アラブと私
イラク3千キロの旅(57)
松 本 文 郎
アンドリュー・ワイエス(1917-2009)
2人が入った部屋は狭くて窓がなく、明りは、片隅の低いテーブルに置かれたオイル
ランプだけだった。
暗さに目がなれると、土間にペルシャ絨毯が敷かれているのが見え、声の男の姿が、
ぼんやり浮かんできた。パーキンスの連れにドクと呼ばれる男は車椅子に座り、数枚の
毛布にくるまっていた。
室内には、テーブル以外の家具はなにもない。
連れは、男に近づいて静かに抱擁し、耳元で二言三言囁き、パーキンスの側へきて
絨毯に座った。
「先日お話したミスター・パーキンスです。こうして一緒にお目にかかることができて光栄です」
「ミスター・パーキンス、歓迎するよ」
男の声は低くしゃがれていて、特徴的なアクセントはほとんどない。狭い室内なのに
身を乗り出すようにして耳を傾けるパーキンスに、男は語った。
「君の前にいるのは廃人だ。だが、最初から、こんなだったわけではない。昔は、今の
君のように元気だった。私は、国王の信頼篤い側近だった」
そこで長い沈黙があった。
「シャー・オブ・シャー、王のなかの王、だ」
彼の口調には、怒りよりも悲しみが色濃く感じられた。
「世界の指導者たちとも親しくつきあったよ。アイゼンハワー、ニクソン、ドゴール。
彼らは私がこの国を資本主義に導く手助けをする人間と信頼していた。国王も私を信頼
していた」
そこで男は咳きこんだようだったが、私には笑い声に聞えた。
「私は国王を信じていた。彼が雄弁に語る言葉を信じたのだ。イランはイスラム世界を
新時代に導き、ペルシャ帝国の理想を実現するにちがいないと。それこそが私たちの使
命―国王の使命であり私の使命でもあると。この使命に携わるものはすべて、理想を実
現するためにこの世に生まれてきたのだと」
毛布のかたまりが動いて、車椅子が軋みながらやや向きを変えると、男の横顔が目に
映った。のび放題の髭、そして妙にのっぺりした輪郭、男の鼻はそぎ落とされていた!
パーキンスは、身震いし、思わず声を上げそうになった。
パーキンスが、砂漠のはずれの泥の小屋に隠れ住む男と対面させられたシーンの描写
があまりにも真に迫っていたので、つい原文の長い引用となったが、後は、要約(文責筆者)させてもらうことにする。
ドクの話のつづきは、驚くべき内容だった。
イラン国王と信頼関係にあったドクがなぜ、鼻をそがれるような残虐な刑罰を受けた
かは語られず、公的に抹殺された人間のことを詮索するのはやめるのが賢明だ、と忠告された。
ドクの正体を知ればパーキンスと家族にまで、国王と秘密警察の追及の手が遠くまで
届くという。
国王の父親がナチの協力者としてCIAの手で退位せられた白色革命のとき、ドクはその手助けをしたが、モサデクの悲運が生じたのを悔いているようだった。
国王の側近として、イランの新時代を導くことを信じていたドクの目に、アメリカの石油会社との腐敗した関係で資本主義的経済成長を進める国王が、その利益を一握りの実業家たちに得させているのが、悪魔の姿に見えたという。
パーキンスが、ドクの言葉を疑いはしないがイランを四度訪れて会った人たちはみな、国王を愛し、経済成長を評価していたと言うと、連れの男が、パーキンスが国王のために働いて利益を得ているアメリカや英国で教育を受けた人間からしか話を聞いていないからだと云う。
対面のために掻き集めたなけなしのエネルギーを消耗しつくしたかのようにしわがれた声のドクは、話をつづけた。
「アメリカのマスコミも、国王と親しい取りまき連中としか話さないし、広告主の石油会社にコントロールされ、都合のいい話しか聞きたがらない。私たちがミスター・パーキンスにこんな話をするのは、イランから手を引くことをメイン社に説得してほしいからだ。君たちは、この国で大儲けができると考えているのだろうが、それは幻想だ。
