出逢いと別れ
2013年1月31日(木)
松 本 文 郎
“さよならだけが人生だ”は、敬愛する井伏鱒二による漢詩「勘(勧)酒」の名和訳とされている一節だが、因みに、郷土福山の「ふくやま文学館」の主要展示品は井伏鱒二作品である。
この五言絶句は唐代の詩人・于武陵の作で、勘君金屈卮(この杯を受けてくれ)/満酌不須辞(どうぞなみなみ注がしておくれ/花発多風雨(花に嵐のたとえもあるぞ)/人生足別離(さよならだけ人生だ)という、無常な人生の大切な刻に親しい友と酒を酌み交わしている、心に響く切ない詩だ。新年6月に傘寿を迎えるが、“サヨナラだけが人生ダ!”の想い一入の日々である。
昨年の暮れ、広大付属福山第1回生の親しい友人平川公義君(東京医科歯科大学名誉教授)の急逝に愕然としたばかりの去る25日、NTT日比谷同友会の大先輩で絵画サークル「彩友会」の仲間だった関口良雅さんの訃報に接した。昨夏の展覧会の打上げで杯を酌み交わして歓談した人が半年もしないうちに他界されたのである。大正9年1月生まれで、享年93。
洗足池の近くに住まわれ、年1回の「彩友会展」にはいつも、散歩がてらの池畔でのスケッチ作品を出されてきたが、飄々としてこだわりのないお人柄がにじむ爽やかな絵に共感していた。
“打上げ”の席では、「私の残日がいつまでかは天命でしょうが、関口さんのお元気さにあやかりたいですネ」と言った私に、「食道がんの大手術の後ですっかり元気になった松本さんのように、ボクも楽しく絵を描きながら生きてゆきたいので、ヨロシク!」と、朗々とした声で応えられた。
日本聖公会東京教区・三光教会で催された前夜式の主教の話(教話)で、5日前の日曜礼拝に元気な姿でみえたヨセフ関口良雅さんを天国へ見送るのは、今も信じられないことだと言われた。
二年前に最愛の奥さんに先立たれてから一人住まいだった関口さんが、湯船で亡くなられていたのを発見したのは、近くに住む甥御さん(喪主)だったという。
関口さんは、発展途上国(東南アジア・中近東・アフリカ諸国)の電気通信網構築のコンサルタント事業会社(1960年創立の日本通信協力(NTC)の現社名は日本情報通信コンサルタント)の社長を務められたが、事業全体を通信事業者の業務ソフトウエア開発に移行させて事業規模を飛躍的に拡大発展した中興の祖でも、引退後の趣味の仲間や教会の主教・信者などに話すことは一切なかったようだ。
電電公社の電気通信研究所に勤めた若いころ所内にキリスト教信者の会をつくったと紹介した前夜祭の主教は、「聖書のむつかしいことはよく分かりませんが、人々が幸せで平和に暮らすことを説かれていると信じています」との鋭い示唆を、関口さんからさりげなく与えられたと告げた。
9・11の翌夏の展覧会打上げの席で、「ブッシュ大統領が、“悪魔のイスラム勢力に報復する十字軍だ”と叫んだ背後にキリスト教原理主義者らがいますが、キリストの教えの真逆ですね」と言った私の眼を見つめて、肯うように微笑んだ関口さんだった。
NTC社員でイラン駐在のUさんには、1969年のテヘラン(イラン電気通信研究所・建築基本計画の技術指導で3か月滞在)で出会い、貴重なアドバイスをもらったお蔭で無事に任務を終え、郵電省の招待で、建築家としての夢だった古都イスファハンとペルセポリス遺跡への旅ができた。 Uさんが昨年の暮れに亡くなられたと聞いたのも、関口さんの前夜祭だった。イランやイエメンの電気通信網構築のコンサルタンとして豪快に活躍した氏の在りし日を偲んでいる。
昨秋の京大建築学科卒業55周年同窓会のことは『文ちゃんの浦安残日録』に書いたが、5年前の参加者23名が今回は13名に減ったのも、平均寿命を迎えた世代というほかない。
この世に“サヨナラ”を云うまでの日々を大切に生きてゆきたいと願うこのごろである。