アラブと私
イラク3千キロの旅(71)

 

                             松 本 文 郎 

 

 ニネヴェの記述がある旧約聖書『ヨナ書』のほかに、『ナホム書』もある。

 いずれも「神の言葉を預かった人間」である預言者ヨナとナホムが書いたもので、キリスト教の12の預言書の5番目と7番目にある。

「ナホム」とは「慰める者」という意味だが、ニネヴェで捕囚の憂き目にあったユダヤ人が、神による救出とニネヴェの滅亡を乞う祈りの書であることがよく分かる。

旧約聖書はユダヤ教からキリスト教にうけつがれた聖典で「神との契約書」とされるが、異教徒の捕囚となったエジプトからの脱出で海が割れて助かった奇跡も書かれ、残酷な運命を漂白していたユダヤの民が創出した神話ではなかろうか。

 前述したが、ユダヤ・キリスト・イスラム教は「唯一神」を信じる同根の世界宗教で、夫々の聖典は、堕落した人間を戒める文言の集積だ。

 モーセ・キリスト・ムハンマドが示した言動を律法に仕立てた聖典内容は、後継の弟子たちや、長い歴史と社会の変化のなかで教団指導者らによる変更・加除がなされてきた。

 今(2012年11月5日)、世界が注目する米国大統領選挙の共和党候補者ロムニー氏がモルモン教徒であることが、大きな話題になっている。

宗教学上はキリスト教の新宗教に分類されているモルモン教は、伝統的な立場にあるカトリック・プロテスタント・正教会の公式サイトで、「異端」と表明されている。

 ちなみに、歴代米国大統領のなかでケネディのカソリックの他は、全てプロテスタントで、モルモン教徒のロムニー氏が当選すると歴史的な出来事になる。

 マスコミの話題になっている『モルモンの書』には、タバコ・酒・コーヒー・茶を飲まない/過度に肉を食べない/一夫多妻などが書かれているそうだが、日常生活を律する『モルモン書』は、どこか、イスラム教の『クルアーン』(日常生活の律法)に通じると思われる。

 1830年に米国で創始され、国内信者は6百万人、国外では千4百10万とされる教団で、ロムニー氏を支えているのは、モルモン教徒の2兆円もの豊富な資金と大企業や富裕層に厳しいオバマ政権に反発する企業経営者や資産家からの潤沢な寄付金で展開する、PRテレビのキャンペーンだという。

 オバマの外交政策を生ぬるいと批判し、軍事予算の増額を主張するロムニー候補は、やはり、ブッシュ政権と同じに、アメリカの富裕層中心の「幸福と平和」を求め、守るための「正義」を言い立てているようで気にかかるが、イラクの旅に戻ろう。

 

『ナホム書』は3章からなり、前半はアッシリアからユダヤ人を開放した神への詩で、後半はニネヴェの滅びを告げる預言である。

 ウイキペディア掲載の全文の第1章は15節(53行)、第2章は13節(45行)、第3章は19節74行)だが、ここでは、高橋氏が『イラク歴史紀行』で引用されている第2章の一部分を再掲し、第3章の18・19節を、末尾に加えることにしたい。

 (第2章の一部)

  王妃は捕えられて連れ去られ

  その侍女は鳩のような声で嘆き

  胸を打って悲しむ

  ニネヴェは水の流れ出る池のよう

  みな逃れ出て

  「止まれ、立ち止まれ」と言っても

  だれひとり振り返らない

銀を奪え、金も奪え

その財宝は限りない

あらゆる尊い品々が豊富だ

ああ、流血の町

虚偽に満ち、略奪を事とし

強奪をやめない

むちの音、車輪の響き

駆ける馬、飛び去る戦車

突進する騎兵

剣のきらめき、槍のひらめき

おびただしい戦死者、山をなす屍

数えきれない死体

死体に人はつまずく

 

(第3章18・19節)

 アッスリヤの王よ

 あなたの牧者は眠り

 あなたの貴族はまどろむ

 あなたの民は山の上に散らされ

 これを集める者はない

 あなたの破れはいえることがなく

 あなたの傷は重い

あなたのうわさを聞く者は皆

あなたの事について手を打つ

あなたの悪を

常に身に受けなかったような者が

だれひとりあるか

 

この呪詛のような文言が聖典にあるのには違和感をもつが、古事記や日本書記の国づくりにまつわる神話や叙事詩と同じと思えばいいのかもしれない。

「苦しいときの神頼み」は、古今東西どこでも同じなのだ。

 

3年後、再起を期して西方へ奔った最後の王アッシュール・ウバリト二世がユーフラテス沿いのハランで敗れたのが、アッシリア大帝国の幕切れだったが、千4百年に及ぶアッシリアの長い帝国統治の制度的技術は、その後のオリエントの広域に覇権を樹立した新バビロニア王国やアケメネス朝ペルシャにうけつがれたことを、かなり前に書いている。

 

『ヨナ書』の方には、「預言者ヨナは、神からニネヴェの都につかわされ、ニネヴェで滅びを予言した。ニネヴェにいた王は、人々に悔い改めるよう布告をだした。神は、ニネヴェの人びとが悪を離れたのを見て、災いを下すのをやめられた」という内容が記述されている。

 この記述では、強圧的統治でイスラエルとの戦いに勝ったアッシリアの王が、なぜ、戦いに敗れた国の神の預言者が言うことを聞き、悔いあらためたのかという疑問が生じる。

 その疑問を解き明かすために、考古学の証拠と聖書の記述を突き合わせて、旧約聖書に記載されている奇跡が真実だったとする「聖書研究」がウイキペディアにあるので参照されたい。

 そんなキリスト教信者が信じる神の奇跡の非合理性を感じる自然宗教的な日本人が、元寇の役で敵を敗退せしめたのは「神風」だったと長い間信じ、強大な米国を相手に無謀な戦争を始め、負け戦がはっきりしたとき、「神風」が救ってくれると、かなり信じていたふしがあるのは興味深い事実だ。

寓話ともいえる『ヨナ書』で興味深いのは、預言者ヨナと神とのやりとりが中心の物語で、非ユダヤ人やニネヴェの人々などの異邦人が神の意志に従っているのに、ヨナに代表されるユダヤ人の方が神の意志を理解できていないことを示している内容だ。

この考えはパウロに引き継がれ、キリスト教としての神の意志はユダヤ人には受け入れられず、むしろ、異邦人に受け入れられるという認識となり、キリスト教は、そのようにして広まって行ったようだ。

『ヨナ書』がイスラエルの民の選民思想・特権意識を否定しているのは、当時のイスラエル人にとっては驚くべきことで、旧約聖書で異彩をはなつ文書である。

                                  (続く)



添付画像

『大魚に吐き出されたヨナ』
2012/12/29 18:51 2012/12/29 18:51
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