今の政権は遠からず破滅する。そのとき取って代わるのは、君たちとはまったく相容れない人々だ」
連れの男が、パーキンスの耳元でささやいた。
「ドクは、宗教指導者たちととても親しいのです。この国の数ある宗教派閥の根底には共通する大きな流れがあって、ほぼ全土に広がっています」
ドクの言葉がつづく。
「国王はこの先長くは安泰ではいられまい。イスラム世界は腐敗した彼を憎悪している。アラブ人だけでなくインドネシアやアメリカなど世界中のイスラム教徒たち、とりわけこの国のイラン人たちがね!」
ドクが急に咳きこんだので、連れがそばに行って背中をさすった。咳が収まったドクにペルシャ語で話しかけてから、パーキンスの隣に戻った。
「対面はここまでにしよう。あなた方は利益を得られない。仕事をすべてやり終えて、さあ代金を回収しようとしたときには、国王はいなくなっている」
テヘランへ戻る車中でパーキンスは、なぜドクがメイン社の経済的破綻を予言したのかと尋ねた。
「あなたの会社が破綻するのはむしろうれしいことだが、イランから去ってくれるほうがもっとうれしいのです。この国で大虐殺など起ってほしくはないが、国王は倒さなければならないし、そのためには何だってやる。手遅れにならないうちに、ここから立ち去るよう、上司を説得してくださることを、アラーの神に祈っています」
「どうして、私が……」
「この前の晩に食事を共にして、『砂漠に花を咲かせよう』プロジェクトの話をしたとき、あなたが事実を見つめる人間だと判ったからです。あなたが、二つの世界の中間にいるどっちつかずの人だという、私たちが得た情報は間違ってなかった」
パーキンスは、彼らがどれほど自分のことを知っているのだろうか、と思った。
イラク石油の開発発祥の地モースルを訪問している記述の最中に、この長期連載『アラブと私』の最初からの読者で、貴重な感想や示唆をいただいていた田代譲次さんが急逝されたので、追悼の意をこめた文章を(52)回の末尾に書いた。
古代世界や中東の歴史に深い関心を寄せていた氏への想いの弾みで、「事実は小説より奇なり」を地でゆく『エコノミック・ヒット・マン』までもが飛び出し、すでに3回分を書いた。
田代さんから羨まれたような体験をした1969年のテヘラン出張、1970年代前半のアラブ在勤のころすでに、エコノミック・ヒット・マンらがこれらの地で活動していたことを、40余年後の今まじめて知ったからである。
イスラム原理主義的な体制下でのイランの核開発が、イスラエルを筆頭に欧米各国の喫緊の脅威となっている現実を重ねてもいる。
パーキンスが露わにした、アメリカの世界帝国構築の複雑な仕組み(コーポレイト・クラシー・システム)がいまも脈々と活動していると感じるのは、思い過ごしだろうか。
そろそろ、1971年のモースルに戻りたいが、CIAが操っていた国王シャーハンシャー政権の末路を、パーキンスの本から要約しておきたい。
1978年(第一次オイルショック・筆者注)のとある日の夕暮れ、パーキンスは、テヘラン・インターコンチネンタル・ホテルのロビーの豪華なバーで、、ビジネススーツの大柄なイラン人に肩を叩かれた。
「ジョンじゃないか! 僕を忘れたのかい?」
パーキンスの大学生時代の親友ファルハドとは10年以上も会っていなかった。
肩を抱き合って再会を喜んだ2人が、腰を下ろして話しはじめると、ファルハドが、パーキンスのその後のことをすべて知っているのがすぐ分かったが、ファルハド自身と仕事のことを話すつもりのないことも、ちゃんと分かった。
「で、率直にいうと、明日、両親が住むローマへ行く予定だけど、1枚余分の航空券を持っている。イランは大変なことになるようだから、君も出国するのがいいと思うんだ」