAが関与したとされる)でモサデックは失脚し、3年間の投獄を経て、自宅軟禁中に死亡したのを思い出します」
ユーセフがつづけた。
「去年、革命指導評議会は、独立国家クルディスタン建国を要求してきたクルド人に将来の自治を約束して、クルド語をイラクの公用語に加えましたが、政治面ではなにも変わらず、クルド人の間に不満がつのっているようですから、CIAが暗躍する下地がないとはいえません」
話の風向きが不穏な方に向き始めたので、この話題は打ち切る方がよさそうに思えてきた。
「一昨年、イラン電気通信研究所の基本計画技術指導でテヘランに滞在したとき、タクシーの中で話をするにも、パーレビ皇帝の秘密警察とCIAへの密告に注意するよう忠告されました。この辺にも居そうな連中に誤解されると怖いので、もうこの話はお終いにしましょう」
「それがよろしいでしょうね」
牧師はまた、ワインのお代わり勧めた。
「チーフ。そろそろおいとましますか。もう一つご案内したい場所がありますし」
「どんな所だろう?」
「モースルで働いたときに出会ったクルド人を訪ねて、チーフが興味をもたれるものを見てほしいのです」
「なんだか、興味深々だネ」
親切な牧師の心遣いのもてなしとイラクの現状をめぐる率直な対話は、思いがけない体験だった。
こころからの感謝の意を伝え、固い握手を交わして、パーキングに向かう。
牧師と並んで歩いてきたユーセフが、運転席に座り、車をスタートさせながら言った。
「いい人だったでしょう。チーフがとても親しく牧師と話されたので、案内した甲斐がありました」
教会から20分ほど走り、小高い岩山の細道を登って着いたのは、チグリス川右岸の崖に掘られた横穴式住居の入口だった。
「ここに住んでいるのはクルドの人で、民族宗教ヤズィーデーの信者です。川が覗ける一角には、とぐろを巻いたドラゴンを祀る祠があるのです。彼がいるかどうかを見て来ましょう」
ユーセフは、横穴開口の板壁のドアから入り、しばらくして、、私の父親の歳くらいの老人と出てきた。
白く長い顎ひげの老人に手を差しのべると、人なつっこい笑みを浮かべ、握手をしてくれた。ゴツゴツしたぶ厚い掌が、温かかった。
招き入れられた居間のような空間は、白い岩を掘って造られており、道と川の両側に開けられた窓からの光でかなり明るく、風通しもよい。
長方形の部屋の壁の片側に埋め込み棚があり、その向い側に、手編みの分厚い絨緞が掛けてある。くすんだピンク色の地に、草木染のような色でいろいろな草花や動物たちが編みこまれている。
床にも同じような絨緞が数枚敷いてあり、壁沿いには、背もたれのクッションが並ぶ。
この横穴住居の構造は、並行する道と川に直交する長方形の空間がいくつか、1米ほどの岩壁で支えられて並び、相互を連結するドアで繋がれている。
居間と隣の部屋のドアに消えた老人が、チャイのグラスを載せた銅の盆を片手に、戻ってきた。英語をまったく解さない老人との会話は、私の英語をユーセフがアラビア語で伝えるやりかたで、なんとかなりそうだ。
ユーセフは、教会の牧師に向けた懐かしそうな顔で、老人とアラビア語の挨拶を交わしている。ユーセフがクルド人の住処へ案内すると言ったとき、建築家としての好奇心を激しく掻き立てられた私だった。
イラン・イラク・トルコに連なる山岳地帯に住むクルド族が、紀元前6千年前からこの辺に居住していた先住民の末裔でないかと想像してみたくなってきたのだ。
中国の賢人のような風貌の老人はある種のカリスマ性を感じさせ、ヤズィーディーという宗教がどんなものか知らない私は、人類に共通した原始宗教的なものを想像した。
なにはともあれ、ドラゴンを祀った祠をみせてもらうことにする。私たちは居間から出て、入口と同じ洞穴の奥の方へ案内された。
祠は、突き当たりにある窓の手前のアルコーブにあった。アルコーブの壁に、川を見下ろす窓から届くほのかな光にとぐろを巻くドラゴンの姿が照らされている。
「これはまさに、ヤマタノオロチではないか。自分の目を疑いながら、私は叫んだ。
「ユーセフ! 日本にも、これと同じような祠があるんだよ!」
意気込んだ叫び声に、ユーセフと老人が驚いている。
