「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―33)
邦楽演奏会と私 2011年12月27日(月)
年の瀬の迫るなか、500号記念「邦楽の友メールマガジン@コンサート」を紀尾井
小ホールで聴いた。第1部「日本舞踊と邦楽演奏」と第2部「清元浄瑠璃と唄物の共演」の4時間余の長い舞台鑑賞は、「若鶴会」主宰若宮千世鶴こと吉井優子さんのご招待。
浦安・高洲の特別養護老人ホーム「愛光園」の訪問ボランティアの「江戸の華」に、黒一点で加ったご縁で始めた端唄の師匠である。
第1部で端唄「薄墨」「文弥くずし」の三味線を若宮千世鶴の名で弾かれた。唄の若宮千世佳奈の「薄墨」の出だしにトップバッターの硬さを感じたが、「文弥くずし」では、伸びやかなよい歌唱となり、「江戸の華」の訪問演奏会で唄ってみたくなった。
第2部では長唄「巽八景」の三味線を、タテ杵屋栄富次・ワキ吉井優子で弾かれたが、
よく息の合った演奏だった。唄の男性はかなりよくうたわれたが、どこか清元のような感じを受けた。持ち前の声のよさに芯(強靭さ)が加わればとは、所詮、素人の感想である。この方は、小唄二題の「宵の謎」「すっぽかし」を春日豊花遊の名で唄われたが、バイブレーションのある声もぴったしで、長年のお座敷“修行?”の費用も少なくなかろうと拝察した。
端唄「紀伊の国」を達者に踊った若柳勒芳は、生田流筝曲「恋心三題 乱れ髪・また君に恋してる・夢一夜」でも、恋する女の情念の様ざまを、見事な振り付けで表現した。
杵屋正邦作曲の現代邦楽「去来」の三味線を弾いた竹内恵子さん、山田流筝曲「四季の曲」(八橋検校 作曲)の山本七重さんは、それぞれの美しい三味線と唄の音色で見事な演奏をされ、たいへん魅力的だった。
山田流筝曲といえば、原田東龍作曲の『早春浅間山』は、拙詩を気に入られて一気に曲を書き下ろされたという男声合唱付き14分の作品だが、筝・十六弦・尺八の合奏と浦安男声有志が共演した、「芝abcホール」での初演が懐かしい。
そのほかの出演者には、いわゆる、“ダンナ芸”や“お嬢さん芸”と感じられるものもあったが、ご自身が楽しまれたり、一生懸命だったりする様子をほほ笑ましく拝見した。
春日の「小唄」を2年ばかり、吉住の「長唄」を20年ほど稽古した20数年前に、
伝統芸能「邦楽」の世界に足を踏み入れる人の減少は著しかった。小唄好きの上司命令で始めたものの稽古が続かない会社員や、高齢女性のお弟子さんがお嬢さんやお孫さん
を引き込むなどの、あれこれを見てきた。
第1部トリの清元「花がたみ」は、それなりの演奏でも鼓の響きがも一つだったが、
第2部トリの清元「申 酉」は、なかなかの演奏だった。三味線の清元紫葉は、両方の部の出ずっぱりで、邦楽界ナンバーワンと称せられる美貌と毅然とした弾き姿に見とれていた。そういえば、吉住家元の奥方も、たいへん魅力的な美人だった。
この演奏会に先立ち、第3回端唄「若鶴会」が師匠宅に近い「舞浜ビースティーレ」
で開かれた。新入りの私はトップバッターで『京の四季』を、中ほどで、『えんかいな』
『潮来節』を師匠の三味線で唄った。いろいろなイベントも開かれるレストランが会場で、兄弟子の野口さんが設えた緋毛氈の舞台を、「愛好園」訪問の「歌の花束」の仲間や
知人、妻らに聴いてもらった。
昼間の住宅地に鳴った邦楽の音は、近所住民の耳にどのように響いたのだろうか。