アラブと私
イラク3千キロの旅(74)
松 本 文 郎
米国政府の中に、「アルジェリア人質拘束事件」が「パレスチナ問題」に関わっている見かたがあるとの新聞報道があったが、一体、どういう脈絡があるというのか。
9・11では、その要因の一つにイスラエルへの肩入れがあったとされたが、アルジェリアの事件は、フランスのマリへの唐突な武力進攻が引き金の一つとされた。
フランスは旧マグリブ諸国の宗主国であり、アルジェリア独立戦争で政治的混乱が生じて以来、多くの民族が存在するマグリブ地域では、様々な紛争が起こってきた。
今回の事件は、アフリカにおけるアル・カイーダ「イスラム・マグリブ諸国のアル・カイーダ機構(AQIM)」による2002年以来の反乱の一部とみられている。
「アルジェリア戦争」(1954~62年)は、宗主国フランスによる1830年からの長い支配に対するアルジェリアの独立戦争だが、その対応をめぐりフランス中央政府と軍部が分裂して、内戦的事態に至ったことは、仏現代史の汚点とされている。
フランス政府は、軍による現地村落の住民虐殺を「忘却政策」の報道規制で忘れさせようとしたが、90年代に起きた「記憶の義務運動」で、アルジェリア戦争での拷問・テロなどの非人道的な記録をマスメディアが頻繁に取り上げたのである。
政府は戦争とは認定せず、「アルジェリア事変」「北アフリカにおける秩序維持作戦」と呼んだが、1999年の法改正で、「アルジェリア戦争」と記されるようになったという。 (*概要をウイキペディアの記事から抜粋)
フランスのアルジェリア支配は1830年の「アルジェリア侵略」に始まったが、当時は第1王政復古の末期。揺らぎ始めていた王政の威信回復を図った国王シャルル10世が、国民の不満を一挙に解決しようとした対外侵略(外征の断行)とされてきた。
その発端は、オスマントルコ大帝国のアルジェ太守フサイン・イブン・パシャが、自分を愚弄した駐フランス領事に腹を立て、領事の頬を扇で叩いた「扇の一打事件」が口実だったとされるが、実際には別の理由があったという。
ここにまた、「号外」で書いたロスチャイルド家が登場することになる。
第1次世界大戦の厖大な戦費を英国に援助したユダヤ人豪商ロスチャイルド(仏語読みは、ジェイムズ・ド・ロチルド)は以前から、北アフリカとその周辺、パレスチナなどの資源調査を行い、鉄鉱石(1990年代になっても枯れることなく、アフリカ大陸第4位の生産量を誇り、巨大な富を生みつづけた)などの有用な資源を得ようとフランス軍派兵のために8千万フランもの天文学的な資金を提供して戦争を起こさせたことが判明している。
また、アルジェリアへのフランス軍派兵の半年以上前に莫大な公債発行を引き受け、7月革命の勃発で国王が交代した折は、逃げたシャルルが万一戻ってもよいように十分な謝礼を払い、新王ルイ・フィリップにも大金を貸し付けてきたので、だれが国王になっても、ヴェルサイユ宮殿を意のままに動かせる周到な準備をしていた。
彼らが開通させた「北部鉄道」(1846年)はフランス・ベルギー・ドイツを結ぶロートシルト(ロスチャイルドのドイツ語読み)資産の中枢となり、鉄鋼、機械、石炭、金属、石油、建設、海運、電機、観光、食品を含むフランス最大の企業グループ(コングロマリット)に成長した。
アルジェリアの大地で大量に生産されるようになった大麦、ハード小麦、ソフト小麦、オート麦は当時の商社・財閥にとって資産上極めて大きな意味をもち、いくつもの多国籍企業を育てる下地となった。
19世紀末からは石油生産(アフリカ第3位)が始1956年から巨大天然ガス田ハッシ・ルメル(ロシアを除き世界第1位の埋蔵量)が発見され、さらに莫大な富を生み出すことになる。
1830年の侵略から132年間、フランスはアルジェリアを支配。ロスチャイルド家の壮大な目論見は、見事に成功したのである。
