アラブと私
イラク3千キロの旅(62)
松 本 文 郎
パーキンスが、自分のやっていることに最初に不安を抱きはじめたのは、私たちが「イラク3千キロの旅」をしていた1971年頃のようである。
パナマ・ホテルでグレアム・グリーンに出会う6年前のことだ。
メイン社とインドネシア政府、アジア開発銀行、USAID(米国国際開発庁)の契約書にあった基本計画でカバーされる地域調査の任務をパーキンスが命じられ、各地を訪ね歩いたときである。
地元企業の重役や政治家に会って、経済成長について意見に耳を傾けたが、まるで、彼の訪問を恐れているかのようで、積極的に情報を語ろうとせず、なにかすると上司や役所・ジャカルタの本社に確認しなければ回答できないと言われた。
彼に対して、裏で共同戦線をはっているようで、どことなく、ちぐはぐさを感じていた。
地方への調査出張は二、三日の短いものだった。
その合間にバンドンのウイスマに戻ったが、そのオフィスを管理する女性の息子ラシーを知る。地元の大学で経済を専攻していた彼は、すぐに、パーキンスの仕事に興味をもち、インドネシア語を彼に教えはじめた。
数多くの島々からなるインドネシアでは、350以上もの言語と各地域の方言が話されており、異なる文化をもつ人びとを統一するため、公用語は、マレー語をもとにしたインドネシア語が使われるようになっていた。
ユーモア感覚を持つすばらしい教師ラシーは、「あなたが知らないインドネシアを見せてあげるよ」と、彼のスクーターで町に連れ出して、いろいろな人に会わせてくれた。
ある夜のこと、小さな喫茶店に集まっている若者のグループに紹介される。
ラシーと友人たちはパーキンスを仲間のように扱ってくれ、一緒に食事し、音楽を聴き、クローヴシガレットなど彼らの生活に染み込んだ香りのなかで、冗談をかわして笑いあい、そのころ味わったことのない幸せを感じた。
それは、彼の履歴書に書かれていないエクアドルの平和部隊の生活を再現しているようだった。
パーキンスは自分がどうしてこんな人たちから離れて、世界中をわが物顔のファーストクラスで旅する人生を選んだのか、訝しく思えてきた。
夜が更けるにつれてますます打ち解けた彼らに、インドネシアをどう思っているか、アメリカがベトナムで戦っているのをどう思うかと訊ねた。
彼らは口々に「非合法な侵略」に恐怖を感じると訴え、パーキンスも同じ意見と知って、ホッとしたようだった。
このラシーとの体験がメイン社のチームとは別行動をしたいという気持ちにさせた後日の晩、「ダラン(人形遣い)を見に行こうよ。インドネシア名物の人形芝居なんだ。今晩、町で盛大なのがあるから」
ラシーは、いかにもインドネシア人らしい笑顔で誘った。
スクーターの後部座席に乗り、オランダ植民地時代の堂々たる建物やオフィスビルは姿を消し、庶民が暮らす昔ながらの粗末な小屋が密集する「カンポン」とよばれる地区を抜けて進んだ。
住民たちは貧しく見えたが、身に纏うろうけつ染めのサロン、色鮮やかなブラウス、ツバの広い麦わら帽子は着古されているが清潔で、行く先々で笑顔の歓迎を受けた。
スクーターを停めると子供たちが走り寄ってきて、パーキンスのジーンズの生地に触った。
近くの街頭劇場へ行くと、数百人の人たちが集まっていた。立って居る者やポータブルの椅子に座っている者がいた。
バンドンで最も古い地区中心部だが、街灯がないので澄みきった夜空に無数の星が輝いていた。
少しの間いなくなったラシーが、すぐに、先日喫茶店で会った若者たちを連れて戻ってきて、 温かい紅茶とケーキや、一口大の肉の串焼きにピーナツオイルで味付けしたサティが差し出した。
音楽がはじまると、さまざまな伝統的な打楽器で合奏するガムランの魅惑的な音色が寺院の鐘を連想させるのだった。
「ダランは、音楽も全部ひとりでやるんだ。何体もの人形を操って、セリフはいくつもの言葉を使い分けるから、ボクらが通訳するよ」と、ラシーが小声で説明した。
