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「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―32) 

横山恵子の「第九」  
                     
 
                                        

                              2011
年12月25日()
 

 

 日曜日のクリスマスの朝、佐渡 裕の「題名のない音楽会」を聴く。NTT入社同期の仲間小野文朗さんが、姪御の横山恵子さんが、「第九」のソプラノ・ソリストで出演と知らせてくれていた。恵子さんは、私たちの故郷福山同じ瀬戸内は岡山の出身である。1992年に渡欧し、ドイツを中心にヨーロッパ各地でプッチーニ、ヴェルディー作品を主にタイトル・ロールを唄い、「蝶々夫人」は最多の舞台を踏んでいる。

 日本でのタイトル・ロールデビューは、1996年、東京・大阪での小澤征爾指揮・浅利慶太演出『蝶々夫人』で、「びわこホール・ヴェルディーシリーズ」や、日本初公演の『エジプトのヘレナ』をはじめ、主レパートリーは、『マノン・レスコー』『オテロ』『トウーランドット』『トスカ』『ワリキューレ』『タンホイザー』ほか数多いが、強靭で美しい歌声、高い音楽性と精神性で表現する主役の人物像に、私たちは魅了されてきた。

『ワリキューレ』のブリュンヒルデや『トウーランドット』姫のタイトル・ロールでの

迫真の歌唱は、いまも耳に残っている。

 私たちが敬愛する佐渡 裕と恵子さんが共演する「第九」を聴き逃すはずもなかった。

佐渡さんは、東日本大震災後間もない3月25日のドイツでも被災者への鎮魂の「第九」を指揮したが、「題名のない音楽会」の『第九』(東京フィルハーモニー・晋友会合唱団、東京オペラシティーホール)は圧倒的で、恵子さんの歌唱も見事だった。

 美しいグリーン色調のドレスと金髪ヘアーのいでたちは、天性の声を響かせる大柄な体躯にピッタリで、選抜きのソリストのなかで一際、私たちの耳目を奪った。

「第九」といえば、23日、『第12回IKSPIARI 第九』のリハーサルがあった。

私にとっての「第九」は、19年前、食道がん手術で再びのいのちを与えられた歓びで参加した「浦安市民第九」以来の縁で、「市民第九」がなくなってからは、ディズニーリゾート・イクピアリの恒例年中行事となった『第九』で唄ってきた。 

 第2回以降の合唱指導者古澤利人さんの名は、ドイツ語の“LICHT″(光)に因むとされる。詩人シラーの人類平和を神に祈る『歓喜に寄す』に魅了されたベートーベンが、30余年を費やした不朽の曲の深い意味を、公募合唱団員(今回164名は過去最多)がしっかり理解して唄うことを求め、第2回からずっと、精魂込めて指導されてきた。ちなみに、第1回の指導者は、わが浦安男声合唱団の現在の常任指揮者仁階堂 孝で、12回全ての練習ピアニストだった若山圭以子さん(わが浦男のマドンナピアニスト)が、3年前の”浦男“指揮者交代の際に推挙した、国内外で活躍する気鋭の指揮者。

 紛争や戦争がつづく人類社会を憂いたシラーが、創造主の存在を信じて書いた詩の

一節“抱き合え、幾百万の人びとよ!”は、226年経た今も、私たちのこころを強く揺さぶるのである。

 佐渡 裕は、さだまさしと共演した「さど・まさしコンサート」(阪神淡路大震災記念ホール)でも、災害や戦争に苦悩する人びとに届く“音楽の力”について語り合ったが、佐渡に師事した柳澤寿男は、長い民族対立の歴史の果てに独立したバルカンのコソボで、対立するアルバニア・セルビア人の音楽家による「戦場に、音楽の架け橋を」の演奏会実現の活動などで、2007年の「世界が尊敬する100人の日本人」に選ばれた。

 12回目の『IKSPIARI第九』を、“世界の人びとに届け”と熱唱したく想う。


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2011/12/29 17:24 2011/12/29 17:24
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