アラブと私
イラク3千キロの旅(55)
松 本 文 郎
モースルの街でユーセフが案内したキリスト教会(アッシリア東方教会)の牧師とクルド民族の宗教ヤズィーデーの老人信者との出会いの場面の記述から、イラクの石油をめぐる欧米のしたたかな介入の歴史、さらに、米国の世界戦略を推進するコーポレートクラシーの驚くべき活動の実態について言及した。
モースルの場面に戻る前に、前回末尾で予告したように、『エコノミック・ヒットマン』(EHM)に書かれているコーポレートシステムの暴走事例を採録しておこう。(古草秀子訳)
現在私たちは、このシステムが暴走した結果を目の当たりにしている。アメリカの立派な大企業は、アジア各地の低賃金長期労働時間の搾取工場で人々を奴隷のように酷使している。
石油会社は理不尽にも熱帯雨林の河川に有毒物質を垂れ流して人間や動植物を死に至らしめ、古代からつづいてきた先住民族の文化を破壊している。
製薬会社はHIVウイルスに感染したアフリカの数百万もの人々に生命をつなぐ薬剤を与えようとしない。
さらには、わがアメリカ国内でも、二百万世帯もがつぎの食事を心配する生活を送っている。
エネルギー産業はエンロン事件を生み出し、会計監査業界はアンダーセンを生み出した。
世界の全人口のうち、もっとも裕福な国々に住む上位五分の一の層と、もっとも貧しい国々に住む下位五分の一の層との所得を比較すると、一九六○年には三○対一だったが、一九九五年には七四対一にまで格差が広がった。
アメリカはイラク戦争に八七○億ドル費やしたが、その半分以下の金額でこの地球上の全人類に清浄な水と十分な食料と公衆衛生設備を与え、必要最低限の教育を施すことができると、国連は見積もっている。
元EHMジョン・パーキンスの記述は続く。
ところで、私たちがテロリストに攻撃されるのはなぜだろう?
陰謀を企むテロ組織があるせいだと答える人もあるだろう。そんな単純な問題であったら、どんなにいいだろう。
陰謀に加わる者たちを見つけ出して、正義の裁きを受けさせればいい。
だが、惨劇がくりかえされるシステムに原動力を与えているのは、それよりもはるかに危険なものなのだ。
根元的問題は一部の集団にあるのではなく、あたかも絶対的真実のように受け入れられている認識にある。
つまり、すべての経済的成長は人間にとって利益であり、成長が大きければ大きいほど利益は拡大するという考えである。
そう信じるかぎり、経済成長の焚き火をたくのがうまい人々が賞賛されたり報酬を獲得したりする一方で、主流からはずれた場所に生まれた人々は、搾取されるために存在するという、必然的な結果がもたらされる。
いうまでもなく、この考え方は誤りだ。
ご承知のように、多くの国々で、経済成長はほんの一部の人々にだけ恩恵をもたらし、残りの大多数の人々はますます絶望的な状況に置かれる結果になっているといえよう。
しかもそれは、システムを牛耳る産業界の大物は特権を享受するべきであるという必然的な確信によって強化されており、その確信は現代の私たちが抱えている多くの問題の根本原因であり、しかもおそらくは、陰謀説が広く人口に膾炙している理由だろう。
強欲な人々が報酬を得るとき、強欲は腐敗をもたらす。
地球の資源を貪るように消費することを聖人であることと同一視するとき、バランスのとれていない人生を送る人々をまねるよう子どもたちに教えるとき、そして、大多数の人々は少数のエリートに従属していると定義するとき、私たちは自ら困難を求めている。
今日の私たちは、まさにそんな状況だ。
コーポレートクラシーは、経済的・政治的な力を利用して、教育や産業界やメディアがこの誤った認識と必然的結果の両方を支持するよう努める。
その結果として、現代人の文化は際限なくどん欲に燃料を消費する巨大機械と化したかのごとき状態にまで陥ってしまい、行き着く先といえば、目につくものすべて消費して最後には自分自身を呑みこむしかなくなってしまうだろう。
コーポレートクラシーは陰謀団ではないが、そのメンバーたちは共通の価値観と目標をもっている。
コーポレートクラシーの最も重要な機能のひとつは、現状のシステムを永続させ、常に拡大し強化することである。
「成功者」の暮らしや、豪華なマンションや自家用ジェット機といった彼らを飾る品々は、「消費、消費、消費」と私たちを駆りたてるためのモデルとして示されている。
物を買うのは私たち市民の義務であり、地球の資源を略奪することは経済にとって良いことであり、自分たちの利益になるのだと、なにかにつけて私たちは思いこまされている。
かっての私のように、EHMは法外な給料を与えられて、システムの思いのままに操られている。
EHMが失敗すれば、さらに邪悪なヒットマンであるジャヵルの出番となる。ジャッカルも失敗すれば、軍隊が出動する。
それにしても、ジョン・パーキンスが命がけで、著書『エコノミック・ヒットマン』を世に問うた勇気には、脱帽である。
脅しや買収に何度も屈して執筆を中断したそうだが、九・一一の惨劇が起きて、イラクが再び戦火に覆われたことで、真実を語り、過去の過ちをきちんと伝えなければ、祖国・アメリカ合衆国と人類の未来は築けないと決意したようだ。
彼がEHMの一員だったころ所属した集団は比較的小さかったそうだが、二○○四年現在では、同じような仕事をしている人間はもっとたくさんいるという。
EHMよりもっと婉曲な肩書きで、モンサント、ゼネラルエレクトリック、ナイキ、ゼネラルモーターズ、ウォルマートなどをはじめ、世界中のほとんどの大企業の廊下を闊歩しているそうだ。
『エコノミック・ヒットマン』に書かれているのは、パーキンスの話であると同時に、彼らの話でもあるということだ。
そしてまた、私たちが生きている現代社会の話、史上初の<世界帝国>の話だという。
彼の言葉をつづけよう。
歴史に鑑みれば、現状の筋書きを変えないかぎり、いずれは悲劇的な結末を迎えるしかない。
歴史上、帝国はことごとく崩壊してきた。互いにより多くの支配権を争って、多くの文化を破壊し、自らも滅びの道をたどった。
他者を搾取することによって繁栄を長く謳歌した国家や国家連合は、存在したためしがないのだ。
この本を書いたのは、私たちが問題意識を持ち、現状を変化させるのに少しでも役立てばと願ったからだ。
世界の資源を強欲に奪いあい、奴隷制度を促進しているシステムを生み出している経済優先社会に、自分たちがどれほど搾取されているのかを多くの人々が知れば、だれもそんな社会を容認しなくなると私は確信している。
ごく一部が豊かさを享受する一方で大半の人々は貧困や汚染や暴力に圧倒されている世界で、自分がどんな役割を果たしているのか、私たちはあらためて考えるだろう。
そして、すべての人のための思いやりや民主主義や社会正義へと向う道を進もうと自分に誓うだろう。
問題の存在を認めることは、解決法を見つけるための第一歩だ。罪の告白は、贖罪のはじまりである。
どうかこの本を、私たちの罪と罰からの救済のはじまりとして役立たせてほしい。
ひとりでも多くの人々が、あらたな献身へと導かれ、誰もが理想とするバランスのとれた誇るべき社会を実現する方向に向ってくれることを願っている。