アラブと私
イラク3千キロの旅(61)
松 本 文 郎
ポーラに勧められて目を通したスペイン語版の履歴書は、驚くべき内容だった。
コロンビアからボストン本社に戻って、英語のオリジナル版と企業誌「メインラインズ」掲載の「スペシャリストがメイン社の顧客に新サービスを提供する」を読むうち、しだいに怒りがこみ上げ、裏切られた気持ちがしてきた。
書かれているのは真っ赤なウソではなかったが、意図的なごまかしがあり、グローバル化の時代に、世界帝国構築に添う活動をめざすメイン社の意図が隠されていた。
生き方についてポーラから指摘を受ける以前のパーキンスは、履歴書と記事に誇りさえ感じていたが、うわべを取り繕ってもっともらしく拵えられた彼の人生を象徴する書類に思えてきた。
履歴書にも女性記者のインタビュー記事にも、明白なウソは書かれていないが、公式文書を重視する社会では見破れないような、歪曲や改ざんがあった。
社会的に認知されているのは、多くの企業・国際金融機関・各国政府の信頼を得ているメイン社によって作成されているからだ。
それらは、学位証書や医師・弁護士のオフィスに飾る資格証明書と同じ信頼性のあかしであり、彼が有能なエコノミストで著名なコンサルタント会社の責任ある地位に就いて、世界をより文明化された豊かな場所にするために、各地を飛び回って広範囲な調査をしている人間であることを示していた。
しかし、NSA(国家安全保障局)にスカウトされたことや、軍とのつながりやNSAの連絡係としての役割については、なんの記載もなかった。
驚くほど数字を膨らませた経済成長予測を作成するよう強い圧力をかけられたこと、仕事の主要部分は、インドネシアやパナマのような国が返済不可能な借金をすることだという事実については、一言もふれられていない。
なにより理解に苦しんだのは、「米国財務省、サウジアラビア王国」という取引先リストの最後の一行だという。
これを見た大部分の人には、この記載に特別の意味があるとは思いもよらぬことだろうが、彼が仕事をしていた世界の権力中枢部の少数グループの人間に、世界を変化させる大規模なビジネスを巧妙に仕掛けながら、決して世間の表には登場しないチームの一員と理解させるためだった。
アメリカに継続的な石油供給を保証し、サウド王家の支配権維持を約束し、オサマ・ビン・ラディンへの資金提供や、ウガンダ元大統領イディ・アミンのような国際的犯罪者の身の安全の確保を助ける契約が結ばれる手助けをパーキンスがしてきたことは、並みの洞察力では分からない。
インタビュー記事の「スペシャリストがメイン社の顧客に新サービスを提供する」締めくくりに記者が書いた次の文章は、彼の神経を逆なでした。
「チーフエコノミストのパーキンスは仕事のできる人間で、経済・地域計画部門が急速に発展する中で、部下の一人ひとりがそのスピードに対応できるスペシャリストであるのは幸運なことと感じている。デスクの向こうから私に話しかけているときも、部下の仕事ぶりに目配りし、彼らを助けているのは見事だった」
パーキンスは、自分が本物のエコノミストだとは思ってもいなかったと言う。
ボストン大学・経営学部で学士号(マーケティング専門領域)を得た彼のチーフエコノミストと経済・地域計画部門の責任者の地位は、経済学やプランニングの能力ではなく、ミドルバリー大学でアメリカ文学を専攻した文章力、上司や顧客に合わせた内容の調査研究を提供する姿勢、他人を納得させる天性の洞察力の成果だと、自己分析している。
賢明な彼は修士・博士号をもつ優秀な部下を雇用し、彼の仕事の専門事項をよく知るスタッフを抱えていたから、メインラインズの記事は当然なことではあった。
パーキンスは、訓練した部下をEMHの仲間に引き入れ、豪華なホテルで眠り、高級レストランで食事し、財産を築く一方で、世界の貧しい国々で貧富の格差や飢餓に苦しむ人びとを増やしつづけている罪の意識を感じはじめていた。
