アラブと私
イラク3千キロの旅(68)
松 本 文 郎
連日、百人を超す一般の人々が殺され、多くの避難民がトルコ国境に殺到しているアサド政権の末期的なシリア情勢から眼が離せないが、「横道にも限度があるから、早くモースルの場面に戻りなさいよ」との妻の忠告に従い、1971年にタイムスリップしよう。
たびたびの道草で旅の道筋が分かりにくいとの読者の苦言に応えた要約が、(15)(30)にあるので、再読してくだされば幸いです。
「イラク3千キロの旅」に戻って書くモースルの場面は、(41)の末尾から。
チグリス川畔の崖に掘られた横穴式住居に住むクルド人の老人に、「またお会いするまで、お元気で!」と、名残りを惜しんだユーセフは、エンジンブレーキで急こう配の坂道を下って、モースル市街地に向う。
「チーフ。エンジンの調子はまずまずですが、私が知っているガレージでエアフィルターとキャブレターを点検させてはどうでしょう」
「いいだろうね。明日の朝早く、クユンジュク(ニネヴェ)の遺跡を訪ねたいし、バグダッドに帰る途中で動かなくなっては困るからね」
「わかりました。宿のウル・ホテルへ行く途中ですから・・・」
ユーセフがクウエートで乗っている中古のフォードをいつごろ手に入れたか知らないが、モースルで護岸工事の監督をしていたときも、現場移動に車は欠かせず、行き付けのガレージもあっただろう。
ガレージは、市街地の大きな通りから一筋裏の道の角にあった。バグダッドからの途中で寄った店よりはちゃんとしている感じだ。
ユーセフが車を停めると、店先の車の下から這い出してきた男がユーセフの知合いのようだった。
牧師やクルドの老人らと同じように、ハグしながら挨拶を交わしたあとで、私を紹介した。
黒く汚れたツナギ服の、ユーセフと同じ年恰好の男は、 新車に近いトヨペット・クラウンが珍しいのか、車の周りを一巡してボンネットを開け、エンジンルームを丹念に見回した。
点検に来たわけをユーセフから聞いてから、エアフィルターを外して砂のつまり具合を見、ユーセフにエンジンをかけさせ、キャブレターを手で操作しながら、加速の調子やエンジン音をチェックしている。
検作業を終えた男と二、三のやり取りをしたユーセフが、「チーフ。エアフィルターに溜まっていた砂がキャブレターに入り、高速運転中の加速が出来なくなった可能性はあるそうですが、分解してオカシクしてはいけないので、エアフィルターのクリーニングだけにすると言っています」
「そうか。キミの知り合いだけあって、ムリをしないのは、さすがだネ」
「ええ、車好きの彼ですから、トヨペット・クラウンのキャブレターをばらしてみたいでしょうが、直すどころか調子を悪くして、恥をかきたくないのでしょう。バグダッドにもっと大きなガレージがありますので、明日の夕方、寄ってみましょう」
油で汚れた手を拭いている誠実そうな眼差しの修理工に、「シュクラン ヤーニ、アンタ ゼーン!」と感謝の言葉をのべ、握手した。
「キャン ユー スピーク アラビック?」と聞いた彼が英語を話すと分かった私は、「ノー! ザッツ オール アイ キャン セイ イン アラビック」とあわてて答え、初めから英語であいさつすればよかったと、内心で悔やんだ。
彼は、間口いっぱいのシャッターを開け放した修理場に置かれたアルミのテーブルとイスに掛けるように勧め、ペプシコーラとコーヒーのどちらがいいかと尋ねた。
「お言葉に甘え、コーヒーをいただきましょう」と言うと、ユーセフはうなずいて嬉しそうな顔をした。
クウエートの床屋やガレージでも、飲み物をすすめられた体験があったので驚きはしないものの、モースルで出会った三人三様のおもてなしに、こころを動かされた。
用を言いつけられた見習工のような少年が出かけ、私たち3人はテーブルを囲んで座った。
ユーセフは、教会の牧師にしたように、私との旅の経緯を早口のアラビア語で彼に告げたようだ。
ガレージを営む青年が、モースル工科大学の機械科出と知って、アハラムの従兄のマリクに訊ねたような質問をしたくなった。
「昨夕、バグダッドで招かれたホームパーティで、モースルの歴史やカセム政権時代の内戦と数千人の民衆虐殺の惨状などを聞きましたが、ハッサン・バクル大統領が率いるバース党政権下になったモースルを、どう感じてますか?」
