アラブと私

イラク3千キロの旅(54)

 

                            松 本 文 郎 

 

 

CIAに関しては、イラク3千キロの旅の2年前のテヘランで、言動に注意するように忠告され、モースルの教会でも牧師の話に出たくらいだから、中東の国々で活動しているであろうことへの意識はもっていた。

 それにしても、エコノミック・ヒットマンなる者らが、当時のアラブで活動を開始

していたとは、ほんとうに驚きだった。

 でもいま振り返ってみると、1970年前後の中東での米ソの動きと、本に書かれ

ていることとの辻褄はよく合ってくる。

 イランのモサデク首相の1951年の石油国有化を背後で支えたのはソ連と云わ

れ、20年後に、イラクのバクル大統領が構想していると思われた国有化でも、ソ連

が全面的に協力したのであろう。

 53年のコンソーシアム発足で、中東石油の支配権がイギリスからアメリカへ移っ

て以来、中東石油をめぐって米ソ冷戦が進行していたのである。

 1971年の当時、社会主義のイラクバース党が石油国有化を模索していたとき、

サウジアラビアのファイサル国王の石油政策ビジョンは、「国有化という伝家の宝刀

を抜かせるな」のように思えたと牟田口さんは書いている。

 サウジアラビアはイランと並び、OPECの中で最大の産油国であり、ファイサル

国王の右腕と目されたヤマニ石油相は、資源を握るOPECと開発技術と販売ネット

ワークをもつメジャーとが、食うか食われるかの石油戦争ではなく、二人三脚の関係

を結ぶように奔走し、それを実現した。

 CIAが仕組んだとされるモサディク政権転覆で統治権力を取り戻したイランの

パーレビ国王の石油政策の到達点も、ヤマニ路線の目標と同じと見なされていた。

『エコノミック・ヒットマン』第十四章に、著者のジョン・パーキンスが、メイン社の一つの部署の責任者として、世界各地の調査を総括するように求められたとある。

 1970年代はじめ、国際経済は重大な変化の時を迎えて、1930年代との類似性が論じられ、大恐慌時代のルーズベルト・ニューディール政策のように、ケインズ的アプローチを政府に提唱し、ベトナム戦争における軍事力投入や・資金配分の戦略決定に辣腕をふるったロバート・マクナマラの「攻撃的リーダーシップ」が、政府の上層部や企業幹部たちのモットーとされるようになる。

 それは、一流ビジネススクールでマネジメントを教える際の精神的基盤となり、世界帝国推進の先頭に立つ新しいタイプのCEOたちを生んだ。

 マクナマラは、大企業トップから政府閣僚へ、さらに、世界で最も有力な銀行である世界銀行の総裁に就任し、「権力分離の原則に対する違反」の上に、世界銀行が、かってない大規模な世界帝国のエージェント化の舵取りをした、と断じている。

 彼の経歴は、後に続く人たちが踏襲する前例となる。

 全てが事実なのだが、アメリカの政治・経済を牛耳ってきた人たちの顔ぶれを突きつけられると、この本への筆者の驚きと納得は深まるばかりだ。

 コーポレートクラシーの主要な構成者の間の溝を橋渡ししたマクナマラの能力を継いだ例を記す。

①ジョージ・シュルツ

 ニクソン政権で財務長官・経済諮問委員会委員を務めてベクテル社の社長、レーガン政権では 国務長官に就任。

②カスパー・ワインバーガー

 ベクテル社の副社長・理事からレイガン政権の国務長官に就任。

③リチャード・ヘルムズ

 ジョンソン政権のCIA長官の後に、ニクソン政権では駐イラン大使に。

④リチャード・チェイニー

 ジョージ・H・W・ブッシュ大統領の国防長官を務めてハリバートン社の社長とな

 り、その後、 ジョージ・W・ブッシュ大統領の副大統領に。

⑤ジョージ・H・W・ブッシュ

 ザパタ石油の創業者で、ニクソン・フォードの 両政権の国連大使、フォード政権

 ではCIA長官を務めた。

 こうした連中の世界帝国推進の一隅で仕事した エコノミック・ヒットマンのジョン・パーキンスだったからか、悔恨の念とともに書いた原稿を、本にする勇気ある人はなかなか見つからなかった。 むしろ、強い説得を受けて、執筆を断念した20年の間に、四度、執筆再開を試みたとある。