世界情勢は変化し、わずか10年の間に、コーポレイト・クラシーはいっそう邪悪に進化していた。
部下らは、パーキンスが体験したNSAのウソ発見器やクローディンからうけた訓練とは無縁で、世界帝国の使命を追行するよう期待されていると口にする者はなく、エコノミック・ヒット・マンという言葉も知らず、一生抜けられないとクギをさされることもなかった。
パーキンスの仕事の仕方とアメ(報酬)とムチ(罰則)を学んだ彼らは、パーキンスが望むように調査・報告すればよく、給料・ボーナスや職にありつけるかどうか、すべて彼の意のままだった。
進化したコーポレイト・クラシー・システムは、CIA・ジャッカル・軍隊を背景にした国家統治者の誘惑や強制から、はるかに巧妙でソフトな洗脳へと変容していた。
ボストン本社のパーキンスの部屋の外にデスクを並べ、世界帝国の拡大のために世界を飛び回る部下たちを、クローディンがしたように育てあげたが、彼らが表舞台に出ることはないのだ。
ポーラに履歴書の話を聞かされたせいで、彼はパンドラの箱を開けてしまい、毎夜、夜中に目覚めては思い悩むようになった。
意図的に部下たちを騙すことで彼らを良心の呵責から守っている自負はあったが、モラルの問題で葛藤を抱える必要のない部下たちの単純さが羨ましくもあった。
彼は、ビジネスにおける誠実さや、外見と現実についていろいろ考えた。
人間は古今東西を問わず互いに騙しあってきたではないか。伝説や民話には、ゆがめられた事実や不正直な取引の話がたくさんある。客を騙す絨毯売り、法外な金利をとる高利貸し、王様だけにしか見えない服を作ったとウソをつく仕立屋。
世の中は今も昔もこんなもので、メイン社が作成したパーキンスの履歴書とその背後の現実とは、人間の習性を映しているだけと片づけたかったが、そうはいかないと、心の奥では分かっていた。
コーポレイト・クラシーの欺瞞はすでに新段階に達し、直ちに大きな変化を起こさないと、道徳的どころでなく、人間社会そのものが崩壊してしまう。
チーフエコノミストで経済・地域計画部門の責任者の肩書は、絨毯商人の単純なウソとはちがい、買い手が用心すれば済むものではないと気づいたのである。
それは疑いを知らない顧客を欺くような単純なことではなく、歴史上に類を見ないほど巧妙かつ効率的に世界帝国の構築をめざす、邪悪きわまるシステムにパーキンスは関わってきたのだ。
金融アナリスト、社会学者、エコノミスト、計量経済学者、潜在価格専門家などの部下の肩書は、どれひとつ、彼らがEHMであるとは示していなかったし、世界帝国の利益のために働いていると仄めかしてはいなかった。
国際的な大企業はどこも独自に、EHMのような存在をかかえ、そうした状況はすでに進展し、世界中をめぐっていた。
皮のジャケットを脱いだ工作員は、ビジネス・スーツで身だしなみを整え、あらゆる大陸のそこかしこへ入りこみ、腐敗した政治家が自国に借金の足かせをかけ、貧困に苦しむ人びとを搾取工場の組み立てラインへ身売りするように促す。
履歴書や広報記事の文字の裏側は、モラル的におぞましいだけでなく、最終的には自滅を免れぬシステムに部下と共に縛りつけられていることを暗示していると、パーキンスは不安でたまらなくなったという。
メイン社を辞めるべきかどうか迷っていたとき、ポーラが履歴書を見たかと聞いたのは、公式文書の字句にはなにひとつ後ろめたいことが書かれていないから、今までのことはすべて忘れて生きることを勧めたのだと、筆者は読み取っていた。
だが、パーキンスは安易な道を選ぶのを躊躇い、ポーラが、これらの文書の行間に隠された意味を彼に読ませることで、パーキンスを人生の分れ道へ導いてくれたと感じたようだ。
(続く)