アラブと私
イラク3千キロの旅(67)
松 本 文 郎
この原稿締切りの8月5日の午前中にここまで書いて、浦安市立中央図書館の「図書館講演会」に出かけた。聴講予約の『震災後の今、考えなければならないこと』と題した池澤夏樹氏の2時間の講演だ。
内容は、震災後の早い時期に現地入りした池澤さんが、知人と共にしたボランティア活動の支援での得がたい体験のエピソード、震災前から感じていたという「人間が制御できない原子力と脱原発」への想いに加え、ブッシュ政権のイラク侵攻への憤りまで、幅広いものだった。
話がイラクにまで及ぶとは思わなかった筆者は、演台が目の前の2列目中央の席で、耳をそば立てて聞き入った。
池澤さんが、演題からは横道とも思えるイラク侵攻に言及したのは、福島第一原発事故が、原子力村と揶揄される、「政・財・官・学」の閉鎖空間で取り返しのつかない大きな間違いを犯したのと同じように、世界の警察を自認する米国統治者と側近グループがホワイトハウスの密室で、国連の場を離れた単独行動を決め、平和だったイラク国民の生活をメチャメチャにしたことへの憤りからだと受けとめた。
じっと座って邪魔されないで本を読むことと、遠くへ行くことが人生の欲望と言う池澤さんは、イラクに興味をもって、2002年の秋イラクを訪ね、イラク人の親しい友人もできたが、明るくて率直な人たちだったと言う。
まるで、ユーセフやバグダッドのアハラム一家のことのようでとてもうれしく思い、百名限定の講演会聴講に応募してイラクの話を聞いたことを、不思議なご縁に感じたのである。
池澤さんが、古代以来の都であるバグダッドのムッタナビという街路で週に一度開かれる古本の青空市に行ったとき、バグダッド市民が読書好きで(アラブ圏でいちばん本を読むのはイラク人との定説がある)ほんとうにたくさんの老若男女が群がって本を買うのを見たという。
道の左右に数百メートルにわたって延々と古本屋が連なっているその市で、『星と風のバグダッド』という日本語の本を見つけた。
バグダッド駐在の商社マンが日本から持参したものを帰国の折に置いていったのだろうと推測し、バグダッドの古本流通システムがこの本を日本人旅行者の池澤さんの手に届けたことに感心。
それから5ヶ月後、ブッシュらのイラク侵攻でこれらすべてのバグダッドの文化が破壊されたと、池澤夏樹編『本は、これから』(岩波新書1280・2010年刊)に書いている。
この本は、講演会を主催した浦安中央図書館の入口付近の特設された氏の著作の陳列棚で見つけて借りたが、ノンフィクション・ライターの最相葉月著『永遠の時を刻む生きた証』に、資料探しを図書館や書店でするが、古書から新刊まで品揃えが充実しているインターネット書店に助けられることが多くなったと書いていた。
喜寿を迎えたとき妻からの勧めで、物心双方の「断・捨・離」を心がけてはいるが、乱雑な書斎に積み上げた蔵書・資料のクリアランスが不完全な筆者は、それらで体験の記憶を補足するほかは、検索が便利な「ウィキペディア」を利用している、創造的ノンフィクション(自称)・ライターだ。
明けて6日の今日、ヒロシマ原爆から67年の平和記念式典に、テレビ画面を通じて参列した。
ヒロシマ原爆の死者の御霊を鎮めるこの式典は、かつて、2つの主催団体によって別々に開催された不幸な時期があった。
昭和九年生まれの筆者は、原爆投下の前の年の昭和19年、縁故疎開で両親の実家がある福山に移住して被曝を免れたが、小学4年生まで通った皆実町小学校のクラスメイトには犠牲者もあったに違いない。
2年前の2010年8月の(34)に、広島・長崎両市の平和記念式典と「九条の会」のことを書いている。今日と同じ気持ちだったのだろう。以下に再録する。
その年、「九条の会」の呼びかけ人、小田 実が亡くなったので、『アラブと私』執筆の手本だった『何でも見てやろう』の氏に、「不戦の誓い」を新たにしたい気持ちもあったと記憶する。
九人の呼びかけ人のうち、すでに、井上ひさし、加藤周一も鬼籍に入っており、つい先、三木睦子さんも亡くなった。ご冥福をお祈りしたい。