「ええ? ほんとうですか!」
「日本のドラゴンには8つのアタマがあるんだが、山に巻きついているような姿までがそっくりで、ヤマタノオロチというんだが、。それは、竜か大蛇のような姿をした想像上の動物神なんだ」
「それは、旧約聖書以前の人類社会の自然信仰の神ですよね」
「そうなんだ。モースルでそれに出会うなんて!」
「このキミとの話を、ご老人に伝えてくれないか」
「分かりました。そのあとで、ヤマタノオロチがどんな神なのかを伝えたいので、教えてください」
モースルのクルド族の宗教と古事記の世界とが繋がっていると直感した私は、大いに興奮した。“ヤマタノオロチ”は、毎年のように川上からやって来て、村の美しい娘を食らう大蛇のことだ。
この神話は、毎年の洪水で酷い災難に遭う村人らが、水神の怒りを鎮める生贄に生娘を捧げたことに由来する。
数千年、チグリスの川畔に住みついた人たちもきっと毎年のように襲う洪水に悩まされ、それをなんとかするための生贄を捧げたにちがいないと私は推測した。
ユーセフがその話を告げた老人の顔が、驚愕の表情に変わるのを見て、推測が当たっているのが確認できた。
「まったく、チーフのお話と同じ伝説ですよ!」
ユーセフも、興奮した叫び声で言った。
「ほんとうにビックリだよ。キミは、なんてすばらしい所に連れて来てくれたんだ!」
生贄に子羊を屠る慣わしを共有する世界宗教が現れる以前の人類社会では、自然から受ける災難を鎮めるために、生きた人間を神に捧げたのだ。
こうした風習は地球各地で同時発生したのか、はたまた、ユーラシア大陸の数千年の人間往来の所産なのか。
想像を広げると、ナイル、ガンジス、アマゾン、メコン、黄河などの大河が流れる地には、同種の伝説と水神ドラゴンを祀る祠があるのだろう。
メソポタミアのチグリス・ユーフラテスの洪水といえば、バスラ公園のヤシの木陰のテーブルでユーセフから聞いた、旧約聖書より2千年前に楔形文字で書かれた天地創造と大洪水の神話(5)を思い出した。
今から5千年前に、チグリス・ユーフラティスの河口地帯に住んで、両川の水を利用した灌漑の農耕・牧畜で暮らしたシュメル人の神話である。
古代オリエント学の泰斗・三笠宮崇仁著『文明のあけぼの』に、旧約聖書の「ノアの洪水と箱舟」の記述に一貫性がないのは、シュメルの洪水神話など複数の古い伝説が取り込まれたからとある。
このシュメル神話の大洪水の物語は、その後、メソポタミアに侵入した諸民族に受け継がれて、古バビロニア時代の「ギルガメッシュ叙事詩」にも書かれたのである。*(5)に詳述。
シュメル人の「天地創造神話」に類似したものはグローバルに存在するが、旧約聖書の「創世記」のような唯一神によるものではなく、自然信仰の多神教的な発想で書かれている。
土木技術者ユーセフが、バグダッド郊外の灌漑水路の掘削工事で現場監督をしていたとき、深さ6米の粘土層から見つけた土壷が実家にあるから、モースルから戻ったバグダッドで、イラク旅行の記念として私に進呈するとも言っていた。
チグリス川の護岸工事の現場監督だったユーセフが出会った牧師と老人に会えたことは、この旅の忘れがたいエピソードになるだろう。
そういえば、『アラブと私』の読者だった先輩の田代穣次さん(情報通信国際交流会主宰)から、(5)の記述に関連したお手紙を頂戴したのも、懐かしい思い出となってしまった。
数ヶ月前に急逝された氏の冥福をお祈りして、その一部を掲げさせていただく。(原文ママ)
「……。『アラブと私』にはアラブの歴史文化や現状などを交えてあって面白く、アハラムはどうなるのかと期待が膨らみます。
気象学の歴史に、『ヤンガードリアス・イベント』という1万年前に起きた事件があって、その結果で起きた極寒・乾燥でメソポタミアの肥沃な三日月地帯に農業が起きます。
8千年前にも同様な事件が起きました。「ミニ氷河時代」ですが、このとき地中海の海水が上昇して、マルマラ海よりも下方にあったエウクイセイノス湖が氾濫して黒海が形成されました。この時の大洪水が人々の記憶に残った、という説もあります。
若いときに中東を歩いた松本さんが、羨ましくなります。……」