「アルジェリア人質拘束事件」は、イナメナス付近の天然ガス精製プラントでイスラム系武装集団が引き起こしたものだが、アルジェリアやその南のリマ、ニジェールでは独立をめざすトゥアグレ族(ベルベル系遊牧民・フランス支配下で抑圧されてきた先住民)の反乱が起きていた。
もともと戦闘能力に定評をもつ彼らは、リビア内戦にカダフィーの傭兵として参加し、革命後に流失した大量の兵器と戦闘経験を蓄えていたが、2012年、マリで起きた軍事クーデターを機にイスラム国家建設をめざし、AQIMほか複数の過激派組織の協力でマリ軍を追放し、彼らが暮らすマリ北部(アザワド地区)の独立を宣言した。
だが、トゥアグレ族組織(MNLA)と過激派が反発して戦闘が勃発し、トゥアグレ族組織は打倒され、アザワド地区は事実上イスラム過激派の手に落ちる事態となった。
これを重く見た欧米、アルジェリア、アフリカ諸国は、トランス・サハラにおける「不朽の自由作戦」、欧州連合マリ訓練ミッション、アフリカ主導マリ国際支援ミッションなどで間接的に、マリ軍を支援してきた。
そんな状況下、独裁的政権のマリ大統領の要請に応えてフランス軍が介入して、アザワド地区攻撃を開始し、それに反発した過激派が起こした人質事件だった。
襲撃された天然ガス精製施設は、アルジェリアの国営企業ソナトラック/英国・BP/ノルウエー・スタトイルなどの合弁企業が経営し、プラント建設には、化学プラント建設に実績のある日本の日揮も参加していた。
この施設の年間生産量は90億立方メートル。アルジェリア国内生産量の10%以上を占める。
襲撃に対して警備のアルジェリア軍兵士が応戦したものの、アルジェリア人150名、アメリカ人7名、日本人10名、フランス人2名、英国人2名、アイルランド人1名、ノルウエー人13人をふくむ外国人41名が人質として拘束された。
事件勃発時の現場には、7百人のアルジェリア人と百人の外国人がおり、ガーディアン紙によると、武装勢力は、米・仏・英国人(資源を搾取しているとみなされてか)を人質の標的にするよう指示されていたというが、50年余りも現地の天然ガスプラント建設に貢献してきた日揮の人たちから10人もの犠牲者が出る事態に、なぜなったのか。
BP(イナメナスのプラント建設)はロイヤル・ダッチ・シェルにつぐ世界的情報企業でもあるが、日揮への情報提供はなかったのかと中川十郎氏(日本ビジネスインテリジェンス協会理事長)は訝っている。
中川氏のイラク駐在当時の日本人は、アラブの友人として好意的な処遇を受けたが、小泉政権が2003年のアメリカのイラク進攻を支援する自衛隊を派遣して以来、アラブ人の目には、米国の手先になりさがった日本との見方が広がり、それが今回の事件で日本人の犠牲者が最大だった背景を説明していると、「BI論壇」に書いているが、「イラク3千キロの旅」の筆者の体験からも共感できる見解だ。
さらに中川氏は、事件に対応するとして訪問中のインドネシアから早々に帰国した安倍首相が、当夜、官邸近くのホテルで事件に関係のない議員と会食していたことを記し、日本政府の情報収集能力不足と情報音痴ぶりを嘆いている。
この事件が重大なのは、アル・カイーダが中東、アフリカ、アジアにも拠点をもち、これからも同じような事件が繰り返される可能性があるということであろう。
事件発生後すぐ、日本政府がアルジェリア政府に要請した「人命最優先」が性急なアルジェリア軍の突入作戦によって無視された結果、理不尽な犠牲者が出たわけで、国際紛争の解決や対テロ戦でいつも非軍事的な政策をとってきた日本の基本的要請である「人命最優先」の筋をアルジェリア政府に対して毅然と主張し、遺憾の意を表明すべきではないか。
安倍首相は、首相官邸のfbページで、「無辜の市民を巻き込んだ卑劣なテロ行為は決して許されるものではなく、断固として非難します。(後略)」とテロとの闘いに臨む決意を述べたとされるが、イスラエル政府の国連決議を無視したパレスチナの人びとへの理不尽な行為も、北朝鮮同様の国際社会への挑発的暴挙として非難するのが、公正な態度というものではなかろうか。
(続く)