 1989年の米軍パナマ侵攻、第一次湾岸戦争、ソマリア内乱の泥沼化、オサマ・ビン・ラーディンの台頭などの世界情勢の大激変に触発されたからという。

 

この本を届けてくださった人は、多くの人たちからも敬愛されているが、この種の著作を読まれていたのは、筆者には思いがけないことだった。

 筆者が食道がん手術を受けて4ヶ月の入院を余儀なくされたとき、中島みゆきの歌

の数々を入れたテープを、陣中見舞として病室へ持参してくださったのも氏である。

『エコノミック・ヒットマン』を、同氏がどんな想いで筆者に届けてくださったのか、

いまもって訊ねていないのは、長年の公私両面のお付き合いで、私なりに十分察しが

ついているからだ。

 ロマンを秘めた山男であり、したたかなほどの現実主義者の氏は、ひ弱な理想主義

者を自認する私に、世界を動かしている恐るべき暗部の存在を知らしめて、『アラブ

と私』の著述に、しっかりとしたリアリティをもたせるよう、示唆されたのであろう。

 

ジョン・パーキンスは、執筆再開を試みる度に、脅しや買収に屈して筆をおいたと告白している。

 2003年、この本の原稿が、ある世界的企業傘下の出版社の社長の目にとまる。

彼は、「多くの人に読まれるべき魅力的な話」と言い「フィクションとしてなら、

ジョン・ル・カレやグレアム・グリーンのようなタイプの作家として売り出せる」と提案した。

かけがえのない己の人生をたどった実話なのにだ。

 だがついに、国際的大企業の傘下ではない勇気ある出版社が、彼の人生の真実を語

ることに応じたのである。

 ジョン・パーキンスは、脅しや買収に屈せずに、この本を出そうと決心した心情を

以下のように吐露している。

  この本に書かれているのは、絶対に語らなければならない真実である。私たちは、恐るべき危機の時代に生きている。

  かってEHMとして働いた私がここで語るのは、社会が現状にいたった道のりと、私たちが今日の圧倒的な危機に直面することになった理由である。

  なぜ真実を語らねばならないかといえば、過去の過ちをきちんと理解してこそ、未来を築くことが可能になるからだ。9・11の惨劇が起き、イラクが再び戦火に

 覆われたからだ。

  とりわけて重要な理由は、人類史上初めて、一国家が、世界のすべてを変えうる

富と権力と能力を備えるに至ったという事実である。

  その国とは、私がEHMとして仕えた祖国、アメリカ合衆国である。     

  

 ジョン・パーキンスがEHMになる訓練を受けた1971年に、私は、ユーセフと

彼の祖国イラクを旅をしたのだ。

 教師役の美しく知性的な女性のクローディンは、真剣な顔をして言ったそうだ。

「私の仕事はジョンをエコノミック・ヒットマンに仕立て上げること。あなたがどん

な仕事をしているかは誰に話してもいけません。奥さんにも。一端仲間入りしたら、

一生ぬけられないわよ」

 クローディンは、ジョンが足を踏み入れた裏面の世界での巧みな人間操作で、彼の

弱点を最大限に利用してEHMに仕立てていった。彼女の任務や実行手段は、その組

織の背後にいる人々の巧妙さを示していた。

 彼女がジョンに求めたEHMの仕事は、「世界各国の指導者たちを、アメリカの商業利益を促進する巨大なネットワークにとりこみ、最終的には、それらの指導者たちを負債の罠に絡めとり、忠誠を約束せざるをえなくさせる。そうしておけば、政治的、経済的、軍事的必要が生じたとき、いつでも彼らを利用でき、国民には、工業団地、発電所、空港などを提供することで、元首としての地盤を固めさせる」だった。

『エコノミック・ヒットマン』をジョン・パーキンスが命がけで世に出そうとしたのは、企業・銀行・政府らの集合体(コーポレートクラシー)が世界帝国の建設推進をするなかで、アメリカのエンジニアリング会社や建設会社が膨大な利益を得る巧妙なシステムが暴走した結果を目にしたからだという。

 しかし、コーポレートクラシーのメンバーたちは、共通した価値観と目標をもち、そのシステムを持続・拡大・強化いなければならないのだ。

 コーポレートクラシー・システムの世界各地における恐るべき暴走事例の訳文を、次回、転記させていただく。            

(続く)


添付画像
モハマド・モサデク

2011/12/15 18:19 2011/12/15 18:19
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