(31)には、三木睦子さんも講演に来られた、「非核平和宣言都市」浦安の「浦安市みたま祭」
に筆者が奉納した詩・画の懸けぼんぼりのことも書いている。
ここ数年恒例の奉納は、鎮魂の詩歌3篇(短詩と短歌2首)と原爆ドームの絵だった。
「万有の愛」
宇宙の根本の力と万有の存在原理を私は信じる。
光が万物にそそぎ 引力が万物に働くように、
愛もまた万物にそそぎ 万物を動かしている。
愛は宇宙の根源より発し 万物を支えている。
被爆者の屍ただよふ川なかに
蟹を捕らえて食みしと聞けり
原爆に焼き付けられし人影の
薄れゆきてもその忌忘れじ
この3篇の詩歌には、すばらしい英訳がついた。
住まいに近い「ふれあいの森公園」の朝の散歩で出会って、親しくなった平和主義者・アメリカ女性カレンさんの好意の翻訳だった。
カレンさんは彼女の母親がベトナム戦争難民の世話に携わっていたため、60年代のアメリカで、自分の子供たちが近所の保守的な家庭の子供らから、いじめを受けた体験を話してくれた。
国際都市を標榜する浦安市には30数カ国からの外国人が在住し、筆者も浦安国際交流会会員だが、靖国神社に参拝している戦没者遺族会会員のなかで、「みたま祭」のぼんぼりに英語表記のメッセージが並ぶことに違和感をもつ人がいたかもしれない。
しかし、戦争のない世界平和を祈願する想いに国境はない。国民を戦争に駆り立てる統治者たちは、「戦争の大儀」を医言いのるが、敵味方双方の兵士・国民が殺し、殺されるのが戦争だ。
カレンさんは、敬愛する米文学者カール・ヴォネガット(米国人間主義協会名誉会長で、5年前に84歳で逝去)の『国境のない男』を教えてくれ、原書を浦安中央図書館で借りて読んだ。
その本は、カンヌ国際映画祭の最高賞パルム・ドールを受賞した『華氏911』のマイケル・ムーア監督に負けず劣らずに、白人至上主義的米国人の曖昧さと戦争をしたがったブッシュと
一派を痛烈に批判していたのを記憶している。
「みたま祭」の一夕、カレンさんと「九条の会・浦安」事務局長Yさんほかを自宅に招いて歓談してから、慰霊碑のある市役所脇の公園に出かけ、参道両側に懸けられたぼんぼりの列を見た。
その年の平和記念式典で、潘基文国連事務総長と秋葉広島市長が明確な核廃絶の道を訴えたのに対して、菅総理大臣が、「核の傘の抑止力」に言及して被爆した広島市民の気持ちを逆なでた無神経さに呆れたのを、いまも忘れてはいない。(再録終わり)
今年2012年の平和宣言での松井一実市長は、昨年同様、公募で選んだ3人の被爆者体験を引用して核廃絶への決意を訴えて、原発事故で苦しむ被災者を原爆被爆者に重ね、「心は共にあります」と呼びかけた。
政府に対しては、原爆投下後に放射性物質と共に降った「黒い雨」の援護地域の拡大と、市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策の早期確立を求めた。
筆者の故郷福山の文学者井伏鱒二の『黒い雨』は、不朽の世界的平和文学ではなかろうか。
6日の今夜、原爆ドームの傍を流れる元安川で行われた平和を願う灯篭流しでは、「げんぱつ、
だめ」「 HOPE FOR PEACE」などの約8千個の灯篭が流され、各国の言語で綴られた祈りの言葉が、灯りが照らす川面に揺れた。
実行委員会によると、書かれている言葉は近年、犠牲者の名前よりも平和を祈るものが多くなり、東日本大震災のあった去年からは、「脱原発」といったものも増えたという。
「広告支部ニュース」(2011年6月号)では、『アラブと私』を休載して、朝日新聞社が公募した「東日本大地震の復興構想・提言論文」応募の『これからのエネルギー政策と脱原発』を寄稿したが、野田佳彦首相が記念式典の挨拶では、「脱原発依存の基本方針のもと、中長期的に国民が安心できるエネルギー構成の確立を目指す」と官僚の言葉を発しただけで、式典参加の71カ国代表に「脱原発」を宣言して欲しかった筆者には大変情けなく感じられた。
ヒロシマ・ナガサキ原爆の記念式典が終わり、67年目の終戦記念日が近くなった今回は、2年前と同じような平和を祈る記述に終始した。
次回からは、いよいよモースルの場面に戻ることにしたい。