ユーセフの知り合いの気安さで、いきなりの突っ込んだ質問になった。
「カセム将軍の軍政下で起きた内戦が酷かったことはご存じのようですが、バクル大統領になってからは、科学技術による国の近代化政策がどんどん進められ、工業や農業を発展させているので、すばらしい政府と思っています。私たちが誇るニネヴェの遺跡を大切に保存しているのも、うれしいことです」
彼は、旧知のユーセフが連れてきた日本人・建築家との思いがけない出会いを喜んでいるように見えた。
「どうぞハッサンと呼んでください。大統領と同じ名前ですが、やたらと多い名前ですよ」
新聞記者のマリクと同じ世代とふんだ私の勘は当たっていたようだ。
「では、ハッサンと呼ばせてください。ホームパーティで語り合ったあなたと同世代の新聞記者も、バクル政権の諸政策を信頼していると言っていました。私たちを招いてくれた世俗派的な叔父さんの甥っ子ですが、政府機関の様々な場所で大学出の若い官僚たちが張り切って働いていると嬉しそうでした」
「そうですか。バース党政権になって、まだ3年ほどです。バグダッドとは歴史的にも地勢的にも異なるモースルですが、ユーセフがチグリス川の護岸工事の現場監督で働いたように、河川・道路などインフラの整備が進んでいます。もし、欧米の支配下にあるイラク石油の国有化が実現すれば、イラクは、中近東で最も近代化された国の一つになるでしょう」
イラクの明るい未来を信じるこの世代の話を聞いていると、クウエートでの稼ぎのような仕事がイラクで増えれば、ユーセフも実家に戻って母親と暮らし、自国の近代化に関わりたいに違いないと思った。
出かけた少年が、コーヒーの出前もちと一緒に戻ってきた。例のトルココーヒーだった。
チグリスの方から涼しい川風が吹いてきて、開け放しのガレージの店先は恰好の夕涼みの場となった。
コーヒーをご馳走になりながら、しばらく、モースルの真面目青年と、会話をつづけよう。
私たちの英語での会話に、時折、ユーセフは頷いたり、微笑んだりしている。
「ユーセフによると、あなたは車大好き人間だそうですが、ガレージを開かれていて、日本車をどう見ていますか」
「モースルではまだ、そんなに多くの日本車を見かけませんが、すぐに、バグダッドやバスラのようになるでしょうね。トヨタや日産の車は、欧米の車に比べてコンパクトで小回りがきき、安くて丈夫です。特に、軽トラックの需要が急増していますよ」
「乗ってきたトヨペット・クラウンの加速不調は、サンドストームに弱いところがあるからでしょうか?」
「中近東に輸出される欧米車は、沙漠走行仕様になっていますが、日本車だって同じではないでしょうか。ただ、現地のユーザーのきびしいクレームで鍛えられれば、すぐに追いつけると想います」
なんだか、日本車セールスマンと思われそうなやりとりになってきたので、話題を変えることにした。
「明日の朝は、クユンジュクのニネヴェ遺跡を訪れてから、バグダッドに向かいますが、この辺りには、アッシリアの遺跡があちこちにあるようですね」
京大・村田治郎博士の西洋建築史の講義では、ウル、バビロン、ニネヴェなどの遺跡を簡略に教えられただけである。
「ええ、モースル近辺には、テル・サラサート、ラッバン・ホルミズ、コルサバード、ニネヴェ(ニノワ)、カラー(ニムルド)が、バグダッドへの途上には、アッシュールがあります」
ユーセフが、おもむろに口を開いた。
「モースル工科大学で機械を学んだハッサンですが、この地で栄華を誇ったアッシリア帝国とその遺跡について詳しいですから、いろいろ聞かれるといいですよ」
なんだか、エンジンの不調でガレージに寄ったのが、アッラーの神の企てのような気がしてきた。
「アッシリア遺跡の考古学的資料では、英国の考古学者オースチン・レイヤードの著書『ニネヴェ及びその遺跡』に、ニムルド発掘中の若き日の有様がとてもよく書かれていて、何度も読みました」
その著書は、高橋英彦著『イラク歴史紀行』(NHKブックス390)に紹介されているので、それを援用させてもらいながら、ハッサンの話のあらましを記すとしよう。