歌の力 
                        
                                                     2013年4月1日(月)
 
                                                         松 本 文 郎

 

東日本大震災から2年が過ぎたが、この「残日録」をブログのカテゴリーに新設したのはその
時だった。長期連載中の『アラブと私』の“寄り道”で書くにはあまりにも大きな出来事だった。

 第1~6回は、近隣・浦安市内の被災状況や福島第一原発事故を巡る政府対応のテンヤワンヤを書き連ねた。(挿入写真はすべて編集担当森下女史に負う)

 第7回(2年前の4月1日)では、震災のため中断されていた特別養護老人ホーム「愛光園」訪問ボランティア「歌の花束」の月例コンサートの再開に触れている。

「歌の花束」は、義母(2年前は百一歳)が入居されていたS女史が主宰され、会の名は、国民歌謡『春の唄』の“ラララ 赤い花束車に積んで…”の“赤い花束”を“歌の花束”にしたもの。

いつも、みんなで最初に唄う歌だが、被災した「愛光園」の復興を励ます歌として新しい歌詞を加えることになり、“ラララ 歌の花束 楽しく唄い/春が来た来た 海から街へ/愛の光が満ちてる園の/若いみんなに 春が来た”との拙詩の部分は、『愛光園の歌』になっている。

『春の唄』の方は、歌ができて50数年後に起きた阪神淡路大震災の被災者への大きな励ましとなり、震災2年後、作詞の喜志邦三の歌碑が詩人所縁の西宮に建立されたという。

 拙詩に曲がつけられた歌は、NTT社歌『日々新しく』(社内公募)、浦安市合唱連盟創立20周年記念歌『みんなの歌』(公募)、邦楽山田流筝曲(合唱付き)、歌曲『早春浅間山』、ポップスの『ふるさと同窓会』他数曲あり、人びとのこころを繋ぐ“歌の力”の一端を担える喜びは大きい。

 歌の力といえば、東日本大震災の被災地・被災者の復興の応援に多くのミュージシャンたちが駆けつけ、海外各地で演奏会が開かれた。一瞬にして肉親や家財を失った被災者の苦悩を癒したり励ます力がはたして歌にあるのかと訝る気持から、4月開催予定の浦安男声合唱団定期演奏会を中止したが、半年ほどが経ち、やや落ち着いてきた被災地の訪問コンサートで歌手らと一緒に『故郷』を唄う被災者の表情から、“歌の力”が決して小さくはないことを感じた。

思いのほか甚大だった浦安市液状化被災の復興を祈り、定期演奏会に代わる「特別演奏会」を10月に開催。最後のステージで客席と一緒に、『故郷』を唄った。失った“ふるさと”への想いとその復興を祈る歌声は大きなこだまとなり、ホールに響きわたった。

 この『故郷』と同じように、復興支援のコンサートでの定番になったのが、『花は咲く』である。

このチャリティーソングは、「NHK東日本大震災プロジェクト」のテーマソングとなり、国内だけでなく国際放送でも、空いた時間帯で随時流されている。

 作詞、作曲・編曲は共に仙台出身者で、被災地にゆかりのある歌手・タレント・スポーツ選手らが交互に唄う「《花は咲く》プロジェクト」は、楽曲(印税全額が義捐金として被災地自治体へ寄付)がカバーされ、コンサートで唄われ、テレビ・ラジオにオンエアされるたびに、義捐金が増える仕組みになっている。

 この歌は、NHK総合「“花は咲く”スペシャル~一つの歌がつむぐ物語」や昨年の「紅白」でも唄われたが、(唄:西田敏行他と花は咲く合唱団、ピアノ:辻井伸行・指揮:作曲者菅野よう子)身近では、妻のお千代と一緒に参加している「童謡を歌う会・浦安」のクリスマスコンサートや先月の「歌の花束」例会でも、入居者のみなさんと元気よく唄った。

「花は咲く」を唄う姿を撮ったビデオを編集してつなぎ合わせ、みんなの心を結ぶミュージックビデオを制作する「《100万人の花は咲く》プロジェクト」が進行中で、3月28日現在では、32、440輪の花が咲いているという。 大きな《「歌の花束》ができるといいネ!


添付画像

2013/04/02 14:28 2013/04/02 14:28
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