人形芝居は、古典的な物語と現代の出来事とを組み合わせたもので、実にすばらしい。
「ラーマーヤナ」から題材をとった古典の物語が終わると、リチャード・ニクソンの人形が登場。ひどく長い鼻とたるんだ頬のニクソンは、星条旗模様の山高帽にエンビ服というアンクル・サムの恰好だ。
背後に中東と極東の地図が現れ、国名が、それぞれの位置に留め金でぶら下げられている。
つかつかと地図に近づいたニクソンは、ベトナムを外して自分の口に押しこもうとした。
「おお苦い! ばかばかしい! こんなものは、もういらん」といったようなことを叫び、それを三つ揃いのスーツを着た従者人形がもつバケツに投げこみ、つぎつぎの国をつかんでは、同じ動作をくりかえした。
だが、つぎに彼が選んだのは、ドミノ効果が懸念される東南アジア諸国ではなく、パレスチナ、クウエート、サアウジアラビア、イラク、シリア、そしてイランだった。
それらの国名をバケツに放りこむ度、ニクソン人形は「イスラム教徒の犬」「ムハンマドの怪物」「イスラムの悪魔」と、罵りの言葉を叫んだ。
バケツに投げこまれる国が増えるにつれ、群衆は激しく興奮し、辺りには、笑いと衝撃と怒りとが混然としているようだった。
パーキンスは、怒りの矛先が自分に向けられはしないかと恐ろしくなり、ラシーが通訳してくれたニクソンのセリフに、いたたまれない気持ちになる。
「これも世界銀行にくれてやろう。さあて、インドネシアからは、どれくらいの金が搾り取れるだろう」
ニクソン人形が、インドネシアを地図から外してバケツに投げこもうとした瞬間、物陰から別の人形が飛び出した。その人形は、カーキ色のスラックス姿のインドネシア男性で、シャツには名前がはっきり書かれていた。
バンドンの人気政治家だとラシーが教えた男は、ニクソンとバケツをもつ男の間に立ちはだかって、「やめろ! インドネシアは独立国家だ!」と、握り拳を高くかざして叫んだ。
バケツ男が別の手にもっていた星条旗を槍のように使ってその政治家を刺した。
バンドンの政治家は大きくよろめき、倒れこんで死んでしまった。
観客はてんでに不満や非難の声をはっしながら、拳を振りまわした。
「ぼくはここにいられない」とラシーに云うと、「大丈夫さ。誰もあなた個人を憎んでいるわけじゃないから」といいながら、パーキンスの肩を抱いた。
それから行った喫茶店で、ラシーと友人たちは、今晩の芝居でニクソンと世界銀行を風刺する寸劇をやるとは知らなかったといった。
「インドネシア人は政治にすごく関心を持っているんだ。アメリカ人はああいう劇を見に行かないの?」隣に座っていた若者がきいた。
テーブルの向かい側にいた大学で英語を専攻しているという美人の学生が、
「あなたが関わっているアジア開発銀行や米国国際開発庁でも同じなんじゃないの?」
「今晩の劇と似たりよったりでしょ? アメリカ政府はインドネシアもどこもかしこも、みんな搾取しようとしているんだわ」
別の女学生が付け加えた。
「石油を全部手に入れてから、放り出すんだわ」
そこまで言われたパーキンスは、抗議したいと思ったものの、言葉にならなかった。
欧米人が足を踏みこないこんな場所まできて、反米劇を最後まで見た事実は評価されてしかるべきとも思った。インドネシア語を習い、彼らの文化を知りたがっているのは、調査チームでは彼だけだと知ってほしかった。
だが、それを口にするのは憚れたので、あの劇でベトナムのほかはイスラム教の国ばかり選んだのはなぜだろうか、と訊ねてみた。
英語専攻の女学生が笑い声を立てた。「だって、そういう計画だもの」
「ベトナムは足がかりにすぎない。ナチスにとってのオランダみたいなもの、ただの踏み台だと男子学生が口を挟み、女子学生がつづけた。
「ほんとうのターゲットは、イスラム世界なのよ」
(続く)