NPT
と日本               
                                                    2013年4月26日(金)

                             松 本 文 郎

 

昨日の「靖国参拝問題」の文尾に、本殿に向かう厳粛な顔の代議士らの報道写真を配したのは、編集担当森下女史。別の報道ビデオで、“ニヤツイテ”いるのを撮られた女性も神妙な顔つきだ。

 真摯な気持ちで戦死者を悼むのなら、報道陣が待ち構えているなかではなく、別の折に、何度でもお参りするとよい。ふれあいの森公園で見上げるケヤキの若葉が、誰にみせるともない風情で、さわやかな朝風にゆれているのとは対極のシーンである。

 早朝散歩から戻って開いた朝刊に、「核の傘 矛盾またも」の大見出しがあった。核不拡散条約NPT)の第2回準備委員会の“核兵器の非人道性を訴える共同声”に、“唯一の戦争被爆国”の日本が、第1回準備委員会と同じように賛成しなかったという。

 核が使われると人道上、破滅的な結果を招くとして、「いかなる状況でも核兵器が二度と使われないことが人類存続の利益になる」と明記された共同声明に、日本は署名しなかったのである。

 米国によってヒロシマ・ナガサキを原爆被爆都市にされた日本が、敗戦後も、その国の“核の傘”を頼りにしてきた矛盾は、これまでの国際会議のさまざまな対応にも表れていた。

 わが故郷広島出身の岸田外相が就任以来、核軍縮にこだわりを見せてきたのを頼もしく思っていたが、広島市の松井市長と長崎市の田上市長も、署名見送りを批判して憤懣やるかたないし、『黒い雨』を書き遺した郷土の文士井伏鱒二も、岩に閉じ込められた大サンショウウオよろしく、草葉の陰で憂苦しているに違いない。

 北朝鮮の核の恫喝を意識した菅官房長官の「現実に我が国を取り巻く厳しい安全保障の状況を考えた時に相応しい表現かどうか」の談話は、米ソ間の冷戦さなかのキューバを舞台に核戦争の寸前まで達した危機的状況の悪夢を念頭においた、米国追従の政治的言い訳であろう。北朝鮮の仮想敵国はまだ休戦中の米国だが、日本も入るとすれば、朝鮮戦争以来の米軍基地があるからだ。

 核戦争が人類存続を危うくすると分かっているならば、被爆で命を失った両市民の尊い犠牲をムダにすることなく、即刻の核兵器廃絶を主張することこそが、“不戦の誓い”をたてた平和憲法と相まって、人類社会の未来に希望をもたらすのではないか。

「松本文郎のブログ」に「残日録」のカテゴリーを新設したのは、3.11がきっかけだったが、(19)で、福島第一原発事故をヒロシマ・ナガサキの戦争被爆と重ねて論じ、核兵器の削減・廃絶の旗振り役で人類社会の平和共存に貢献する責務をもつ国の首相管直人さんが、近く開催のG8において、「脱原発」こそが、世界の正しい選択であると提唱すべきことを書いた。

 ところが、大型連休中にトルコを訪問する安倍首相が、黒海の沿岸都市シノップで計画されている原発の建設事業を日仏企業連合で受注する大筋をエルドアン首相と合意する報道があった。

メルトダウンした核燃料の所在が不明で水をかけて危険な温度上昇を辛うじて防いでいる状況の日本の原発を平気で他国に売るというのは、アベノミクスのメニューかもしれないが、世界のこころある人たちの日本人への信頼を裏切るものではないか。

“安全神話”が崩れた福島第一原発の掛け替えのない教訓を活かすのなら、原発の廃炉・使用済み燃料貯蔵の関連技術を開発して原発運転中の諸国に輸出する方が、おおいに大義名分が立とうというものだ。相手国の政権が欲するのだから構わないという向きもあるが、国の政策に反対の国民の存在を忘れてはならない。日立受注がほぼ確実だったリトワニアの国民投票で、「建設反対」が多数だし、トルコに建設する原発が大事故を起こしたときの国家賠償責任をどうなるのか。

 一国のリーダーの第一要件は国民を安心させることだが、安倍首相には心配がつきまとう。


添付画像
安倍晋三首相は5月3日、トルコのエルドアン首相と会談し、両国が原子力協定を締結することで合意した。
2013/05/03 18:43 2013/05/03 18:43
この記事にはトラックバックの転送ができません。
YOUR COMMENT IS THE CRITICAL SUCCESS FACTOR FOR THE QUALITY OF BLOG POST